副田本道の「平和維新」

私の夢:「平和維新」を世界の共通語にすること。

世の中の仕組み

2009-12-31 16:24:46 | Weblog
入口は阿修羅。一粒万倍日。来訪者様に感謝。
HP「東海アマ」の紹介です。管理人様に感謝。

ベンジャミン フルフォード先生のブログを毎日訪問していますが、
いまひとつ理解しづらかったのですが、以下に紹介する文章を読むと、
フルフォード先生の言わんとすることが、良く判りました。
世の中の仕組みは、凡人の私には理解しづらいです。
毎日少しづつ学んでいけば、少しは判るのではと、
楽しみにしてネットの世界を遊泳中です。
平成21年もきょうで終わります。
来訪者様にとって、
平成22年が良いお年になりますように。

紹介はここから。
★ 2009年12月30日水曜日 8時更新http://www1.odn.ne.jp/cam22440/yoti01.htm
■ 提訴された金融詐欺師たち イーグルヒットの、とても良い記事、褒めてつかわすぞえ (^^;)

 【今朝方の報道で、ゴールドマン・サックスが信金中央金庫から、破綻したリーマンブラーザズの債券約約5700万ドル(約52億5000万円)相当の請求権を買い取ったということだ。リーマン請求権市場は活発化しているということだが、莫大な総債権請求額(約8240億ドル)のうち、どれだけ支払われるかはわからない。
http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90920009&sid=adN1ouQAHN_Q
ゴールドマンの企みは何なのか? ロイターでは全く別件であるが次のような記事があった。水面下の動きを象徴しているだろう。
 米Mスタンレー、12億ドルのCDO販売めぐり年金基金が提訴
12億ドルのモーゲージ関連証券の販売をめぐって、バージン諸島の年金基金が米モルガン・スタンレーを提訴したことが、裁判所への申し立てで明らかになった。 24日に米マンハッタン連邦裁判所に提出された申し立てによると、モルガン・スタンレーは、「リベルタス」という債務担保証券(CDO)の一部として2007年に販売した証券について「トリプルA」格付けを得るため、ムーディーズ・インベスターズ・サービスおよびスタンダード・アンド・プアーズ(S&P)と協力したとされている。 このCDOは、その後間もなく破たんしたサブプライムローン(信用度の低い借り手向け住宅ローン)会社ニュー・センチュリー・フィナンシャルなどが発行した証券を含む質の低い資産を裏付けにしていたという。
 同年金基金は、モルガン・スタンレーがこうした裏付け資産について、CDOの格付けが示すよりもはるかにリスクが高いことを認識していながら、投資家をだまそうとしたと主張。その根拠として、モルガン・スタンレーがこのCDOをほぼすべて売り持ちにしていたことを挙げ、同社は価値の下落を見込んでいたと主張している。このCDOの価値は実際、2008年に下落した。 モルガン・スタンレーの広報担当者はコメントを控えた。S&Pの広報担当者は現時点でコメントはないと回答、ムーディーズのコメントは得られていない。ムーディーズとS&Pは提訴を受けていない。【ロイター07:04】
これは氷山の一角であり、モルガン・スタンレーばかりでなく、ゴールドマン・サックス、JPモルガン・チェース、シティグループなど国際金融資本家らが仕組んだが、壮大な"金融詐欺商法"である。格付け会社はその片棒を担ぎ、二束三文のジャンク債権に「最高ランク」を付けて販売していたのである。それがサブプライムローン破綻からリーマンショックに至る金融危機へつながっているのだ。
 リーマン債権市場が活発化しているというのは、裏返せば、リーマンが発行したサブプライムローン債券やCDO債券などの評価額が、未だもって確定しないほど、分からないのである。リスクの細分化と称して複雑な仕組み債をつくり、誰も理解できない金融商品は売りつけていたのである。そして、格付け会社がそれを後押ししたわけである。信金中央金庫、農林中金など日本の金融期間もまんまと騙されて買わせられていたわけである。

さらに由々しきは、いずれ破綻することであろうことを予期して自ら"売り"をかけて儲けていたのである。それがゴールドマンやMスンタレーら金融マフィアが仕掛けた罠、すなわち、金融詐欺だったわけである。
さて、問題は、今回の報道で、ゴールドマンがリーマンの債権を買い取り、Mスタンレーが提訴されたということである。この背後には何があるのか?そのヒントは、"バージン諸島の年金基金"である。
 バージン諸島といえば、タックスヘイブン(租税回避地)で有名である。いわば、金融マフィアらの巣窟である。世界のタックスヘイブンには、今回の金融危機で儲けた莫大な資金(裏返せば、世界中が損失した資産)が分散されて、隠されているのである!そして、重要なことであるが、このタックスヘイブンのほとんどを領有、影響下に置いているのが、宗主国イギリスであり、英王室なのだ!
従って、金融マフィアらは英王室のための動いていたといっても過言ではない。そして、今回、金融マフィアらに追い打ちをかけているのは、欧州貴族・中国マフィアである。 それがゆえ、ゴールドマンは、昨日報道であったように中国企業から支払い拒否を受けたり、一味の破綻役を担ったリーマンの債権を買い取り、"手仕舞い"を始めようとしている。
Mスタンレーは、バージン諸島などタックスヘイブンに影響力をもつ欧州貴族らの(英王室と同等以上の権力を持っている)後押しによって提訴を受けたのである。つまり、これまで実働部隊として動いてきた金融マフィア一派らが、欧州貴族によって"粛正"されつつあり、次のステージへと向かおうとしている
のである!
無論、金融マフィアも黙って退場していくことはないだろうが、来年以降、この闇の勢力が動き出し、全世界を"粛正"していくことになるのだ!】
紹介はここまで。

