木蓮の「7つの言葉」を探す日記

小説、PSO&PSU、アニメ(ぼく地球/エスカフローネ)、UVERworld、IT関連を木蓮の日記形式で書いています。

本を読まない人に、本を読んでもらいため、私が伝えたいこと。

2013-08-12 00:35:18 | 本関係
 私が本好きになったのはいつからだろう。
中学生の時は国語のテストがものすごく苦手で、文章問題の点数がひどかった。
文学なんて冗長なものを読む人は余程の暇人でしかないと思う。いまでもそう思う。

 小中学生で、読書課題があったが、特に面白い本に出合わなかったために、
私は本を読むことが特別なことでなく、ひたすら億劫な出来事でしかなったと思う。

 では、私が本好きになったきっかけは何だろう。高校生?いや、あのときはひたすらゲーム・漫画のことしか考えていなかった。
分かった。18歳の頃に読んだ本。

 池田晶子「残酷人生論」

やっぱり、始まりはこの本だった。
池田晶子から、
埴谷雄高につながり、
ドストエフスキーにつながり、
そこから無数に拡散した。

だから、私が本好きになった「残酷人生論」が皆に一番伝えたい、本の醍醐味を語ってくれるはずだ。


 この本はどんな魅力をもっていたか。
語りかけてくるような文章。諭すような文章。人を楽しませるために書いていない。
これまでの文学とは全く異質のものなのだ。これはただの書物ではなく、伝道の書なのだ。
 扱っているテーマは、とてもありふれている。家族、死、生、幸福、愛、どこにでもあるもの。
だから、何かの知識がないと読めないという本ではなく、誰でも読める本になっている。
これはとても重要な要素だと思う。表現じゃなくて、中身勝負。真っ向ストレート勝負。


「何故人をころしてはいけないのですか。」
「そんなの分かってる。決まりだからだ。」

 世の中の大人がはっきりと教えてくれないことを彼女ははっきりと明快に答えていく。
それが気持ちよかったのだろう。

 しかし、彼女は私たちに安住の地だけを与えるのではなかった。

「自分自身で考えなさい」

 そう言い残して、彼女はこの世を去った。

ティファニーで朝食を。

2013-07-03 23:51:49 | 本関係
こんばんは。木蓮です。

表題タイトルの小説。トルーマン・カポーティの「ティファニーで朝食を」。
この歳まで読んでいなかったなんて、なんて損してたんだって思うほど、
圧倒的なほど洗練された小説だと感じる。

新潮文庫、村上春樹・訳を読んでいる。
村上春樹がすごいのか、カポーティがすごいのか、分からない。
見開き2ページから、読む人を魔法にかけてしまうような、
優しくリズミカルな調子の文体で、どこか懐かしく、とびきり自由の時間であふれた、
1か月の当てもない旅行のような、
学生の時に長期休暇のど真ん中あたり、その日の予定がぽっかり空いた昼2時半頃の止まってしまった時間のような、
幻惑的な雰囲気を持った小説。

ストーリーと言っても、まだ数ページしか読んでないけど、
それを読まなくても大丈夫というサインが出ている。
二人の男が、いまはいなくなってしまった、魅力的な一人の女の話をしている。
彼女を追って、ストーリーは展開していくけど、一つ一つの文章が、凝縮された貴金属の輝きを
持っていて、その文章が映し出す、ひとつひとつの情景に耽ってしまって、はたと読むのを止めてしまう。

こんな小説初めてだよ。


人生で大切なことは、すべて「書店」で買える。

2012-07-10 21:51:32 | 本関係
「本気でお金を稼ぎたいと思うなら、経営学を学ぶよりまず心理学を学びましょう。」


   


皆様、こんばんは。木蓮です。このカバーデザインを見たら、本好きにはたまらなく
棚に並んだたくさんの本の中でつい目がいってしまうと思います。
本を買うときの判断基準って、皆様はどのように考えますか?
私の場合、ビジネス書なら目次、小説なら最初の1小節目で魅力を感じるかどうか
で決めています。あと、カバーデザインも大事ですね。カバーデザイン・見た目は
内容以上に一番最初に印象に残りますから。恋人で言うなら容姿は気になりますか?
という質問だと思います

