昨日、聖火リレーが日本で行われましたね。
多少のゴタゴタはあったようですが、心配された大きなトラブルはなく、無事終了したようです。
各地の聖火リレーで、チベット問題を訴えるグループと、またそれに反対と言うか反論をするグループがぶつかって、いろいろと起きています。
何か抗議したいことがあり、それについて伝えたいメッセージがあるのであれば、それを表明することはもちろん自由でなくてはなりません。
ただ、それを行うにあたり、何の罪もないランナーに恐怖心を与えてしまうやり方をしてしまっては、結局、その抗議行動も正しく伝わらず、本末転倒になってしまう気がします。
抗議をする人たちも、それに再抗議する人たちも、やはり、有形力の行使をすべきではないと思うのです。
もう一つ。
先週、大きな事件について、死刑判決がありましたね。
今回の判決が出たことによって、また死刑を存続するか廃止するかについての議論が出ているみたいです。
僕個人としては、「どちらとも言えない」というのが、嘘のない正直な思いです。
何か残酷な事件が起き、それについての詳細が報道されたりすると、「こんなひどいことをした人間については、死刑にするのもやむを得ないのではないか」と思うのは間違いありません。事実、ずっとそう考えていました。
ですが、その後、冤罪等の問題を知ったことで、物事はそう単純ではないということを知りました。加えて、最近こういうニュースを見ました。
ある事件(今回のとは別の事件)について死刑判決が出たというニュースだったのですが、その中で、裁判を見ていた被告人のお母さんがその判決を聞いて号泣していたというレポートがされていました。
よく、死刑廃止論に対する批判として、「死刑をなくしたら、被害者の処罰感情が満たされない」旨の意見が出てきます。それは確かにそうだと思います。ですが、僕は上のニュースを聞いて、「死刑になる人にも、近しい人がいる」という当たり前のことが思考の上で抜けていたことに気付いたのです。それを思うと、ますます分からなくなりました。
こんな考えには、「悪いことをしたのだから、たとえ死刑であってもその罰を受けるべきである」と言われると思います。また、僕の考えが甘いと言う人もいるでしょう。もちろん、そういう意見は間違っていないと思います。ですが、僕は、そう簡単に割り切れないのです。
ネットなどを見ると、(その程度の差こそあれ)存続派のほうが多いようです。ですが、それをもって、死刑廃止を訴えている人が汚い言動で非難されるようなことは起きて欲しくありません。もちろん、将来情勢が変わって、廃止派が多数になったときに、存続派に対してそうすることも、また同様だと考えます。
裁判員制度も、もうすぐ始まります。それを考えると、ニュースや新聞から得る情報も、簡単に流すわけにはいかなくなっていると思います。
多少のゴタゴタはあったようですが、心配された大きなトラブルはなく、無事終了したようです。
各地の聖火リレーで、チベット問題を訴えるグループと、またそれに反対と言うか反論をするグループがぶつかって、いろいろと起きています。
何か抗議したいことがあり、それについて伝えたいメッセージがあるのであれば、それを表明することはもちろん自由でなくてはなりません。
ただ、それを行うにあたり、何の罪もないランナーに恐怖心を与えてしまうやり方をしてしまっては、結局、その抗議行動も正しく伝わらず、本末転倒になってしまう気がします。
抗議をする人たちも、それに再抗議する人たちも、やはり、有形力の行使をすべきではないと思うのです。
もう一つ。
先週、大きな事件について、死刑判決がありましたね。
今回の判決が出たことによって、また死刑を存続するか廃止するかについての議論が出ているみたいです。
僕個人としては、「どちらとも言えない」というのが、嘘のない正直な思いです。
何か残酷な事件が起き、それについての詳細が報道されたりすると、「こんなひどいことをした人間については、死刑にするのもやむを得ないのではないか」と思うのは間違いありません。事実、ずっとそう考えていました。
ですが、その後、冤罪等の問題を知ったことで、物事はそう単純ではないということを知りました。加えて、最近こういうニュースを見ました。
ある事件(今回のとは別の事件)について死刑判決が出たというニュースだったのですが、その中で、裁判を見ていた被告人のお母さんがその判決を聞いて号泣していたというレポートがされていました。
よく、死刑廃止論に対する批判として、「死刑をなくしたら、被害者の処罰感情が満たされない」旨の意見が出てきます。それは確かにそうだと思います。ですが、僕は上のニュースを聞いて、「死刑になる人にも、近しい人がいる」という当たり前のことが思考の上で抜けていたことに気付いたのです。それを思うと、ますます分からなくなりました。
こんな考えには、「悪いことをしたのだから、たとえ死刑であってもその罰を受けるべきである」と言われると思います。また、僕の考えが甘いと言う人もいるでしょう。もちろん、そういう意見は間違っていないと思います。ですが、僕は、そう簡単に割り切れないのです。
ネットなどを見ると、(その程度の差こそあれ)存続派のほうが多いようです。ですが、それをもって、死刑廃止を訴えている人が汚い言動で非難されるようなことは起きて欲しくありません。もちろん、将来情勢が変わって、廃止派が多数になったときに、存続派に対してそうすることも、また同様だと考えます。
裁判員制度も、もうすぐ始まります。それを考えると、ニュースや新聞から得る情報も、簡単に流すわけにはいかなくなっていると思います。