世界中に伝えても良いのでは、と思っています

2009-12-30 07:09:38 | Weblog
入口は阿修羅。一粒万倍日。来訪者様に感謝。
阿修羅への投稿の紹介です。投稿者 語巻き様に感謝。

日本国での風習。
12月
イエスの誕生日で、サンタさんの贈り物。
除夜の鐘、「108の煩悩をおとす」

1月
新年を、お宮さんで「初参り」

時期を問わなければ、
結婚式は、
神式か、仏式か
神前式か、いずれか。

世界中で、こんなに複数の宗教がからんだ、日常宗教行事が混在しているのは、ないと思います。
しかも第2次世界大戦後、もっとも平和を受けています。

なぜこのような風習になったのは、どういう理由かは解りません。
でも世界中で、戦争がない期間が長かった日本国の習慣を、
世界中に伝えても良いのでは、と思っています。

紹介はここから。
キリスト教の代わりに日本人の宗教観を世界に布教すべきである
http://www.asyura2.com/09/holocaust6/msg/146.html
投稿者 語巻き 日時 2009 年 9 月 29 日 23:59:48: FbKi3ZdqZar8U

1.深刻な抑圧や社会不安こそが民族の信仰心を強めます。異民族による抑圧や抗争は、民族独自の存在である宗教や神を際立たせ、民族の結集を図ることとなりがちでしょう。離島に居住する日本人は、他の多くの民族と比較すれば、異民族による抑圧を初め、さほど深刻な抑圧を経験する機会が少のうございました。そのため、他の民族のように、信仰を先鋭化することなく、自然環境や人間社会の全体を具体的に形象化して神に置き換えることをしませんでした。つまり、自然環境や人間社会の全体を抽象的な超自然的存在のまま置き続け、アニミズム、シャーマニズムの古俗信仰を残し続けた民族であると言えましょう。
 儒教・仏教の伝来当時の日本人は戒律が宗教にとって不可欠なものとは考えていなかったように見受けられます。神道では、祭祀・勤行(ごんぎょう)は実行されて来ましたけれども、戒律が具体的な形で存在したようには見受けられません。神への帰依の証として自らの行動を慎むことは、祭祀・勤行の実行と比べるといくぶん高度の発想を要するように見受けられます。したがって、仏教の導入に当たっても、当初は戒律(この場合の戒律は教団内部での行動規範に限られるけれども)を受け入れておりません。そのため後になって、日本人僧侶の懇請を受けた鑑真和上が、戒律の伝道のためだけに、非常なご苦労を重ねて来日しています。
 すなわち、儒教・仏教の伝来当時の日本人の信仰は、漢字伝来まで文字を持たなかったことも手伝って、宗教的にさして体系化され、高度化されてはいなかったのではありませんでしょうか。神道が教義を欠くことについて、「神ながらに言挙げせず。」とされますけれども、そのことは神道の発生経緯が判らなくなってしまってから付会された解釈ではありませんでしょうか。
 およそ、宗教や信仰は人類の作り出したあらゆる主義・主張のなかでも最も強固な独自性・排他性を有するものでしょう。したがって、異なる宗教同士の接触は摩擦を生みやすい。また、逆に強力な宗教の伝来により、既往の土着宗教が新たな外来宗教に吸収されてしまうことは、人類史上しばしば見受けられるところです。
 ところが、強力な宗教や明確な教義を持たなかった日本人は、仏教伝来に接して、蘇我・物部戦争などをも発生させはしましたけれども、おおよそ平和的に仏教を受け入れております。ただし、日本人は伝来した仏教をそのまま丸ごと受け入れることをしませんでした。その多くに少なからぬ修正を加えております。また、仏教を受け入れても、古来のアニミズム・シャーマニズムによる信仰の対象を新来の仏神に置き換えることをしませんでした。これらは神道として生き残り、多くの日本人の信仰の底流であり続けました。神仏混淆(こんこう)です。
 次いで、神仏習合が生まれ、本地垂迹説(ほんぢすいじゃくせつ)が生まれるなど、全く異なる宗教同士の融合を行なっております。神仏習合は聖徳太子が取り入れたとされ、その後、神宮寺(じんぐうじ)と言う寺と神社の機能を併せ持つ寺院が各地に建立されました。このような宗教の融合事例は比較的珍しく、寛容や他種の文明の容認など日本文明の持つ特異性の一つでありましょう。