目次でいうなら、例えば次のような章句。
 ・エグゼクティブはベストセラーを読んでいる
 ・買って家に帰る前にカフェで読む
 ・仲良くなりたい人のおススメ本は積極的に読む
 ・本にかけたお金とその人の年収は比例する

著者の千田琢哉さんは、大学4年間の間で1000万円分1万冊以上も本を読んだことがある
と書いているほどの読書家だそうです。私は到底及ばないほどの読書量ですけど、
書いていること、伝えたいことが心に染みるように伝わってきます。
今の私が読むべき本なんだなと、この本との出合いに感謝してます。
著者の方も経営コンサルタントということで、将来の目標人物のように眺めますが、
コンサルタントの方は例外なく、勤勉で読書家であるという著者の主張には、
私の今の読書量の少なさに対して脱帽の念を感じずにはおれません。

遅々として読書が進まない本。

2012-07-08 22:13:40 | 本関係
皆様、こんばんは。木蓮です。

全国各地、暑いですね。空気がじめじめしてて、外を歩くとほんとすぐ汗がでます。
午前中はそうでもないんですけどね。はやく梅雨明けして欲しいけど、
そしたら夏が本気出して、節電対策のお陰でもっと悲惨な状況になるのが怖い。

実は7月は私の誕生日月で、この歳になってもまだ両親からお誕生日祝いもらってたりするのですけど、
毎回何が欲しいというのもなんか照れくさくて、
シリーズ物(文学全集)を1巻づつ買ってもらっていたりします。

マルセル・プルースト
『失われた時を求めて』鈴木道彦・訳
 *4巻 花咲く乙女たちのかげに Ⅱ
 *5巻 ゲルマンとの方へ    Ⅰ


これが表題にもある通り、遅々として読書が進みません^^;
まだ1巻の最初なんですけど・・・。

「あんた、それ読んでないだけじゃないの?」

みんなからそう言われますが、
そうじゃないんですよ。読んでます。
寝る前に5分ぐらい読むだけなんですけど、
毎回1、2ページぐらいしか読めてませんね。

読んでいるうちに飽きるとか、ただ単に寝落ちするとか、じゃないです。
例えると、木々の梢の細部まで描き込まれた風景画や、一度見たら忘れられないような印象をもった人物画を
何枚も連続で休む間もなく見せられている感覚です。

字面だけを追っていくと、作者の手垢が残っているじゃないかと思うような単語の精緻な配置という印象を受けます。
(翻訳された方も相当な苦労してますよね、絶対)
ジェイムズ・ジョイスのユリシーズと並んで、色々と賞賛されている理由が分かります。

そんな伝説の文学作品を、私たちの世代が読むとどうでしょう。
増税だとか、就職難とか、ゆとり教育・学力低下とか、少子高齢化とかの問題を抱えた私達が実用的な目で見た文学作品。

「暇人じゃないと読まないよ、こんなの。もっと改行増やして」
「何が言いたいのかまったく分からん」
「これ何?中学生の読書感想文?」

何人かにこの本読んでもらった結果。これ正解。みんな正直さんです^^
私も激しく同意します。

ITストラテジストの勉強をしていてふと思うんです。
ITを活用して将来の社会をより快適に、先進的な世の中に変えていこうとしている現在21世紀があります。
でもその2世紀ぐらい前の19世紀には、
文学と宗教で、自分たちの将来の社会を明るく希望のあるものに変えていこうとしていた時代があったということ。
私の好きなドストエフスキーの著作に溢れる探究心・決められた枠から超越しようとする想像力は、
現代っ子の感性にも必ず届きます。

そんな時代の最後の延長線上とでも思えるような、
20世紀の文学作品も読み方を変えればきっと、受け入れられると思います。
そう直観します。


この小説は文庫版でもちくま書房から刊行されていますけど、
翻訳小説は、訳者の方の腕に掛かっていると感じさせます。

いきなり本文を読み進めても、まったくちんぷんかんぷんなのですけど、
集英社版のハードカバーには、まえがきが付いていて、
踏み込みがたいこの小説の入り口まできちんと連れて行ってくれます。

