故郷の川

2006-09-16 01:37:19 | Notebook
    
わたしはトウキョウのタチカワというところで幼少期をすごした。わたしが子どものころ、つまり60年代後半は、日本の都市部の河川はいちばん汚染されていたと思う。タチカワの南側には多摩川が流れているが、この川で大きな魚を見た覚えがない。まれに釣り糸をたれるひとを見かけることはあったから鮒くらいは棲んでいたと思うのだが、なにしろ川が汚れていて底が見えず、ヘドロがたまっていて、いやな匂いがした。冗談にきこえるかもしれないが、川岸に立つと心がすさんだ。いやな気持ちになったものだ。

それでも子どもは無理をして遊ぶ。えたいのしれない川底のヘドロをさらっていくと、ときどきトノサマガエルやアメリカザリガニが見つかる。見つかる生き物はそれくらいのものである。
毎年のように川へ行ってみて、やっとある日、大きなオタマジャクシを捕まえて大喜びした覚えがある。たぶんウシガエルの子どもだろう。しかしそんなものでも、見たのはただ一度きりのことだった。ウシガエルを見たこともなかった。

小学校低学年のころ、ある日、友人が川の底で足を切った。ほんの小さな傷だったが、なにしろ川がきたないので大事になった。彼は次の日、手術を受けて入院することになった。何日も学校を休んだ彼の運命に、わたしはおびえた。ちょっと足を切ったくらいで手術かよ、と東京の川に対して絶望した覚えがある。

中学生になって、もう川なんかでは遊ばなくなってしまってから、ふとある日気が向いて、自転車で多摩川まで行ってみたことがあった。秋の夕暮れごろのことだ。ずいぶん久しぶりに見る多摩川はあいかわらず汚くて、秋風がさむざむと身に応えた。5、6歳くらいの女の子が独りで遊んでいて、彼女は錆びた空き缶に生き物を集めていた。わたしが声をかけると、彼女は無邪気な笑顔をたたえながら空き缶の中味を見せてくれたが、中には水がすこし入っていて、イトミミズとヒルがうごめいていた。わたしは胸が悪くなった。



今年の夏、故郷の川を見る機会があった。数十年ぶりに、タチカワの南東に流れる小川を通りかかって、わたしは驚愕した。

むかしはヘドロで汚れていたはずの小川が、すっかり変わっていたのである。水草が豊かに波打ち、水面は清らかに輝いている。小さな子どもを連れた若いお母さんが、流れに足をひたして休んでいる。子どもは裸になって川に入り、水浴びをしている。小川は、すっかり息を吹き返しているのであった。

小さな橋のそばに立て看があって、こんなことが書かれていた。
「この川には、ホタルがすんでいます。みんなで大切にしましょう」
わたしはかなり感動した。