2.その後の日本における仏教は独特の変遷を遂げて来ております。伝来当初の仏教は国家の安泰を祈願する「国家鎮護の仏教」であり、専ら貴族階級の宗教として存在しました。その後は誰にでも実践可能な勤行を求めて「易行化(いぎょうか)」し、一般庶民への普及を遂げて行きました。そのことは、天台宗において最澄が戒律を大幅に軽減し、出家者に対するばかりでなく在家者向きの性格を帯びさせたことに始まります。
 鎌倉時代に入ると、修行や戒律を重視する既成の仏法に対して、法然、親鸞や一遍らは誰もが実践できる勤行(ごんぎょう)として「専修念仏(せんじゅねんぶつ)」を説きました。つまり、阿弥陀如来の本願により貴賎男女を問わず誰もが極楽往生できるとし、そのことへの感謝の印として念仏を唱えるとしたものです。
 戦国時代の一向一揆を経験した江戸幕府は、民衆の信仰を管理統制するために、寺院諸法度(はっと)、本末制度、檀家制度などを定めました。これらは個人の信仰に介入するもので、寺院は幕府管理下で権威を保ちましたけれども、仏教そのものは宗教活動として形骸化して行きました。仏教の勤行・葬祭は宗教としてではなく、世俗的習慣として、「世の習い」の一環として、実施されることとなって行ったと言えましょう。
 仏教の教義も戒律も僧坊の内に止まるのみであって、一部の熱心な信者を除けば、一般の日本人がそれらに影響されるところは大きくありませんでした。また影響されたとしても、教義や戒律が「世の習い」の一部と化していて、それらを通じての影響であったと考えられます。
 他の多くの民族にあっては、形象性の高い特定の神や特定の神の代理人を信仰する、宗教重視の文明である事例が多い。そして、その歴史において、また現代においても、宗教や宗教的戒律が社会的に特別な力を持つことが多い。それに対して、日本人の歴史において宗教が社会的に特別な力を持った時代は比較的少のうございました。ただ、戦国時代の一向一揆、江戸時代に入っての島原の乱などが見られるのみです。これらの抗争の時代が宗教の先鋭化を招いたのでしょう。しかし、そのような一部の例外的時期を除けば、日本史上に宗教的抗争はあまり見られません。日本人の文明は、原初のアニミズム、シャーマニズムを捨てることなく、宗教に人間生活の不安解消と安心立命以上の効果を求めることなく、穏やかな原始の信仰を保ち続けた文明であると言えましょう。
 大部分の現代日本人は、特定の神や特定の神の代理人を信仰するのではなく、自己を成り立たせている自然万物の全て、人間社会の全てを抽象化した「世間」を信仰の対象とします。たとえば、キリスト教徒の食前の祈りが神への感謝であるのに対して、日本人の「頂きます。」は、料理を作った人々、食材を作った人々、食材そのもの、食材を育(はぐく)んだ自然万物に対する感謝です。また、行動規範として宗教的戒律を採用することなく、「世の習い」という社会的慣習に従っています。「世間に顔向けができない」、「バチがあたる」、「もったいない」、「皆様のおかげ」は、そのような日本人の信仰告白です。宗教的色彩を帯びた祭祀(さいし)、勤行(ごんぎょう)、参詣(さんけい)、葬祭などを実行しますけれども、それらは単なる生活習慣でしかありません。
 一般的な宗教のように特定の神や特定の神の代理人を信仰対象とはしないため、大部分の現代日本人の信仰には普遍性があり、異同がありません。そのため、宗教固有の偏狭性を免れており、独善的で立証不可能な主観をもって他者を攻撃する副作用が全く含まれておりません。また、人間生活を成り立たせている自然万物の全て、人間社会の全てを信仰対象とするため、極めて人間的であり、宗教固有の非人間性を免れております。ひょっとすると、日本人の信仰のあり方こそが、今後の人類文明の進展に最大の寄与を示すこととなるのではありませんでしょうか。