・『記憶』を第1のテーマにしている
・これは『無意識の小説』である

『記憶』『無意識の小説』というこの二つのキーワードを最初にもらっておくと、
時間を掛けても私は読めるようになりました。まえがき、すごく親切ですね。
余計なものでもなくて、不慣れな読者の良い道しるべになってくれます。

「眠っている人間は自分のまわりに、
 時間の糸、歳月とさまざまな世界の秩序を、ぐるりとまきつけている」

この1行読んだだけで、その日の読書完了になったりしました。

将来私はどんな小説を書くんでしょうね。
概念の断片がそこら辺に転がってるだけで、まだ形なんて全くありませんし。

バルタザールの風変わりな毎日(モーリス・ルブラン)

2012-06-21 00:27:13 | 本関係
皆様こんばんは。木蓮です。

モーリス・ルブランという作家さんは皆さんご存知の方も多いでしょうか?

名前だけは聞いたことあるよ。って方も多いでしょうし、
あ~、ルパンシリーズの作者ね。って実際小説を読んだことがある方もいらっしゃるかと思います。

コナン・ドイルの「シャーロック・ホームズ」によく対比されて語られることが多いようですが、
モーリス・ルブラン自信もホームズ作品にリスペクトされて、またその反動として書かれたと言われています。

常に冷静沈着なホームズと、いたずら好きであるときは紳士的で魅力的なルパンという、
対極を意識した人間性が印象的です。

私の場合、実はホームズもルパンもあまり読んでなくて、
探偵というと、ポーのオーギュスト・デュパンを思い起こしてしまうんですね。
デュパンは世間離れして、かなりミステリアスな探偵さんです。
そして、ホームズもこのデュパンからかなり影響を受けていると言われています。

デュパン、ホームズ、ルパンのお話はまた今度書くとして・・・

最近私が読んでいるのは、モーリス・ルブランの「バルタザールの風変わりな毎日」という小説です。
タイトルからしてなんか平凡そうですけど、読み始めて数ページ目から惹かれるものがいっぱいあります。



お話としては、とてもシンプルかつ日常的なことなんですけど。
文学的表現がすごく綺麗なんですよ。いまの新刊小説にはない、煌びやかさを保っているというか。

自称・哲学教授と名乗るバルタザールが、一般婦人向けの講義の冒頭でこう切り出します。

「とりわけ、みなさん。冒険精神など信用しないことです。人生には何も起こりません。
 人生はさまざまな現実の連続です。」

冒険精神豊かなルパンのアンチ・パターンとして作者は書いたようです。
こんな主人公がまた、小説のお話になるんですね。

小説のストーリーを追っていく読み方よりも、表現方法を読んでいると気持ちよく感じます。
なので、気に入った表現をその都度ノートに書き写していったりしています。


―――ちょっとした土さえあればすぐに芽を出す種子のように、この不毛な土地で成長したのだった。

―――野心を捨て、あらゆるものに満足した彼は、洒脱の巧妙さで、二十もの職を持ち、
   無数の細かな事柄に専念した。

―――彼女のやさしい目は、時どき無邪気な尊敬と限りない愛情をこめてバルタザール氏に向けられた。

―――がやがや騒がしいお喋りのなかで、コロカント(バルタザールの世話人の少女・秘書?)は
   尊敬で大きく目を大きく開き、口を開け、束にしたふた束の麦わらのようなおさげで顔を両側から
   はさまれながら、じっと耳を傾けていた。

 ※顔を両側から「はさまれながら」って表現が、ふた束のおさげの質感とこの子の可愛らしい表情
  が読んでる人にすごく伝わってくる表現だと思って、絶句したのを覚えてる。

―――彼女はバルタサールと発音した。するとその三つのシラブル(音節)は彼女の口のなかで、
   カルデア(古代バビロニアの地方)の王の名前にふさわしいような豊かさを帯びた。

 ※「豊かさを帯びた」って表現が広がりを感じて、すごくいいと思う。

―――高揚した口調にもかかわらず、芝居に登場する女王のよう堂々としていた。


ちょっとした仕草の描写でも情緒的な広がりのある美的表現、
言葉という記号から被写体の質感までも想像させる表現手法は、
今の新刊小説にはあんまりないように感じます。

言葉にできる理想はもはや現実のもの?

