さっきニュースを見て思ったんですが。
人間って、「信じること」を放棄したら、何か大切な1パーツが抜け落ちた状態になるような気がするんですよ。
人間じゃない存在になる、とまでは言わないまでも、なんか違う。
少し知っている人を疑い、
なかよしの人を疑い、
親友や、恋人を疑い、
家族を疑い、
そして、最後には、
自分も疑うのだろうか?
でも、それで、
死の床につくとき、
後悔しないのかな?
疑心暗鬼ということば。
疑うことにより、人を鬼の形に変えるということか。
それと比べると、信じられることができるということは、やっぱり幸せなことなんでしょうね。
あの時、信じられなかったこと。
アトは残っているけど、中和されるために必要だった時間。
「枯れない木」のようになるために。
どっちが優れているのかは知らないけど、僕はかわいそうだと思いましたけどね。
人間って、「信じること」を放棄したら、何か大切な1パーツが抜け落ちた状態になるような気がするんですよ。
人間じゃない存在になる、とまでは言わないまでも、なんか違う。
少し知っている人を疑い、
なかよしの人を疑い、
親友や、恋人を疑い、
家族を疑い、
そして、最後には、
自分も疑うのだろうか?
でも、それで、
死の床につくとき、
後悔しないのかな?
疑心暗鬼ということば。
疑うことにより、人を鬼の形に変えるということか。
それと比べると、信じられることができるということは、やっぱり幸せなことなんでしょうね。
あの時、信じられなかったこと。
アトは残っているけど、中和されるために必要だった時間。
「枯れない木」のようになるために。
どっちが優れているのかは知らないけど、僕はかわいそうだと思いましたけどね。