3.他の多くの民族の宗教が成文律的であるのに対して、日本人の信仰は不文律的であり、黙示的であるようです。
 宗教は一般に次ぎの諸要素から構成されます。
  ①超自然的存在である神の存在の確信と帰依(きえ)による信仰
  ②教義およびそれらを明記した教典
  ③神の代理人および信仰者らの集合からなる教団組織
  ④信仰の証明となる祭祀(さいし)・勤行(ごんぎょう)の実行と戒律の遵守
  ⑤信仰に対する神の恩寵と不信仰や破戒に対する神や神の代理人による制裁
 ところが、多くの日本人の場合、自然万物の全て、人間社会の全て(したがって、「やおよろず」)を超自然的存在として漠然と信じて、帰依による信仰を所有しますけれども、特定の神・教義・教典・教団組織・特定の神の代理人を持ちません。たとえ氏子や檀家ではあっても、教団組織と言えるほどの確たる宗教的色彩を持ちません。そして、葬儀、法事、祭典、クリスマスなど雑多な祭祀・勤行を世俗的社会慣習として、「世の習い」として、実行しております。
 行動規範についても、宗教的戒律によることなく、専ら世俗的社会慣習である「世の習い」に従っております。ときに、外国人から「宗教的戒律を持たない日本人が、なぜ道徳的で居られるのだろう?」と、不思議がられるようですけれども、「世の習い」は宗教的戒律と比べて、より根源的であり、より人間社会的であるから、当然でありましょう。
 端的に申し上げれば、大部分の現代日本人は、信仰心は持っているけれども、宗教は持っていないと申せましょう。  
紹介はここまで。

オルタの友様に感謝

2009-12-29 15:49:17 | Weblog
入口は阿修羅。一粒万倍日。来訪者様に感謝。
28日の「公安のリストに追加されること間違いなし」の記事に、
コメントがありました。その紹介です。オルタの友様に感謝。

私は、コメントの内容を、確認できません。来訪者様自身で、ご判断ください。

紹介はここから。
コメント
Unknown (オルタの友)
2009-12-28 12:30:24
公安の上層部はCIA。オルタの情報源はCIAより、さらに上層部。オルタは公安程度を抑えることは簡単。従って、オルタを読んでいて公安に問題にされる心配は無い。警視総監と親類なら、地元の警察署長など、怖くないのと同じ。
紹介はここまで。

「公安のリストに追加されること間違いなし」

2009-12-28 07:03:46 | Weblog
入口は阿修羅。一粒万倍日。来訪者様に感謝。
有料メルマガ「オルタナティブ通信」が届きました。
来訪者様にぜひ読んで欲しいのですが、
>※このメールマガジンは、いかなる形でも、記事の全体または一部を転送、転載することを禁じます。
となっています。

インテリジェンスを勉強されておられる来訪者様で、まだ購入されていなければ、
ぜひ購入されることをお勧めします。

ただし、心配ですが、「公安のリストに追加されること間違いなし」と思いますので、
リスクを充分考えて購入して下さい。

紹介はここから。
送信者: "事務代行業 ㈱メガファイナンス"
宛先: "事務代行業 ㈱メガファイナンス"
件名 : 第16号  メールマガジン版オルタナティヴ通信
日時 : 2009年12月27日 20:06
◆□■□■□■□■□■□◆□■□■□■□■□■□◆
    メールマガジン版
       オ ル タ ナ テ ィ ブ 通 信
                     第16号
       ※転送・転載厳禁 
◇■□■□■□■□■□■◇■□■□■□■□■□■◇
今週の目次:
「英国王室のチェスの駒達」

「世界を本当に支配する者達」

「自衛隊による北朝鮮攻撃計画」

「日本社会は巨大な、アウシュビッツの強制収容所」

※このメールマガジンは、いかなる形でも、記事の全体または一部を転送、転載することを禁じます。
紹介はここまで。

サンタさんのプレゼント3

2009-12-27 08:13:02 | Weblog
入口は阿修羅。一粒万倍日。来訪者様に感謝。
ブログ「マヨの本音」の紹介です。管理人様に感謝。

サンタさんのプレゼントに喜んで、靴下を全部ひっくり返していませんでした。
なにげなく、靴下をひょいひょいと揺らしていましたら、
ここに出てきました。プレゼント3です。

私のサンタさんのプレゼントの
キーワードは、「天皇」です。

サンタさんのプレゼント3の紹介です。
私の立場の位置は、西暦+660年ではありません。

私の立場の位置は、「竹内文献」です。
感応優れた肉体を持った、メッセンジャーが
教えてくれました。

キーワードは「洗脳」です。

「洗脳」は簡単に出来ます。
「ウソを7回言えばOK」です。

「人間は、7回かけて自分を変えている」のです。
逆に、7回かけて変えれば、「洗脳」は溶けるのです。

紹介はここから。
マヨの本音
 日本の古代史から現代まで、歴史を学びながら現代を読み解く。起こった出来事は偶然なのか、それとも仕組まれたものなのか?神を閉じ込めてきたのは・・・・
2009年12月26日 09時56分23秒 | http://blog.goo.ne.jp/palinokuni/e/ebf3fe289f4707f271874ae990019a8d
陰謀論ある人がマヨちゃんは「ニダ系工作員」だというレッテルを貼ってくれた。よく意味がわからないが、確かに北朝鮮や在日韓国人らの擁護発言からして、そう思われてもいたしかたないのか、などと考えている。どう思われようと私には関係のないことである。