2012-05-31 12:14:56 | 本関係
皆様こんにちわ、木蓮です。

池田晶子の本を読んでいてふと頭に浮かんだこと。

理想は、たしかに理想だか、
語られるが故に、実現可能な現実に他ならない。

理想だからといって、現実に合わせて理想を変えることは
正しくない。

私たちは自分に理解不能なこと、達成が困難なことは、
現実とは切り離して考えてしまう。妄想や理想論。

埴谷雄高と池田晶子

2012-02-19 22:46:34 | 本関係
埴谷雄高の小説「死霊」を読むきっかけになったのは、
池田晶子を通じてだった。

それでどのようにして、池田晶子から埴谷雄高を知ったかは、
この本を読んでからだったのか、は覚えていない。



「最後からひとりめの読者による埴谷雄高論」というへんてこな題名の論文を見て、
興味を惹かれたのだろうか。

この論文、冒頭の書き出しから印象的だ。
『「極度に凝縮された思想は詩に似てくる」とは誰の言葉だったか思い出せないのだが・・・』
そこから始まる論文は、なにやら、文語と口語が入り混じった、
ちょっと砕けた文体なのだけども、いかにも生身の精神がものをいってるように、
真正面から矢で的を射抜かれたような逃れようもない仕掛けのようだった。

久々に、といっても1年に一回くらいは読み返すけど、手にとって読んでみた。
昨日お仕事をしていて、頭が休みの日に切り替わらなかったからなのだけど。

読んでいて、10ページぐらいで飽きてしまった。

池田晶子の主張、言いたいこと、伝えたいこと。
すべて私は了解している。そう思った。
だってこの人は、どの著作、どんな対談、時にはTVのニュース番組に出ても、
全く同じ1つの主張しかしていないから。
何十もの著作が出されていようが、1冊読めばすべてを把握できてしまう。
そんな人だった。

言動が直裁で、嘘偽りないひとは、そういう人なのかもしれない。
駆け引き、損得勘定なしの人。わたしの親友にも1人いる。そんなひと。
わたしが大好きなタイプの人。

なんだか池田晶子だけの記事になったかな^^;
埴谷雄高さんの論述をしたかったのだけど・・・。
また来週ですね。

太陽の季節・石原慎太郎

2012-02-18 22:13:39 | 本関係
石原慎太郎さんのデビュー2作目。読了しました。



まず率直な感想。自分が伝えたいことを素直に書いていて、分かりやすい。どんどん読んでしまう。

テクニックを磨くことよりも、
書くべきことを、いかに書くか。
そこに焦点をおいているのが分かる。

たしかに、倫理的に見て問題ありの場面も多いけど、
その方が人物としてリアリティーがある。

当時石原さん23歳?
無名の学生さんだったみたいだし、
これを書いて世間がどんな反応を示すかまで考えて書いてないでしょ。


☆少し、あらすじを書くので、ここからネタバレ記事有りです。

主人公の竜哉、勝手気まま、自分のしたいことだけをしようとする奔放な性格。
ボクシング部なのに、イライラしたら一般人に平気で暴力を振るう。
でも、ボクサーが抱える孤独感、精神と肉体の一体感に惹かれていくことで、
ボクシングに関しては真面目な選手。
夜遊びが好きな仲間達と遊んでいるとき、街で出会った英子(彼女)に強く惹かれていく。
彼女を口説き落とすところまではすごく愛情を見せるけど、
彼女がぞっこんになってしまった瞬間、手のひらを返したように突き放して
激しくののしったり、他の女性とわざと仲良くしたり。挙句に兄にお金で売ってしまう。

彼女が妊娠したとすると、最初はのん気に喜んで産むことに賛成していたけど、
気が変わって絶対堕胎しろという。しかもその時期が4ヶ月ぐらいになったときで、
帝王切開の堕胎手術のあと、彼女は亡くなってしまう。



