むかしむかし、もう30年ほど前のこと、ヒッピーくずれの評論家みたいな人が人類の未来について語っていて、コンピュータは人間の脳に限りなく近づいていき、しかもそれが互いに結び合い、地球規模のネットワークになっていくのだと説いていた。そしてわれわれはみな地球規模でヴィジョンを共有する。そういう時代がやってくる。そんなことを書いていた。グローバル・ブレイン。インターネットやパーソナル・コンピュータの概念は、じつはずいぶん昔からすでにあったのだね。
アメリカの意識革命の時代の、波しぶき………。
その潮流はやがて日本にもやってきて、わたしたちのお兄さんたちの世代は、本気でインドに何かがあると思って片道切符で旅立っていったり、ヨガや禅をやってみたり、田舎暮らしをやってみたり、社会をドロップアウトしたり、へんな宗教にかぶれたり、ビートルズのジョージみたいにハレ・クリシュナを崇拝してみたり、修行のつもりで真剣に麻薬を試してみたり、呪術師の弟子になったりしていた。騒々しい時代だった。そういえばジョン・レノンも、あるセラピストの影響をうけて意識体験をいろいろしていた。「マザー」や「神」の歌詞は、あきらかにセラピーか精神分析の影響を受けて生まれたものだ。
20歳のころのわたしは、そういう怪しい先達たちと出会うところから人生を始めた。だからはじめから、いい学校を出てお金を儲けるとか、そういう人生観とは無縁だった。仏教について読み、運命学をやり、禅や精神分析についてかんがえていた。瞑想をして玄米菜食をやっていた。朝から晩まで、宗教や意識について友と語っていた。
でもそのころの日本は物質的に豊かな国を目指してまっしぐらの時代だったから、そうした社会のアウトサイダーたちの思想はちょっと苦しいところがあった。よけいなことを考えているひまがあったら、さっさと就職してお金儲けに専念したほうが幸せでは? そのとおりだった。それに、朝から晩まで働きづめだったサラリーマンたちのほうが、意識が狭くてセンスの悪いひともいたが、それでもちゃんと現実に関わっていたし、正しかった。
いっぽうドロップアウト組のなかには、とても素晴らしいひとがたくさんいたけれど、たいていは(わたしもそうだけど)たんなる怠け者だったり、人格に問題があって社会に参加できないひとたちだった。わたしはやがて、偉そうに大きな理想は語るけれど何もできないヒッピーのひとたちが嫌いになってしまった。たぶん自己嫌悪だったのだろう。その後遺症からか、安易なエコロジーとか地球意識とか、ガイアとかグローバルとか精神世界とか、そういうたぐいの話を声高に語るひとを信用しなくなってしまった。じっさい、安易でなくマトモなひとは、ドロップアウトしていないほうに多くいた。彼らは、じっくりものを考え、静かに行動していた。
やがて意識革命の波はひいていったが、そのなかからアップルコンピュータが生まれ、パーソナル・コンピュータが生まれ、それがやがて世界へと広がっていった。パソコンというものが、カウンターカルチャーの潮流のなかから生まれてきたという事実が、わたしにとってはすこぶる面白い。旧マックOSなんて、見るひとが見れば分かるだろうが、あの時代の潮流そのもののセンスをしている。アップル創立メンバーで現在CEOの、スティーブ・ジョブズのあの胡散臭さと精神性の二面性は、そのままヒッピー文化とかホール・アース・カタログとか、そういうたぐいの文化の二面性に続いている。………えっ? ウインドウズはどうかって? ばかを言っちゃいけない。語るに落ちるというものだよ。
そうしていま、わたしは静かな部屋のなかで、PowerBookに向かってこれを書いている。今日急に思い立ってブログを始めた。なんだか時代のいちばん隅っこで、ぶつぶつ独り言を言っている老人のような気分だよ。じっさいにそんなものかもしれない。
人生はおもしろい。それに果物のように豊かで薫り高い。