
「見えるお方」に出会いました。
見えるお方とは、単に霊感が強い人では片づけられないくらい、違う世界が見えるお方。
この手の話、
ポンは、全く信じていないわけでもないし、とっても信じているわけでもありませんが(いや、信じている方かな)、「見えた」ってお話は普通に聴くことができます。
これまでも、この手の話を耳にする機会がありました。
今の病院では見えるお方に出会ったのは初めて。
いや、もしかしたら、いらっしゃったのかもしれないけど、お話をする機会がなかっただけかもしれません。
中村さん(仮名)、男性。
彼は、見えるお方でした。
彼は躁うつ病の持ち主でしたが、何か、違ったものを感じさせられる人でした。
ある日、スタッフから、彼は霊感が強いらしいということを耳にしたので、率直に尋ねてみました。
「中村さんって、見えるん?」
彼は、「うーん、そんなにでもないけど…。見える方かなぁ。」
緩和ケア病棟には、彷徨っている人が多くいるとは聞いたことがあったので、彼に聞いてみました。
ポン:「病棟には彷徨っている人がたくさんいるって聞いたことあるけど、やっぱり、ここも、おるんかな?」
中村さん:「そうやなー。僕は病室とロビーしか行ったり来たりしたことがないけど、ざっと20人くらいはおるかなぁ。」

「見える方」ちゃうやん。
見えとるやんかっ。
ポン:「その人たち、どんな感じ?」
中村さん:「みんな、自覚がないねん。未だに、看護師さーん、せんせーって追いかけとるで。」


その手の話、聞いたことがあるっ。
この話をして以来、彼は「この手の話」をさらりと話してくれるようになりました。
中村さん:「ポンさーん。昨夜はしんどかったわー。おばあさんが急に肩に手をぐっと回してきてな、離れへんねん。」
ポン:「えええっ、それはしんどかったなぁ。大変やったなぁ。」
ってな感じでして。
中村さんは自分の病気の状態はとってもよくわかっておられたので、こうも言っておられました。
「僕は、彷徨ったりせーへんのちゃうかなって思う。」
うーーん。それって、どんな感覚?感じなのかよくわからないけど、きっと、すごいことなんだろうな。
そして、中村さんはその話をしてそんなに日にちが経たない間に逝かれました。
たまたまですが、中村さんの看取りに立ち会い、死後の処置やらメイクやらをさせていただくことになりました。
ちゃんとお別れをすることができたのはありがたかったですが、無礼かもしれませんが、小さ目ですが、声に出して彼に話しかけたことは。
「お疲れさん。天国に行ってや。彷徨ったらあかんで、彷徨わへんってゆうてたやろ。天国で、美味しいもん、いっぱい食べてな。ありがとね。」
でした。
忘れられない出会いとお別れでした。

いつも、コメント、ありがとうございます。
病棟でお亡くなりになられた方を思い出すことは多々ありますが、それと同じくらい、
なかなか思い出せない方もいらっしゃいます。
自分がどれだけかかわれるか、というところが大きく影響していると思われますが…(スタッフですと、担当にならない限りはよくわからないのです)。
仮に、ほんまに彷徨っている方がいるとして、
生きている者が亡くなった方を思い出すだけではどうにもならないくらい、亡くなった方が彷徨っていたとしても、
それでも…。
彷徨っている方を一人にしないためにも、
ありすさんがおっしゃる通り、思い出してさしあげるということは、とっても大事なことじゃないのかと…。
その手の感覚が全くない私ですが、
そう思っております。
お仕事頑張っておられますね。安心しました。
母が亡くなって半年がたちました。初盆を迎えて、また寂しさが復活。
寂しさ、というより、いまだに悔いが残ってるのかもしれません。
見えるお方には見えるんですね。
緩和ケアに入院したとはいえ、死を受け入れるのはなかなか並大抵な事ではないんです。
うちの母もそうだったんだろうと思いますが、病棟では彷徨ってはいないかと、思っとります。
家の事が心配で、たぶん家の中を彷徨ってるんじゃないかと(笑)
亡くなった患者さん達を思い出してあげる事が
一番の供養になると思います。
中村さんに見えたのは、皆さんポンさんに…看護士さん達に思い出して欲しかったんですよ…きっと。
まだまだ、暑い日々が続きますが、お体お気をつけくださいね。