筋だけ見ると、最悪な風俗小説です。その手の類の感想は、
インターネットで検索するといくらでも見つかりますし。

「いきなり左手で相手の鳩尾(みぞおち)を突き」

「竜哉は子供を始末することに決心した。赤ん坊は、スポーツマンとしての彼の妙な気取りの為に殺されたのだ。」

「女は彼等にとって欠くことの出来ぬ装身具であった」

「女、取引き、喧嘩、恐喝と彼等の悪徳が追求される題材は限りが無い」

「よし、あの五千円であ奴(英子)を売ってやらあ」


規制する側からすると、とても分かりやすい。



でも、正直な話。こういうひとはどの時代もいる。
言葉は違っても、同じ精神をもった人は必ずいる。
表現の仕方、方法に作者は主目的を置いていない。

それは、話の区切り区切りに見る、
主人公が見ている同時代の人間の本質(うわべの言葉や風潮ではなくて)を感じる
一節が挿入されている。

この部分を作者は云いたかったんだと思う。

「この年頃の彼らにあっては、人間の持つ総ての感情は物質化してしまうのだ。
最も大切な恋すらがそうでなかったか。
大体彼等の内で恋などと云う言葉は、常に戯画的な意味合いでしか使われたことがない。(P34)」

「彼等の示す友情はいかなる場合にも自分の犠牲を伴うことはなかった。
その下には必ず、きっちり計算された貸借対照表がある筈だ。(P35)」

「彼等は徳というものの味気なさと退屈さをいやと云うほど知っている。
・・・彼らはもっと開けっ拡げた生々しい世界を要求する。
一体、人間の生のままの感情を、いちいち物に見立てて測るやりかたを誰が最初にやり出したのだ。(P36)」

もうこの中盤のページがほとんどこの調子。バランスよく書き分ける、
読者を退屈させないように構成を工夫するなんてことは考えてない。

私も書きたいこと、読みたい部分はそういった、人の行動の裏にある、
本質的な情動なのだと思う。

今回受賞した芥川賞作品と比べても、
55年前の芥川賞作品の方がよっぽど面白い。

芥川賞受賞作よりも気になるのは石原さん

2012-02-13 22:05:41 | 本関係
芥川賞が掲載される文芸春秋だけは、毎回買うようにしている。



芥川賞の作品ってなんでこんな読みづらいんだろう。
まず前置きが長いし。。それに冒頭から謎賭けのような文章が多いし。。

文学作品を評価するって、どうするんだろうね。
やっぱり評価基準を作って、採点するわけだろうけど。
論文の採点ならできるけど、芸術作品、それも純文学となると、
何が良くて、何が悪いなんか分からない。

小説技法で決めるわけにもいかないし、文章構成力?
実用文でもないしね。それは違う。

結局主観的評価しかない。

今回の受賞作、「共食い」「道化師の蝶」を読んだ。
「共食い」はいかにも芥川賞作品。前置き長いし、
格式ばった書き方だけど、いいたいことはなんなのか、私には分からなかった。
リアリティはあるよ。でもそういうのが読みたいわけじゃない。

「道化師の蝶」はもう最初から読む気がしなかった。
エンターテイメント作品に近いよね、このお話は。純文学として読み始めると、
一気に覚める。でもすごい上手い作品。普通に読んだら面白いと思う。

作品を読むのと同時に必ず選評も読む。石原慎太郎の選評はいつも率直な意見が
書かれていると思っていた。他の選考委員さんは、どこか作り手のひいきをしているから。

今回で選考委員を辞退することになった、石原慎太郎の選評を読んで、
なんだか呆然とすること2分ぐらいの時間があったように思う。

「日本という社会に育まれてきた国民の自我の虚弱さを称するものでしかない。
 そして新しい世代がものする最近の文学作品もまたそれを表象していると思われる。
 描かれている人間達のほとんどがちまちまとひ弱く、どの作品のそれもそのまま横並びの印象に
 くくられている。(中略)故にも老兵は消えていくのみ。さらば芥川賞。」

