ハッピーバースディ(矢野絢子さんの歌との出会い)

2005-12-25 03:34:50 | Notebook
                         
今日12月25日は矢野絢子さんの誕生日だ。

わたしの耳に彼女の歌が入ってきたのは、初夏のこと。蝉時雨のなか、ある神社の境内。ひんやりとした神木の根本で、ポケットのiPodから聴こえてきた。ニーナという歌だった。長い長い歌で、最初は意味がよく分からなかったし、自分とは関係のない歌だと思っていた。それがiPodのなかに入っていることさえ忘れていた。
しかしふいに、涙がこぼれた。なにが起きたのか分からなかった。
トレーシングペーパーの上からなぞった線が、ふいに透けて見えてきたような感覚だった。

わたしはそのころ、あるものを終わらせようとしていたのだった。神社の境内でそれを見つめていた。ながい年月をかけてやるはずだったことが思いがけず終焉をむかえ、つぎつぎと目の前で幕が下ろされていった。これまで続けてきたことが、いままでのやり方ではできなくなっていた。それなのに、なにをするにしても、わたしは何年も以前までさかのぼって、昔の自分を探し出してくる必要があった。わたしは自分自身にとってまったく時代遅れであり、引退すべきだった。なにか新しいものを探そうにも、手のひらには何もなかった。つぎのものはまだ何も始まっていなかった。わたしは途方に暮れていたのだ。
しかしその日突然に、なにかが始まったのだった。ニーナという歌のなかから。

それからわたしはその歌ばかり、来る日も来る日も、何十回も聴き返した。やがていろいろなことが分かってきた。
目の前の真実を見つめることについて。ほんとうに美しいものについて。時間を超えて存在するものについて。そのほか、いろいろ。どれもこれも、はるか昔に、わたしも考えていたことだった。しかし確かな視点を得ることができずに忘れ去られていたものだった。わたしは昔からずっと独りだったから師匠がいなかった。それがわたしの強さであり、弱さでもあった。確信をもつまでに時間がかかる原因でもあった。彼女の確信がたのもしかった。
彼女が歌のなかに吹き込んだものが、わたしのなかに眠っていたものを呼び覚ましてくれたのだ。それ以来、わたしの生の質が、まったくかわってしまった。それは懐かしい感覚だった。死んでしまったとおもっていたものが、目の前に立ち現れたようだった。

その20日後、わたしは高知市にいて、小さな小屋のなかで彼女のライヴを観ていた。びっくりするほど神聖な小屋だった。しかしその神聖さも予想どおりだった。
目の前で見る彼女は写真よりずっと綺麗だったけれど、とてもとても若い女性で、なんとまあ可愛らしい娘さんだろう、と思い、とまどってしまった。彼女の歌だけをたよりに、その小屋を訪ねていったのに、いい年をして娘さんに惹かれて観にいったひとみたいだなと感じて、恥ずかしかったのだ。
あなたのしていることが大好きなんですよ、と言うべきだったのだが、たとえ言ってみても正しく伝わらないような気がした。

その小屋で、ずいぶんいろいろなものを見た。とてもとても多くのものを。彼女の精神が育まれた背景をみたとおもった。
つぎの日に観た、その小屋の先輩歌手といわれている池マサトさんのライヴも素晴らしかった。ほとんどわたしとおなじ年なのに、あんなにきれいな目をした男性ははじめて見た。
池さんのライヴを見終えてからしばらくして、彼と矢野さんが、まったく似ていないのにもかかわらず、同じ地下茎をもった別々の花のようだったことに気づいて、あっ、と思った。

高知を離れるとき、白昼の太陽の下でその小屋の前に立ち、ふとカメラを向けて写真を撮ろうとしたが、やめた。あまりにも無垢で、はばかられたのだ。神聖さがとても無防備で、むきだしのままそこにあって、乱暴に写真を撮ることができなかったのだ。

彼女の、ソリダスターという歌のなかに、「おまえが咲かせた花を、いつかここへ持っておいで、約束しよう」という言葉があって、わたしはいま、自分が咲かせることのできる花についてかんがえている。
いや、それはきっともう目の前にある。じっと目をこらせばその輪郭が見えてくる。その眼を、ほかでもない彼女の歌が、そして池マサトさんの精神が、与えてくれたのだ。

わたしがもし100年後の人間だったとしても、彼らの音を聴けばおなじものを得ただろう。それにきっと、別の誰かが同じことをしているだろう。そのことがわたしを感動させた。

※写真:矢野絢子『窓の日』ジャケット