私は日本の支配者の歴史を調べているうちに、日本にはいくつかの支配層があり、それぞれが争ってきたのが日本の歴史そのものであるという考え方をしてきた。そしてそれらの支配層が天皇と「お種」をやり取りし、言ってみれば天皇家は「お種」の保存機関だと考えるのである。

私の研究では、日本にいる源氏は満州から直接渡来した鮮卑族で、特に高い「お種度」を持っていたのが北魏王朝の王家である拓跋族だと考えた。これが藤原北家である。そして、同じ鮮卑、慕容氏は安氏を好太王として高句麗王に送り込み、さらに彼は倭王も兼ねた。その後、安氏は南下し、安羅国を作る。安羅王の皇子が日本へ侵入し、応神天皇として近畿地方までやってきて飛鳥の地に王朝を作る。さらに、一族は太平洋側に広く分布し、平家一門が日本に出来たのである。これは藤原の式家に当たると考えている。
そうなると、安宿姫である光明子と聖武天皇は平氏系ということかな・・・?ちょっと整合性を考えねばならないが・・・・。
憶測ついでに、四国の阿波、熊野、そして千葉方面はその家臣であり、鹿島神宮にはその王族が住んだのではないだろうか。平将門の乱というのがあり、彼は「新皇」を称したというから、彼にはその資格があったのではないかと想像するのである。聖武天皇の奈良の都には鹿がいっぱい。鹿島神宮を考えると、これはつじつまが合うことは合うが。ちょっと断定は出来ない。

この源氏と平氏は同じ鮮卑族ながら、やはり「お種度」は源氏が高かったのではないか。なぜなら、平清盛は殺すことが出来たはずなのに、頼朝・義経を生かしてしまったのだ。やはり畏れ多くて殺せなかったというのが真相ではないか。

まあ、そんなことは何度も書いてきたからこのブログを読んでいる人は周知のことである。ただ、私はチンギスカンの研究や、拓跋族を調べているうちに、満州で活動していた日本軍の首脳陣はそれらのことを熟知していた可能性が高いと思うようになってきたのである。特に大本教の出口王仁三郎、日蓮宗の石原莞爾、玄洋社の内田良平、頭山満、黒龍会・・・あたりである。
彼らの主張が大東亜主義で、大アジア共同体構想である。
この思想が大モンゴル主義と同じものでユーラシアに一大帝国を築いた義経のつくった国家そのものなのである。
閉じ込められた神が動き出し、鳩山政権が誕生した。彼が「アジア共同体構想」を論ずれば、思わず歴史の必然性を感じざるを得ないではないか。
ニダ工作員と言われようが、短い人生の中で、これほど面白いものを目撃できるというのはそんなにあるわけではない。私は目撃者としてじっくり観察したいのである。
現在は神を閉じ込めてきた勢力との暗闘が繰り広げられているという事である。
紹介はここまで。

サンタさんのプレゼント2

2009-12-26 07:24:35 | Weblog
入口は阿修羅。一粒万倍日。来訪者様に感謝。
「伊勢ー白山 道 」ブログの紹介です。伊勢白山道様に感謝。

サンタさんのプレゼント2
私は、このサンタさんに賛同します。

紹介はここから。
抱き参らせる
伊勢ー白山 道白山(裏・陰)と伊勢神宮(表・陽)に光の柱が建ちます。この意味を探求して行きましょう。
抱き参らせる
2009-12-23 19:30:00 | Weblog
泣き叫ぶ幼児をなだめ落ち着かせるには、言葉で説明したり、叱ったりしても、逆に火がついた様に泣くものです。
それよりも、
1。黙って
2。抱きかかえて
3。「背中」をさすってやる、
のが一番良いのです。
これは、霊的な存在に対する最善の対処法であり、幸運にも通じる動作と意味を含みます。

1番は、言葉よりも「気持ち」が大切と言う事です。
幼児に対しては、言葉の理屈も屁理屈も通じません。
苦しむ霊に対しても全く同じであり、呪文やお経よりも、感謝の気持ちの磁気で照らして上げる事が大切なのです。
2番は、幼児が親とのスキンシップで安心する様に、「避ける気持ち」は何事においても逆にダメだと言う意味です。もちろん、過剰な思い入れも不要です。
「避ける気持ちが逆に霊や不運を呼ぶ法則」が現実界にあります。
霊の寄り代(位牌か短冊)を準備し、感謝だけの先祖供養が安全であり最善です。
3番は、背中をさする事で憑依が落ち、正気に戻る意味があります。過剰に泣く幼児には、一時的な憑依が原因の場合もあります。

