美しき旋律 麗しき雑音

忘れるための記憶/覚えておかないための記録

マルタニカズの言動と視線の先

2005-05-23 19:16:09 | 音楽
最初の出会いは神戸女学院の学祭だった。
その頃の私たちはムーンライダーズとその一派に夢中で、
その日はメトロファイルを見るためにチャリンコにまたがり
西宮の岡田山に登ったのであった。

その日の他の出演は、ペータース(ナゴムからソノシートを
出してたな)とA DECADE IN FAKE(以下、ADIF)。
ペータースについては確か前情報を持ってたと思うけど、
このADIFは全く初めて見る・聴くバンドだった。

ライブはペータースから始まった。
テクノな感じをイメージしてたが、結構バンド然とした
音だったような気がする。

続いて現れたのがADIF。結構大所帯。
音はクールなジャズファンクって感じだったか。
ところどころラテンの風味もあったり。

その後、メトロファルスだった訳だが、ほとんど記憶になく。
何度も見たバンドだったからか。

そして、その何年か後、再びADIFは我々の目の前に現れる。
相変わらずムーンライダーズとその一派好きだった私たちは、
ライブの度に対バンとして出演しているバンドに気が付いた。
それがADIFだった。そして、ある日の大阪ミューズホール。
誰が目当てだったのか全く記憶がないが、その日も
ADIFが対バンだった。その日は舞台の緞帳が下がっており、
何だか緊張が走る。

そして開演の時間。緞帳がゆっくり上がる中、ナイロン弦の
ギターをバックに、椅子に腰掛けたヴォーカリストが
ボサノヴァを歌い始めた。
そのヴォーカリストがマルタニカズであった。
正直痺れた。
生でボサノヴァを聞いたのが初めてだったからかもしれない。
とにかく痺れた。その日はそれ以外の記憶がない。
ひとつ言えるのは、その後私たちはADIFのライブを
見に行くのであって、ムーンライダーズとその一派は
その対バンということに変わっていったのである。

そのまた何年か後、ファンダンゴでのワンマンにおいて、
踊り狂いながら射精とは違う絶頂感を味わうに至った。
あんなこと、それから無い。

その後ADIFはいくつか名前を変え、幾つもの伝説的ライブを
行い、そのまま伝説を作り続けていくのか?って頃に活動を
停止。マルタニカズはソロでライブを続けている。

私はマルタニカズの音楽の魅力を語る術を知らない。
曲がいい。詩がいい。ステージも迫力がある(表現古い)。
とにかく聴いてもらうしかない。聴いてください。

一介のファンだった私たちであったが、今では夜通し話を
させてもらったり、怒られたり、泣かされたりしている。

今のこの国の状況には絶望するしかないけど、
もしマルタニカズの音楽をより多くの人に届けることが
出来たのなら少しはマシになるような気がする。
私たちはとても無力で、何のサポートも出来ないけれど、
これからも私たちは常にマルタニカズの言動と視線の先を
追っていくことだろう(敬称略)。