先日、伯母が亡くなりました。
事故でした。
即死でした。
何が何だかわかりません。
それは親族の誰もが感じていることでした。
うちの母親は8人兄弟。
伯母は一番年上の長女でした。
母親の自宅の近くに住んでいたので、それはそれは、とても親子ともにお世話になっているおばちゃんでした。
そして、母親の兄弟みんなが自分たちの「司令塔」であり、「相談相手」であったおばちゃんを失ってしまいました。
特に、母親は、その日の日中も、ずっとおばちゃんと過ごしていました。
今まで一緒にいた人が、数時間後には死んでしまって、数日後には姿もなくなってしまう…。
火葬場で骨と灰になってしまった姿をみて、その変化の早さについていけませんでした。
外傷は頭部に激しく、出血が止まりませんでした。
棺の中のおばちゃんは、ほんまに、眠っているようでしたが、眠っているお顔の深部は、骨がぐちゃぐちゃになっていたらしく、顔の原型がなんとかとどめられていたことは、みている私たちにとっては救いでした。
フラダンスが好きだったおばちゃん。派手!っていうイメージがあったおばちゃん。
白装束なんて、ちっとも似合いやしないっ。
誰よりも、おばちゃんの息子であるA君は、まだまだ現実を受け止めきれていません。
ごく当然のことです。
けれども、喪主というものは、葬式云々の段取りやらでしっかりと悲しむ暇がないものです。
ひと段落がついた頃、またどうしようもない悲しみがどっと押し寄せてくるのだろうな…、と、しっかりと親族の指揮をとっていたA君をみていると感じました。
私は、親族という立場で今回のことで感じたことがあったのと同時に、緩和オタク?としては、職業人として感じたことがありました。
それは、また折々にお話できればいいな、と思っています。
おばちゃんがいつも気にしていたことを教えてもらいました。
それは、いとこ同士がこれから連絡を取り合って仲良くしてもらいたい、ということでした。
そういえば。
もう、10年以上も会っていないいとこもいました。
私たちいとこ世代はみんな仕事が忙しくなってきている年代なので、こんな機会じゃないと顔をみることがなかなかありません。
大勢のいとこにしっかりと?会ったのは久しぶりでした。
こんな悲しい機会でもって、顔合わせなんてしたくない、というのが本音ですが、こういうことをきっかけに生まれることもあるものですね…。
あらためて、おばちゃんに感謝したいと思います。
本当に、ありがとう…。