こんばんわ。木蓮です。
今日は、電車の中で読んだ池田晶子さんの著作の紹介です。
この本を私のお友達に見せたとして、
見せた途端の反応はみんな同じなんですよね。
『哲学』という文字を見ただけで、
みんな難しい顔をするんです。
何か難しい、専門的な、学問的な、非日常的なこと、
もっと分かりやすく言えば、日々の生活で最も役に立たなさそうなお話。
考えるということ、
わたしの一番知りたいことで言えば、
つまりは、
「わたしとあなたは何故違うのか」
皆、疑問を抱かないのでしょうか?
哲学って、ものすごく単純で、原始的で、根本的な問題だと思うんですけど。
まぁこれは、人によって好きなスポーツが違うように、
趣味嗜好の話なんだよねって割り切れるまで、学生の時は悶々としていましたね。
私は訳あって、高校を中退して専門学校に入るまで、
すこし時間があって、じっくり考える時間があったからというのもありますね。
さてさて、本の話を(^^;
内容的には、昔学生の時に読んだ、岩波文庫の『哲学者列伝』に似た構成で、
古来の偉大な哲学者達が辿ってきて、哲学史、精神史が語られています。
それぞれの哲学者たちの学説を説明する書物ではなくて、
彼らは一体何を「考えていたか」。そのことを書いています。
(哲学という学問的な見方ではないということ。)
これがまた、1章毎に強烈なインパクトをもった、
文章が並んでいます。
今日読んだのは、『ヘーゲル』の章。
特に記憶に残った章句を紹介します。
※「」は引用です。
「有 それ以上の一切の規定をもたないもの。
有はその無規定的な直接性の中にあるものとしてただ自分自身と同等であるにすぎず、
他のものに対する不等ということでさえもなくて、自分の内でも、また外に対しても
差異というものをもたない。」
よく出てくるんです。この有の概念は。
認識できるけど、手にとることができないもの。
日常生活にもっと近い形でいうと、
分かったと思ったけど、次の瞬間に分からなくなること。
よくありますよね。
「現実とは絶対精神の自己実現の過程であるという絶対真理。」
絶対とかいう装飾がついているのは置いといて、
これはとてもわたしではうまく言葉にできないのですけども、
言いたいことは分かるんです。
現実的なものとは、もっとも観念的なものということ。
物理的なものとは違うということ。
これ、言葉にするのは本当に難しいですよね。
池田晶子さんは、よくこんなの言葉にできると思います。
* * *
ヘーゲルの著作は現在読んでいる「精神現象学」といい、
私の知りたいことが一杯書かれているような気がします。
「精神現象学」もまた読み進めた時は、記事に書きたいと思います(^^
今日はここまで!
皆様、おやすみなさい♪
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます