『もう、駄目だ、と思った。頂上へ着く前、ふらふらしてまっすぐ歩けなかった。』
かみさんが言った。
20日から21日にかけて、小諸駅から浅間山の車坂峠を越えて嬬恋村のつつじの湯まで、31キロを歩くウォーキング大会があった。
アサマスタークロスウォークという名で、午後6時出発。夜に歩くことになる。
このコースは、小諸駅の標高が663メートル、車坂峠の最高点が1,973メートル。標高差が1,310メートルもある。この間の距離、17キロメートル。
この標高差は北アルプスの山に登るくらい、ある。
下りはつつじの湯の標高が1,115メートル。距離は14キロメートル。858メートル下ることになる。
つまり、距離が長い分、山に登るよりきつい。
参加者は700人ほど。
遠く南は沖縄から、また北は秋田からの参加者もある。最高齢は79歳。
頂上までの17キロコースと、つつじの湯までの31キロコースがある。
もちろん、31キロコースに参加。
僕は昨年参加しているので、様子が分かっているが、初参加のかみさんと次男は、歩き通せるかなあ、とやや不安顔。
先に行っていいと許可が出たので、時速6キロくらいのペースで歩く。ところどころに給水所が設けられており、漬物やスイカが置いてあった。
汗をかいた身には、漬物がとてもおいしく感じられた。
頂上には8時50分に着いた。2時間50分。まあまあのペース。
頂上にはチェックポイントがあり、豚汁やミニトマトのサービスがあった。
建物ではストーブが焚かれていた。
再スタートは10時と決められていたので、1時間10分ほど、ストーブで汗に濡れたシャツを乾かした。
さすがに標高2,000m近い夜の高原は霧が巻いてそのままいると寒かった。
つつじの湯への下りは未舗装道路が続く。
暗いし、凸凹しているので走りにくいが、ここは走ることに決めている。
昨年はここで捻挫をして、三ヶ月ほど完治しなかった。
注意してゆるゆると走る。
時速10キロくらいで一定のペースを守りつつ舗装道路へ入っていく。
先行の若者と、抜きつ抜かれつデッドヒートを繰り広げる。
若者は速いのだが、時期に歩いてしまう。
それを一定ペースの僕が追い抜いていくと、若者がまた走って前に出る。
ゴール300m手前、若者が猛然と追い抜いていく。
僕も、もう体力をセーブする必要がないので、全力で追いつく。
しばらく並走するうちに、『もうだめだ』と若者の声が後ろに聞こえる。
僕はラストスパートをかけて全速力でゴールへ走りこむ。
気分はまるでオリンピックの選手の気分。最高だ。
11時20分着。下りは1時間20分。まあまあだ。
ゴールでは、嬬恋村産のキャベツを景品として、完歩賞とともに頂いた。
つつじの湯で汗を流し、思い切り体を動かすっていいものだと、しみじみと思った。
使わなければ退化する。体も頭も。
刻みキャベツのサービスがあって、ドレッシングも置いてある。
何回もお代わりして食べた。シャキシャキして旨かった。
ひと眠りして、かみさんと次男の到着を待った。
2時半近く、無事に姿を現した。
そして、冒頭の言葉。
『もう駄目だ。何度もやめようと思った』
何回も繰り返した。
次男に荷物を持ってもらったという。
それでも、限界を超えた。歩き続けることができた。
一つの壁を越えれば、新しい世界が見えてくる。
僕はそう信じている。
『穂高の方が、まだ楽だった』
かみさんが言った。
明け方に自宅に戻った。
この日、僕は65歳になった。
31キロという距離もさることながら標高差も凄くて完歩するだけでも大変でしょうね。
私にはとても無理と思いました。( ;∀;)
給水所のスイカやお漬物、そして妻恋の新鮮なキャベツ。
どれも美味しそうです♪
限界なんて、自分が決めてしまえばそうなるのかな。越えていけるって思えば、越えられる。そんな風に思っています。はたから見れば、何とかの冷や水ということになるのでしょうか。自分がそんな年齢であることが不思議です。若い頃は65歳はものすごい年寄りだと思っていました。山はやっぱり、さっそうとかっこよく登りたい。だから、トレーニングします。今回も、その一環。
くるみさんも、体調が戻りつつあるようで、良かったですね。