酒は、飲まないほうがいい(2)

2005-12-24 13:33:43 | Notebook
     
いまさら言うまでもないが酒や煙草はドラッグである。マリファナやアヘンとおなじように意識に変容をもたらす効果をもっている。意識の変容などというとピンとこないが、ようするに気分が変わるという効能をもっている。

この意識の変容にもいろいろなタイプがあって、なんとなくリラックスして気持ちよく落ち着いてくる(鎮静)タイプのドラッグと、元気がでてきて血の巡りがよくなり頭も冴えてくる、というタイプのドラッグ(興奮)がある。しかしこの効果には個人差もあって、たとえば酒を飲むことで鎮静するひとがいる一方で、やたらと元気が出て愉快になり独りで盛り上がっていくひともいる。まあおめでたいことである。

ここで注意しておきたいのは、ドラッグの恩恵により、意識がどれほどアップしようが、素晴らしいインスピレーションが湧いてこようが、見たこともない美女が目の前に降臨しようが、それは本人の脳が自力でやっているということである。ドラッグが作用しているけれども、その作用を受けて脳が自力でやっているのだ。この時点で脳は、そして人間の意識は、ある種の無理をしている。無理をして鎮静したり、無理をして盛り上がっているわけである。当然、ある種のエネルギーの消耗をしている。

そのツケは、ドラッグが切れるときにやってくる。それを一般に副作用という。たとえば、マリファナの副作用は脱力感といわれる。わたしは会ったことも見たこともないが、マリファナ常習者はまったりと幸福そうないい雰囲気をまとったひとが多い(らしい)が、あれは内面的なパラダイスに住んでいるわけではなくて、たんに脱力している状態を本人がリラックスと勘違いしている場合もある。その証拠に、かれらはちょっとしたストレスに弱くなる。精神力のある部分が副作用で摩耗しているので、一般的なストレスに耐えられなくなっている(のだそうである)。精神力の消耗・衰弱とリラックスはどう考えても両立するわけがない。本人は繊細で傷つきやすいボクと思っているかもしれないが、繊細さと衰弱は違う。衰弱して弱くなっているだけのことである。しぜんとかれらは面倒な社会を嫌い、ノンストレスなパラダイスを希求する。よく考えないで戦争反対、街に緑を、などと言い始める。

では酒、つまりアルコールの副作用は何かというと、嫌悪感といわれている。酒が抜けていくと、一種の自己嫌悪や不安感に陥るひとはよくいる。この嫌悪感や不安感が他者に投影されると、社会や他人にたいする嫌悪感となる。本人が知らないうちに、世の中を見る目が微妙に偏屈になっていったり、奇妙に煮詰まったものの考え方をするようになるのはこのためである。夕暮れ時、仕事を終えて家路につくサラリーマンの群れを見て、ああ、今日も平和でよかったなあと思えるひとはいいのだが、飲酒の習慣のあるひとはあまりそういう精神状態にはならない(飲んでいるときは違う)。こんなに無能なやつが大勢いて日本はどうなるのだろうとか、そんなしょうもない方向へ考えが向いていく。アル中の患者が、なんだか眉をひそめて気難しそうな顔をしているのは、なにも体調が悪くて気分がわるいからああなっているだけではなくて、アルコールの副作用のせいで、人生観が暗くなり、ものを見る目が極端に偏屈になっているだけのこともある。こうであらねばならない、絶対に、というような極端な文脈でしかものを考えられなくなったり、まだ仕事を覚えていない新入社員が未熟なのは当たり前なのに、それが気になってしかたなくなってきて、いらん小言をぶつぶつ言って周囲を不幸にしたりするような、迷惑な人格障害を引き起こす。自分がつめたい、嫌なやつになっていないか、飲酒の習慣のあるひとは振り返ってみる必要がある。また、あなたの上司が、とても優しいひとなのになぜか目は笑っていない、そんなコワイひとだったりしたら、飲酒の習慣がないか、あるいはニコチンにやられていないか、よく観察する必要がある。この社会にはそうした病人がうようよゴキブリのように歩きまわっていて、社会を不幸のどん底に陥れているのだと思って間違いない。

……おお、今日はクリスマス・イヴではないか。まさに、この良き日にふさわしい話題であった。
ぜひ、わたしの忠告を受け入れ、ノンドラッグで平和なイヴを過ごしていただきたいものだ。