これを見て、石原慎太郎の芥川賞受賞作、「太陽の季節」を読んでみたくなった。

第146回芥川賞発表

2012-01-19 22:37:53 | 本関係
芥川賞候補作は「バカみたいな作品ばかり」 選考委員の石原都知事

こんばんは。木蓮です。

今年も芥川賞が発表されましたね。
2作品が受賞となって、楽しみが増えました^^
芥川賞受賞作は毎回文芸春秋を買って読んでますから。
どうも、今回の受賞者は変わった人らしいですが・・・。

芥川賞受賞作を読みたいのもありますけど、
もっと気になったのが、選考委員の石原慎太郎さんの選考コメントですね。
(冒頭リンク)

芥川賞候補作は「バカみたいな作品ばかり」 選考委員の石原都知事

「自分の人生を反映したようなリアリティーがないね」
「(作品に)心と身体、心身性といったものが感じられない」と指摘。「見事な『つくりごと』でも結構ですが、本物の、英語で言うならジェニュイン(正真正銘)なものがない」

私も書き手というよりも、まだまだ読み手の方ですが、
感じるんですよ。今の小説はなんか自分には合わなくて。
古典文学の方が読んでいて、自分の奥深くに入り込んでくるような感覚があるんです。

今回の受賞作を読んで、古典文学とどんな違いがあるのか、
考えてみたいです。



作家・三浦しをん ~ 1文1文大切に書く。

2011-12-19 22:34:47 | 本関係
文章がわたしの心と溶け合っていくのを感じる。すごい。



こんばんは。木蓮です。

情報処理の参考書を買いに行った際に、たまたま新刊で出ていて、
開いた本だった。
目に付いたのは「君はポラリス」というタイトル。
大好きな惑星ソラリスと似てたから^^;

大体自分に合うか合わないかは、1頁目でわかる。
面白い。20ページは立ち読みしたかもしれない。

とにかく描写が斬新で、とっても分かりやすい。
往年の作家さんの書く小説は、重厚で書きなれてるなぁって
思うのですけど、説明的な文章が多い、描写を通して伝わるイメージがない、と
ちっともワクワクする文章じゃない。

でもでも、三浦しをんさんの文章は違う。
76年生まれで、年代的には近いし、考え方が似てるのかな、私と。

恋愛をテーマにした、短編集なのですけど。
そんなの関係なしにでも読めます。

冒頭1話。「永遠に完成しない二通の手紙」。
恋愛がテーマと思って読むと、出てくるのは男子学生2人だけ。
しかも男子学生のアパートから一歩もでないし。
一人の男子学生が合コンで知り合った女性にラブレターを書きたいんだけど、
もう一人の男子学生に手伝ってくれって頼み込んでくるとこから始まるんだけど。

BL小説っていうのかな、これ。私はあんまし興味ないからなんとも思わないけど。
節々に出てくる人の描写、場面描写がとても分かりやすい。

どういう風に分かりやすいのかな。
1文1文に丹念に時間を掛けている。そう感じるから。
ベテランの作家さんはそんなことはしないだろうから。
だって、SEのお仕事でも、ベテランになると、部分より全体を重視するし、
時間を効率的に使うほうに労力を傾けるでしょうから。

私は1文1文を大切に書いているこんな作家さんがずっと好きです。

「自尊心の病」から感じたこと。

2011-12-10 22:30:42 | 本関係
「われわれは自ら変わろうと思って変われるものではないからです」
「では、何が私たちを変えるのでしょう。」

こんばんは。木蓮です。


昨日の記事でも紹介したリンク記事がとても気になっています。
自尊心の病について。
その病気にかかっている人は、自分より優れた人を見ると、
その人を乗り越えたくなるそうです。
わたしはその病気にかかっていると思いますね。
自分の興味があることに関して、何でも吸収しようとしますし、
乗り越えてみたいと思うタイプです。

私が気になるのは、その先のことです。

何が私たちを根本的に変えるのでしょう?


自尊心の病について、私は考えているのではないですよ。
この方のおっしゃってることは間違いないと思います。

「それは、言ってみれば、わたしならぬ私でしょう。」
いまのわたしならこう答えると思う。

結局、自分を変えることができる、というより、
私たちが考える自分の枠を超えたところにある私だと思うんです。