ジーン・ワルツ 海堂 尊 (著)
劇場公開されるという話は知らずに、
金曜日の帰りに尼崎駅の書店で文庫本を買い、1日で読んだ。
不妊治療、人工授精、日本における代理母問題を背景にした社会派小説。
面白かった。特に、日本において代理母出産が禁じられていることすら
...知らなかった私にとって、その実情を描いている場面は興味を覚え、
主人公の大学病院医師の言動に対してもとても感情移入できた。
その日の晩、ニュース番組で、劇場版公開前ということを知り、
そして作者の海棠尊さんのインタビューが流れていた。
「この映画を見て、観客のみなさんに現実を知っていただくことが、
変化への追い風になれば」とても良い作品だと思います。
しかし、インタビューの最後に呟いた一言が私にはとても『引っかかった』。
はっきりと言葉は思い出せないが、意味的にいうと、
「世の中の仕組みがどうこう、この問題を正面から変えたいというよりは、
私が小説を書く目的は、あくまでエンターテイメントです。」
ということだったと思う。
この「エンターテイメント」というのが、何か無性に『引っかかる』。
小説で世界を少しでもいい方向に変えたいだとか、
そういう部分が問題ではなくて、
小説は、現実から出発してそれをより鮮明に、
客観的に映し出す鏡としかならないのかと思うのです。
それはただ単に個人的な拘りでしょう。
目の前にある現実が無ければ、あなたは何も知ることはないし、
考えることもできない、と言われるでしょうし。
作者公式HPを見ていると、同じ趣旨の文章が書かれていた。
『作品に対して持っているこだわりは、「面白い話を書く」ということ。』
否定しているわけではないのです。確かにこの小説は面白かった。
私も将来小説を書くことを志しているので、感じるんです。
これだけの労力と、他の人の注目を集めている作品の目的が、
そうした皆が一様に納得する分かり易い形で提出されることの違和感を。