自分自身のパートナーを選ぶ際に、
嫌な事を避けようとする人と、避けない人。
自分の保身だけを考えている人と、そうでない人。
自身の先祖供養さえも、憑依を心配する人と、心配しない人。
どちらのタイプを自分自身のパートナーに選びますか?笑。
自然に起こり来る悪い物事は、何事も受け入れて、感謝の気持ちで溶かし切る事が必ず出来ます。
自分に起こる悪事や嫌な事を受け入れて、その中でも感謝の気持ちで生きる覚悟をした時、悪事の霊的パワーを幸運のパワーに切り替える事を自分自身で出来ます。
300年前は忌み嫌われた石油が、現代社会では宝と成っています。 物事には必ず「災いを転じて福となす」道があるのです。
今、苦しい人は、その苦しさ以上の福を得る事が出来ます。
その為には、現状への感謝と、先祖霊に感謝をする事が大切なのです。

今日は、天皇陛下の誕生日です。
これほど世の中の動きと気配を、良く見て理解され、御自身の任務に真剣な御方はいません。
今までの数々の苦難と試練から逃げずに、平静(へいせい)を装う笑顔の中で溶かして来られたと感じます。
今上陛下が御健在の間は、日本は安泰です。

生かして頂いて ありがとう御座位ます
人類の 5% 運動を広めたいです。
紹介はここまで。

サンタのプレゼント1

2009-12-26 07:11:46 | Weblog
入口は阿修羅。一粒万倍日。来訪者様に感謝。
「東海アマ」の紹介です。管理人様に感謝。

サンタクロースが、私にふたつのプレゼントを置いていきました。
一つ目は、以下に紹介する内容です。

紹介はここから。
★ 2009年12月23日水曜日 8時半更新
● 今日は天皇誕生日、我々は日本人である前に地球人だ、宇宙人だ、すべての人は平等だ! 天皇への敬愛は洗脳の産物にすぎない

 掲示板に、天皇崇拝体制を盲信する輩の書き込みが続いているが、これは書き込み者が、どれほどお粗末な洗脳に支配されているか理解していないからであって、日本と日本民族がどのように成立したのか、一度も研究考察したことがない程度の低い連中である。
 そもそも、日本列島にいた先住民は、歴史の大河のなかで次々に入れ替わっているのだ。
 12000年前までの先住民は、おそらくネアンデルタール系統(絶滅)や、牛川人のような原人系統だったはずで、『今昔物語集』『宇治拾遺物語』『遠野物語』などには原人・猿人が中世・近世まで『ヒマラヤの雪男』『ビッグフット』のように生き残って人間との関わりをもっていた事実が推察できる民話が記録されている。
 12000年前あたり、地球はポールシフトを起こし、大規模な寒冷化が起きて民族にも大きな変動があった。それまでの文明は消滅し、温暖化とともに新しい文明が成立した。衰退・滅亡した文明の一つが、現在のインドネシア島嶼群~沖縄にあったムー文明であり、もう一つが、大森林地帯だったゴビ砂漠あたりを中心としたゴビ文明であった。その他にも、アトランティスや古代アンデス文明などもあった。彼らのうち生き残った人たちが大規模に移動したのである。
 民族移動・文明の激変には、このように巨大な環境異変や戦争が必ず隠されていることを知る必要がある。縄文人・弥生人・朝鮮渡来人が移住したのには明確な理由があった。

 ムー大陸が地殻変動で沈降し文明が滅びるころ、黒潮に乗って一部が日本列島にやってきた。この人たちが沖縄人・クマソ・蝦夷・アイヌ人などの縄文人となった。縄文人が主役だった時代は約1万年続いた。クロマニヨン新人類系統だった彼らが事実上日本列島の先住民となった。
 その特徴は、スラリとした体型・毛深い・水耳垢・B型・大きな目・高い鼻・彫り深い顔立ち、争いを好まない優しい多感な性格・自然と調和した思想などで、おおむね現在の沖縄人・アイヌ人がもっとも特徴を受け継いでいるだろう。
 そこに、2600年前、呉越戦争で敗北しジェノサイドの運命に晒された呉国(水都蘇州)人たちが、船に乗って安全地帯を求めて日本列島にやってきて、有明海周辺に上陸し、新しいコロニーを築き始めた。これが弥生人であり、民族的には、ムー系統とゴビ系統(スキタイ)の混血であり、照葉樹林帯文明のモンゴロイドであった。
 弥生人は米作農耕を日本に持ち込んだ。彼らは照葉樹林帯と河口水圏文明の人であり、瀬戸内~東海へと拡散した。丸い目、活発で戦闘的、ちょうどミャオ族や工藤投手・阿部穣二の印象だ。これが倭人であった。

