副田本道の「平和維新」

私の夢:「平和維新」を世界の共通語にすること。

「メディアの終焉」のタイトルをなぜつけたのか

2009-03-28 07:17:11 | Weblog
一粒万倍日 来訪者様に感謝。
送信者: "平河総合戦略研究所 [メルマ!:00133212]" trans_g0g2g8hu539e877e@melma.com
件名 : 甦れ美しい日本 第283号 日時 : 2009年3月27日 18:02 様の紹介です。

ただし、一人の方の紹介です。松永太郎様に感謝。
全文は紹介できませんので、気に入りましたら「メルマに登録してください」

私が言いたいこと。「メディアの終焉」のタイトルを
なぜつけたのか。

天下の「文芸春秋」を相手にして、
>「文芸春秋」4月号には、「これが日本最強内閣だ」と題して

と、取り上げたのか。

ネットの世界で「マスゴミ」が使われています。
「メディアの終焉」は、「甦れ美しい日本」の言霊か。
私も「マスゴミ」を使っていますので、偉そうなことは言えませんが。

改行は私にとって読みやすく入れてあります。

紹介の記事はここから。
2.松永太郎 
 メディアの終焉  文芸春秋4月号の記事「これが日本最強内閣だ」について
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 「文芸春秋」4月号には、「これが日本最強内閣だ」と題して、
「各界識者、政治記者84名アンケート」という記事が載っている。
これを見ると、
日本が空中分解する日も本当に近いのではないか、と思わせるものがある。
 企画自体が、雑誌がネタに困ったときによくやる感じの、
古色蒼然たるものがあり、
あたかも大正時代の雑誌のようである(ただし、大正の雰囲気の良さはない)。

この「各界識者」という「死語」を見ていただきたい。
日本に本物の「識者」が、ほとんど、いなかったから、
あるいはいたとしても、誰もその声を聞かなかったから、
今のような「百年に一度の危機」に際して、
みな呆然としているのであろう
(つい最近、考え方を180度展開させた経済学者もいた)。

メディアで、まず名前を売り、それから大臣だの審議会の委員になったような人たちが、
官僚の振り付けどおりかどうかは知らないが、喜んで踊ったからこそ、
今のような有様があるのではないのだろうか。

そうしたことに、メディアも片棒を担いだことを、
もっと自覚したほうがよいと思われる。

しかも、このご時世、誰が大臣になろうとも、
どの政党が与党になろうとも、
何も変わらないだろうと、
多くの日本人が感じているのである。

それが、官僚機構のしぶとさとあいまって、
ある種の絶望感を、いだかせているのである。

この「文春」の企画では、
親分格の堺屋太一氏が、
まず、冒頭で
「私は、今の混迷の最大の理由は官僚依存にある、と思います。ある調査では、
もっとも信頼度が低い職業が官僚だった」などと言っている。

まったく、そのとおりである。
しかし、この方が、経済企画庁長官という職にあった事を考えると、
本気なのかどうか疑いたくなる。
ご自分のときはどうだったのか。

「偽善」というのは、
かつては、左翼、
つまりは「朝日新聞」的な言論の特徴であった。

自分を百階の棚の上に上げつつ、他人を攻撃する。
自分たちは談合しながら、人の談合を非難する。

自分たちは、
記者クラブという制度で外人記者など一人も入れないくせに、
日本は、もっと外国に開かれた制度にしなければならないと説教する。

エリート意識の塊の癖に差別はいけない、などという。

こういう、「偽善」の最たるものが、
自分たちは日本人の癖に、
日本という表象を、
ことあるごとに攻撃する、
というがあった。

これが
「朝日新聞」
「岩波」
左翼の、最大の偽善である。

これに反発していたのが、
「文春」系ジャーナリズムであり、
それによって多くの読者の信頼を得ていた
(少なくとも私など、そうであった)。

しかし、今度の「文芸春秋」4月号を読むと、
もはや「文芸春秋」も
「朝日」と
あまり変わらなくなってきた、というのが実感である。

つまり、言論としてのパワーをなくしているのである。
ここにあげられた人たちも、逆に迷惑だろう。

もしも、ここで選ばれているような人々が、
仮に内閣を構成しても、
今となにも変わらないだろう。

官僚がひしめいている省庁に、誰が着地しようが、
そんな人の言うことを聞く連中ではないことは、みんな知っている。

官僚が悪人だとか
悪のかたまりだとか
言うのではない。

今のシステムでは、
そのように動くのが当たり前だからだ。

どんな組織(会社だろうと官庁であろうと)であれ、
いきなり空から舞い降りてきた人の言う事を聞く組織など、ありえない。
そういう非現実的なことを、
あたかもできるように思わせてきたのが、
政治家やメディアである。

 たとえば阿川佐和子氏を環境大臣に、という。
それでどうするのだろうか。
阿川氏は司会者とかもの書きとして、優れているかもしれない。

しかし政治家としては、全く別である。
櫻井よし子氏を外務大臣に、という。
櫻井さんの書かれることは、いつもすばらしいし、正論である、と思う。

しかし、仮に外務大臣になった、としても、
外務官僚は誰一人、この人の言うことは聞かないに決まっている。

ひどいのは、東大総長に関する発言だ。

御厨貴氏はいう。
「(文部大臣)には東大総長経験者とかは一番よくない」

この人は、東大教授である。「偽善」のかたまりである。

蓮見重彦元東大総長を押している人もいる。
「ポスト・モダン」で売り込み、
「制度の解体」を説いた朝日好みの「左翼」である。

それでいて「東京大学」という制度には、忠実に従った。
それで「東大総長」になったのだったのである。

こういうのを偽善というのである。

日本の旧来の言論雑誌やTVメディアは、
思想・志操の軸を失い、
右も左も、TVの出演回数で融合しているかのようである。

これでは、読者の信頼を失っていくであろう。

お遊び企画だ、というのはわかっているが、こういう変なときに、

松永太郎;
東京都出身 
翻訳家、多摩美術大学講師、レモン画翠社長
主訳書「進化の構造」「イカロスの飛行」他。