副田本道の「平和維新」

私の夢:「平和維新」を世界の共通語にすること。

>ない袖は振れぬ

2009-07-25 15:42:23 | Weblog
入口は阿修羅。一粒万倍日。来訪者様に感謝。
Nevada(金融危機特集)の紹介です。nevada_report様に感謝。

全国地方銀行協会の中川洋常務理事は、国には金がないですよ。という代わりに、
ことわざ「ない袖は振れぬ」を、使っています。
だれが悪い。みんな有権者が悪い。いまさら責任転嫁しても遅い。

で、電子辞書の故事ことわざ辞典で、「ない袖は振れぬ」を検索してみると、

ことわざ「ない袖は振れぬ」
「実際に持っていないものはいくら出したくても出すわけにはいかず、どうしようもないということ。」
An empty bag will not stand upright.
(空の袋はまっすぐに立たぬ)

とある。
おかしいな、タンス預金の「特別会計の埋蔵金があるはずなのに」と、
タンスのすみまで、探してみてもないみたい。
新聞記事やテレビ放送などでしきりに、民主党が「現実路線」に戻っていると、報道している。
じゃ、今までは夢まぼろしか。

現職の全国地方銀行協会の常務理事が、国にはカネがないと言っているので、間違いはないだろう。
さらに、私たちの銀行も、とならないことを祈る。

紹介はここから。
Nevada(金融危機特集):経済情報(ない袖は振れぬ)Nevada(金融危機特集)
このブログはロイヤルアートグループのお客様へ【速報】としてお知らせしているもので、経済・金融・株式・社会時事問題を随時解説させて頂きます。(非公開情報は別途配信させて頂きます)週末等も随時更新していきます。経済情報(無視されたFRB議長証言)│経済速報(都内の工業生産減少と統計)

2009年07月24日経済情報(ない袖は振れぬ)
全国地方銀行協会の中川洋常務理事は以下のようなコメントを日経新聞に投稿しています。

タイトル【ない袖は振れぬ】

『財政健全化の一里塚とされてきた基礎的財政収支の2011年度黒字化が、今年の「骨太09」で10年近く先送りされてしまった。』
『(財政)再建の手掛かりをつかめないまま財政状況は悪化の一途をたどっている』
『財政こそ日本の将来にとり最大の難関である』

*まさにその通りであり、今の麻生政権はありとあらゆるバラまきを行い、国民はそれをありがたいとして享受するだけであり、財政のことを全く考えていません。

<エコ減税>というばら撒きも自動車・家電業界にされ、国民はプリウスに殺到していると報じられていますが、このばら撒き用のお金は一体だれが払うことになるのか?
日本国民と企業なのです。
回りまわってすべての国民が負担することになっているのです。

『財政規律は、財政決定者である【国会】の政治判断に依存している。政治がその重責を忘れ、目先のばら撒きや人気取りに踊っているようでは、それは守れない』
『責任ある財政決定者ならば、今こそ「ない袖は振れぬ」という財政規律の本質を国民に語らなければならない』
『国民はそれに耳を傾ける必要がある。国民が望む受益の実現にはどうやっても国民の<負担>が避けられないからである」

*今、自民党も民主等もばら撒き政策を打ち出していますが、果たしてそれでよいのでしょうか?
借金(国・地方あわせ)が短期・長期あわせ1,000兆円にも達している今の日本は、税収が激減してきている中、もはや尋常な手段では返せないと為政者なら皆が思っている筈です。
(何も考えていない為政者もいるでしょうが・・)
国民の中にも、「この借金はどうせ返せない」と思っている方も多いでしょうが、「自分には関係ない」として<見ざる・聞かざる・言わざる>となっているのです。
しかしながら借金は日々積みあがっていっています。

『増税等の議論が進まなければ財政の持続性への疑念がいよいよ深まる。
国債など長期金利の上昇という形で市場の規律が動き出すことだろう。』

*仮に国債利回りが昔のように<6.1%>(61国債の悲劇とも言われたこともありました)になれば、1,000兆円の借金では年間利払いだけで61兆円にも達します。
大増税を行い、年間税収が61兆円ありましても(今は30兆円台)すべて利払いで消えてしまうのです。

今回の地銀協会常務理事の投稿は、週末にじっくり国家財政を考える上で非常に為になる内容だと言えます。
nevada_report at 12:43 │71拍手

紹介はここまで。
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私は、2人の先生の教えに参加しています。
伊勢白山道先生の
>生かして頂いて ありがとう御座位ます
人類の 5% 運動を広めたいです。
武山祐三先生の「ホ・オポノポノ運動」
>ホ・オポノポノでは、ただ単純に、
「愛しています、ごめんなさい、許して下さい、ありがとう」
とだけ言います。そうです。これは清めの言葉であり、意識の浄化の実践なのです。
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