 「1800年前あたりから日本の遺跡群に顕著な変化が生じた」と指摘したのは江上波夫だ。出土品に騎馬文化が突如、登場したのだ。墳墓もまた、それまでの弥生人型の円墳から方墳に変わった。これは、韓国の馬韓・百済系統の遺跡に共通するもので、どうやら、この時期に百済王朝が日本列島に進出したらしいことが続々と明らかになった。
 1600年前あたりからの記録によれば、大和王朝は、明らかに百済王朝と同一性を持っており、天皇家は百済王朝の一派であることが間違いないと歴史学者に認識されるようになった。
 現在では、唐・新羅連合軍によって滅ぼされた百済王朝が、そのまま近畿地方に、そっくり移住した可能性や、百済代官として天皇家が日本に派遣された可能性が論議されているが、結局、万世一系の天皇という虚構は、朝鮮半島からの渡来人の代官にすぎず、もっともらしくするために焚書や歴史の改竄を繰り返してきた事実が明らかにされている。
 百済人の特徴は、彼らの先祖である扶余国(女真族)と同じで、長い手足・高い身体戦闘能力・A型・切れ長の一重まぶた・強い蒙古斑・乾燥耳垢などによって示される。彼らは、もちろんゴビ族スキタイの末裔、北方系モンゴロイドであった。

 日本列島に移住した民族としては、同じくスキタイ・ツングース族でオロッコ(オロロン)という民族がいて、日本海を航海貿易していて、東北日本海~北海道日本海に大規模に移住していた。ちょうど渥美清や加藤登紀子に似た人たちだ。彼らは北方朝鮮族・新羅人と同じ種族であった。
 このように、日本人といっても、縄文人からオロッコに至るまで多種の民族の混合が日本人であって、天皇家など、そのうちの一部である渡来人の末裔を代表するにすぎないのである。日本人の代表では決してない。筆者など、縄文系の血が濃いので、天皇家にはまったく親しみがない。

 万世一系などというのは真っ赤なウソであることも常識で、今の天皇家は、明らかになっただけでも4回の断絶があり、一番最近では、孝明天皇一家を岩倉具視・伊藤博文・井上馨らが虐殺し、明治維新に田布施町の長州奇兵隊力士隊に所属していた大室寅之輔が天皇に入れ替わった史実が暴露されている。
 したがって、日本国家の象徴としての天皇制は、虚偽に包まれた根拠のない制度であり、ただちに廃止されるべきである。仮に、熊沢天皇のように根拠があったとしても、人類は皆平等な宇宙人・地球人であって、特別に「高貴なエライ人」を象徴として、我々の上に戴く理由など皆無である。
 こんな「特別なエライ人」を最大の価値としてでっちあげるなら、人の心は、その対極に「エラクない軽蔑すべき人」をもでっちあげることになる。人の心は対立物がなければ認識が成立しなかいからだ。
 差別こそは、人間社会の諸悪の根源である! 天皇制も死刑制度も、ただちに廃止せよ! 天皇制を美化するインチキ野郎は、日本から出て行け!
紹介はここまで。

>国連総会2009年9月23日 カダフィのスピーチの内容

2009-12-24 16:37:39 | Weblog
入口は阿修羅。一粒万倍日。来訪者様に感謝。
ブログ「BenjaminFulford」の紹介です。BenjaminFulford様に感謝。

12/21/2009のブログタイトル「国連の終わりを考える」http://benjaminfulford.typepad.com/benjaminfulford/にコメントがありました。
そのコメントの紹介です。Posted by: 加陀悲様に感謝。

国連で正々堂々と
「カネの亡者が、インフルのウイルスを生産しばら撒き、
それに対応するワクチンを販売。」と主張。
考えさせる演説であります。

ここからコメントの紹介です。
国連総会2009年9月23日 カダフィのスピーチの内容
http://officematsunaga.livedoor.biz/archives/50929014.html
「安全保障理事会は国連総会の決議の単なる実行部隊である。そして、安全保障理事会が単なる実行部隊になるとき、安全保障理事国の席を得るための競争がないであろう。」
「ある国には拒否権があり、別の国にはない。ある国には永久の席(常任理事国席)があり、別の国にはない。そんなの今からは無効だ。我々は全くこれを認めるつもりはない。そして、我々は現在の形の安全保障理事会によって可決されるいかなる決議にも支配されない。」
「テロリズムはアルカイダのテロリズムだけではない。現状がテロリズムである。」
「我々は特定の国が占める安全保障理事会によって死にかかっている。...ある国は原子爆弾を持ち、別の国には経済力があり、別の国には技術力があり、別の国には技量がある。...これは、テロリズムである。」
「多極化した世界が、あってはならない。平等な国々がなければならない。」
「おそらく、テロ飛行は中止された、しかし、次の目標はこの場所(国連会議場)である。そして、私は独りで話しているのではない。 我々は多数のアルカイダメンバーを我々の刑務所に拘留している。彼らの供述書を非常に憂慮している。」
「正しいことに関して沈黙を守る者は、静かな悪魔のようである。」
「私が知っている事、世界が知っている事、我々が歴史で学んだ事は、ケネディが、核爆弾を持っているかどうか見るために、イスラエルのディモーナ原子炉を調査することに決めたということである。それが、彼が排除された理由である。」
「神は、我々全員のために地球をつくった。我々は、決して屈辱の内に生きていてはならない。 」
「国際司法裁判所が尊重されないうちは、その判決が実行されないうちは、国際原子力機関がすべての国を対象としないうちは、国連総会は何も仕事をしていない、安全保障理事会は独占され、国連は何も仕事をしていない。」
「ソマリアの海賊行為に取り組もう。私は、ソマリ族が海賊でないと、あなた方に告げているのだ。海賊は我々自身である。なぜなら、我々がすべての漁場を開拓したからだ。」
「豚インフルエンザのワクチンが作られるとする。神とか魚のより多くのインフルエンザがありえて、諜報機関に属する工場が稼動して、彼らは(ワクチンを)高値で売るのだ。
これは、取引である。資本家の会社がワクチンを売って金を儲けるように、彼らはウイルスを生産し、世界中にばらまいた。これは恥ずべきである。」
「人類は、平和に生きるためには奮闘しなければならない。第三世界と小さな国家たちによる奮闘、そのうち100は尊厳を持って自由に生きるための継続的な奮闘である。そして、それは最後まで続けなければならない。 」
Posted by: 加陀悲 | 12/22/2009 at 23:11
紹介はここまで。

