杉の古木の前に立ち、両の手を幹に押し当て、じっと立っていた女性がいた。
多分二十歳を少し過ぎたくらいの、背筋がすっきり伸びた人だった。
筑波山の男体山からの下山路、その人は圧雪と氷の悪路をアイゼンを付けてしなやかに膝を屈伸させながら下って行った。
見とれてしまうような見事な歩き姿だった。
そのあと、曲がりくねった道の先で、大きな杉の古木の前に立ち、両手を幹に押し当てたその女性の姿が見えた。
近づくのさえはばかられて、樹の陰からそっと見ていた。
最初はブナの樹でよくやるように、水を吸いあげる音を聴いているのかと思った。
だが、顔は幹に向けたままで、それはまるで祈っているようにも、木と交感しているようにも見えた。
一分ほどもそうしていただろうか。
樹齢数百年もあるような古木が現れるたびにそれを繰り返した。
少し離れてついていきながら、あれは一体何なのだろうと考えた。
そのようなことが流行っているのだろうか?
それを何と表現すべきなのだろう?
そもそもその女性をどう書けばいいのだろう?
あの落ち着きはおそらく二十歳を少し過ぎているだろう。
漂わせている雰囲気は少女と言っていいほどの初々しさを持っていた。
お嬢さんと呼んでしまうにはある種の樹品も感じられてはばかられる。
一本の古木の前で、それを真似てみた。
すると、杉の樹と自分が一体になったような不思議な感覚を味わった。
それとともに、女性をどう書けばいいかの解答も浮かんだ。
こころざしつつ たふれし少女(をとめ)よ 新しき光の中におきておもはむ 土屋文明
教え子の伊藤千代子が、暗黒の時代に権力によって殺されたも同然に二十四歳の若さで逝ったのを悼んだ歌だ。
少女と書いて、をとめと読ませるのが一番ふさわしい気がした。
筑波山はいろいろな体験をしたけれど、この霊山でもっとも印象深いできごとだった。
* * * * *
修験者が登る山ということで、奇岩もたくさんあった。
登山道には中腹から積雪もあって、アイゼンを付けている人もたくさんいた。
驚いたことには、みんな同じアイゼンを付けている。
鎖のチェーンのようなもので靴に留めていて、自分が持っているものとはずいぶん違う。
登山用品店にはそのようなものがたくさん売られているのだろう。
白蛇をみると財をなせるという白蛇弁天。
女体山から見た男体山。
女体山の山頂。
弁慶七戻り、大仏岩、陰陽石、国割石、屏風岩、母の胎内くぐり、北斗岩、ガマ石等々色々あるが、観光案内を書く気はないので割愛。
冒頭の一件の後、つくば神社に下山すると、豆まきが行われていた。
沢山の群衆に交じって、かみさんと二人で7個のお菓子を手に入れた。
境内ではガマの油売りの実演をしていた。
保存会の人の熱演だった。
ガマの油という落語でお馴染みだが、生で見られたのは幸運だった。
ちなみにガマの油は三遊亭圓生のものが一番好きだ。
建物の外壁は少し古びてはいるが、表通りからは少し入った筑波温泉ホテルで泊まった。
あまり気取っていない対応で、とてものんびりできた。
温泉には何度も入った。
鄙びた感じが最高だった。
梅の花がちらほら咲き始めていた。
左が男体山、右が女体山。
『なかよく並んで、というより絶妙な距離を保って、と言った方がふさわしいような...』
『だからいいんじゃない』かみさんが言った。
翌日、千葉に住む孫に会いに向かった。
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