副田本道の「平和維新」

私の夢:「平和維新」を世界の共通語にすること。

「完全なる自由」のあなた様はいかが判断されるでしょうか

2009-05-31 06:42:18 | Weblog
入口は阿修羅。一粒万倍日。来訪者様に感謝。
ブログ「武山祐三の日記」の紹介です。武山祐三様に感謝。

「われ思う ゆえに われあり」という言葉があります。
たしか、デカルトの言葉だと思います。

どうってことない。
みんな自分勝手だということ。

だから他人を大事にしましょうよ。

私は、すべての人は「完全なる自由」を持っていると思います。

「不自由にする自由」を、自分で作っていると思います。
「ガンをつくる心 治す心」発行=主婦と生活社
「病気になる人、ならない人 その見逃せない法則」発行=ソフトバンク新書
いずれも著者は土橋重隆医師。

読書能力の低い私が感じたことは、「思い」が一番。
「病は気から」という言葉もあります。
もっともっと自分を大切にしませんか。

私は、2人の先生の教えに参加しています。
武山祐三先生の「ホ・オポノポノ運動」
>ホ・オポノポノでは、ただ単純に、
「愛しています、ごめんなさい、許して下さい、ありがとう」
とだけ言います。そうです。これは清めの言葉であり、意識の浄化の実践なのです。

伊勢白山道先生の
>生かして頂いて ありがとう御座位ます
人類の 5% 運動を広めたいです。

「完全なる自由」のあなた様はいかが判断されるでしょうか。

紹介の記事はここから。なお、改行は私にとって読み易く入れてあります。
2009年5月30日 (土) 日本と世界の現状と未来を見据える
 武山です。
今朝は週末の気持ちのよい土曜日の朝です。
そこで、色んな意味で日本と世界の現状を見、未来を考えてみたいと思います。
ただ、その前提として、
私は今起っている様々な社会の変動の原因を、
誰か特定の人物や組織のせいにして、
責任転嫁をしてしまっては、
明るい将来のビジョンは描けない、と確信しています。

この世界は誰が何と言おうと、
私自身や、あなたが創り上げたものだからです。
責任転嫁は、
よりよい未来の原動力にはなり得ない事を、
私は身に沁みて感じています。

 世界の現状を詳しく考えれば、キリがありません。
ただ一言、良くなっているのか、
悪くなっているのか、それだけです。

はっきり言って、
良くなって来た、とはとうてい言えません。
この前書いたように世界は崩壊寸前です。
日本も同様です。

それは、日本が特に世界の現状と密接に関連して動いているからに他なりません。

 といって、政治が悪い、
権力者が自分の事だけしか頭にない、
社会のシステムが崩壊しつつある、
といくら嘆いても、直ちにどうにかなるものでもないのです。

 また、どなたかが言われるように、
「カルマ」のせいだ、と言ってしまえば、
それはそれでお終いです。
カルマ論は結果論に過ぎないからです。

 社会の現状は確実に悪くなっています。
ですが、この事は次に起るべき出来事と密接に関係があるのです。

宇宙は「振動」で出来上がっているとも見る事ができます。

振動とは、山と谷の組合せです。
必ず山があって谷が来るのであり、
あるいは谷の方が先かもしれません。

これは宇宙の真理です。
という事は、今の世界の現状は、いわば谷の底なのです。


 私が書いたことを度々繰り返すようですが、
世界は今にも崩壊しそうです。
ですが、よく考えてみてください。
ある意味で、
この状態は反転への機会(ターニングポイント)でもある、と言えるのです。

 ハワイの問題解決の秘法、
セルフ・アイデンティティ・ホ・オポノポノでは、
この宇宙をどう見るか。
それは「理解不能」だというのです。
考えてみても何も分かりません。
なぜなら、
我々が処理できるデータは毎秒20ビットに過ぎないのに、
宇宙の神聖なる存在からは毎秒1100万ビットもの情報が
降ってきているのですから。

 ですから、理解しよう、分かろう、あるいは誰か何かの所為だ、
と責任転嫁しても無駄なのです。どうしようもないのです。

 では、何でも、すべてが、なるようにしかならないのか、
というと、そうでもないのです。
これ以上詳しい事は私には言えません。
ですが、確かに言える事は、
世界は、あるいは宇宙は、そう捨てたものではない、という事です。
宇宙は一つの波動です。
動いているのです。
複雑に見えても、動きは単純です。

それは波動だからです。

 いま、世界は「闇」に支配され、
見通しはまったく暗いとしか言いようがありません。
しかし「夜明け前が最も暗い闇に閉ざされている」 というのもまた真理です。

 ホ・オポノポノでは、ただ単純に、
愛しています、ごめんなさい、許して下さい、ありがとう、
とだけ言います。
そうです。これは清めの言葉であり、意識の浄化の実践なのです。
 いまわれわれに必要なのは、
誰かへの責任転嫁ではありません。
私の(あなたの)清めであり、ひいては「地球」そのものの「浄化」なのです。