>来年は、色々な意味で「動」の年と成るでしょう

2009-12-23 17:04:30 | Weblog
入口は阿修羅。一粒万倍日。来訪者様に感謝。
「伊勢ー白山 道 」ブログの紹介です。伊勢白山道様に感謝。

>これから日本国土に住む人々が、内部から分裂して騒乱して行くのか、古来の伝統を維持しながら「現状への感謝」を強めて、色々な物と和合して行くのかを神々精霊も観ていると感じました。
悠久の世紀から見れば一瞬の時代でしょうが、大きな転換点の時です。来年は、色々な意味で「動」の年と成るでしょう。 (終り) 
この文章を紹介したくて取り上げました。
私は、「今日の発見」というタイトルのミニノートの毎日の最後には、必ず
「生かして頂いて ありがとう御座位ます」
の文章で終わっています。

紹介はここから。
伊勢~熊野、天河へ 12
2009-12-19 12:19:38 | Weblog http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/8df1f348f3fa92e387efb8f3f9b7c95e
天川村の川辺で、私は意識を集中しました。
この時、2方向からの強い神気の流れを感得しました。エナジーの流れが巨大なトンネルを形成する感じです。
1つの方向は、玉置山から流れて来るのが直ぐに分かりました。2つ目の方向を探って観えて来たのが高野山の方角でした。そして、高野山に隣接するシバ神降臨の山、荒神岳(http://xurl.jp/pt2b 読者作成)だと確信しました。
この時、私の意識は日本列島の上空から近畿地方を眺めている錯覚をしました。
そして、太平洋上の浮島⇔那智の大滝⇔玉置神社のラインの先の地帯が、三角形の形象で浮き上がっている様に観えたのです。つまり、玉置神社⇔天川村⇔荒神岳のエナジーのラインが、綺麗な三角形を形成していました。
日本列島は大きな龍の形です。その中心の腹に当たる部分に、三角形の刻印が存在するのです。
この三角形は、銀色に輝いていました。霊眼では、綺麗な銀メタルにコーティングされている様にハッキリとしています。あまりにもハッキリしていたので不思議に思い、意識を強めて分かった事は、水銀でした。
この三角地帯の地下には、巨大な水銀鉱脈が存在する筈です。おそらく地下水にも水銀の影響が在ると感じました。この地区で井戸水を飲んでいる人々には、水銀の影響により老後に神経痛や関節の変形が起こり易いと思います。
この水銀の三角地帯は、人間の意識を強める作用を持つと感じます。やはり、霊的に特殊な磁場を形成している場所には、物理的にも具体的な裏付けが在るものなのです。

空海が四国からわざわざ高野山を選んだのは、この水銀の磁場を利用する術を知っていたからです。また、三角形の結界の中には入らずに、隣接する高野山を選んだのも、「下界」と「意識の世界」との間のONとOFFを使い分ける為だと感じます。結界の中では、縛りが強すぎて逆にダメなのです。このあたりの事は、言語では説明できない物があります。

今回、伊勢から熊野・奈良にかけての古い意識磁場を保有する場所に、多くの読者を意識しながら感謝の参拝をさせて頂きました。
やはり、人類の気持ちを飛翔させる時節が到来し、既に始まっていると感じました。
日本は、地球上でも特に霊的に特殊な国土です。この国土の意識が原型となり、世界に転写して行く仕組みが在ると私は感じます。
これから日本国土に住む人々が、内部から分裂して騒乱して行くのか、古来の伝統を維持しながら「現状への感謝」を強めて、色々な物と和合して行くのかを神々精霊も観ていると感じました。
悠久の世紀から見れば一瞬の時代でしょうが、大きな転換点の時です。来年は、色々な意味で「動」の年と成るでしょう。 (終り) 

生かして頂いて ありがとう御座位ます
紹介はここまで。