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24/9/9 【カワセミの観察】カワセミの漢字表記/語源:「翡翠」

2024年09月09日 14時03分54秒 | 自然観察・動物・植物・生物

24/9/9 【カワセミの観察】カワセミの漢字表記/語源:「翡翠」

 昨年1月から野鳥観察を始めて、「空飛ぶ宝石」と呼ばれるカワセミをの美しさを見て以来、カワセミの虜になっています。

 早朝のお散歩と【8時台からのお散歩】では、カワセミにに出会うのが楽しみになっていましたが、6月、カワセミの楽園:エリア2で草木が伐採された後、カワセミは、このエリア2を離れて行きましたが、7月初旬から、時々このカワセミの楽園:エリア2に戻ってくるようになりました。

 カワセミのカップルに子供が生まれたようで、7月の始めから幼鳥が巣穴から出て来てカワセミの子供:幼鳥達は、カワセミの楽園:エリア1からエリア2で飛ぶ練習、猟の練習をしていました。

 その後、カワセミの子供は、成鳥になりましたがカワセミがコンクリートブロックに止まって狩猟するのを見るのが楽しみです。

今朝も【8時台からのお散歩】に行って、【カワセミの観察】をしてきました。

【8時台からのお散歩】でカワセミや昆虫、植物に出会えるか楽しみにして歩いてきました。

残念ながら、今朝は、カワセミの楽園:エリア2での出会いはありませんでした。

★ カワセミの漢字表記:「翡翠」に関して 

 復路では、カワセミの楽園:エリア2の猟場を歩いていますと久しぶりにトラストの調査員の方と出会いました。私が毎朝カワセミの観察するのが楽しい事をお話ししましたら、喜んでくれました。

トラストの調査員の方からカワセミの漢字表記:「翡翠」と教えてもらいました。

ヒスイ色のカワセミは漢字で「翡翠」と書く。

鳥へんを使用していませんでした事に驚きました。

カワセミは“渓流の宝石”と形容されるように、頭から翼、尾まで光沢のあるヒスイ色をしているます。宝石のヒスイはこの鳥の羽の色に由来して名付けられていると言われています。漢字で「翡翠」と書くと、「カワセミ」「ヒスイ」のどちらの読み方もできます。 

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■「翡翠」に関して : ヒスイ(翡翠、英: jade、ジェイド)は、深緑の半透明な宝石の一つ。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)

東洋(中国)や中南米(アステカ文明)では古くから人気が高い宝石であり、金以上に珍重されたこともある。古くは玉(ぎょく)と呼ばれた。

鉱物学的には「翡翠」と呼ばれる石は化学組成の違いから「硬玉(ヒスイ輝石)」と「軟玉(ネフライト : 透閃石-緑閃石系角閃石)」に分かれ、両者は全く別の鉱物である。

しかし見た目では区別がつきにくいことから、どちらも「翡翠」と呼んでいる。

1.古代史

 ヒスイは非常に頑丈なことから、先史時代には石器武器の材料でもあった。ヨーロッパでは翡翠で作られた石斧が出土する。

 現在判明している世界最古のヒスイの加工は、日本国内の新潟県糸魚川市(の現領域)において約5,000年前に始まったものである[1]。世界最古の翡翠大珠が同国内の山梨県で見つかっている。

2016年時点では国内の翡翠加工史は7千年前とされている。

 中国ではヒスイは他の宝石よりも価値が高いとされ、古くから腕輪などの装飾品や器、また精細な彫刻をほどこした置物などに加工され、利用されてきた。

 不老不死および生命の再生をもたらす力を持つと信じられており、古代においてはヒスイの小片を金属糸などでつないだ玉衣(中国語版)で貴人の遺体全体を覆うことが行われた。

 中南米の王族の墓でも同様の処置が確認される。ニュージーランドやメソアメリカではまじないの道具としても使われていた(メソアメリカでは腹痛を和らげる石として使われていた)。

2.硬玉と軟玉

 硬玉と軟玉は組成的にはなんら関係のないものだが、見た目が似ていることからどちらも翡翠と称される。

中国では軟玉しか産しなかったこともあり軟玉も宝石とみなされるが、一般的には軟玉は半貴石に分類される。

中国で翡翠として称されて販売されるものは現在でも軟玉が多い。

軟玉のうち白く透明感のある最上質のものは羊脂玉と呼ばれ、硬玉よりも高値で取引されることがある。

3.現代の利用

ヒスイは装飾品のほか、ランプシェードなどの工芸品にも使われていて、中では高い硬度を生かしたコーヒーミルも作られている。

4.日本のヒスイ史

 日本列島においては世界最古と考えられるヒスイ加工文化が発展したが、のちに衰退して忘れ去られていた。

しかし20世紀に再び国内での産出が発見されたことで、歴史学的・地理学的な注目を浴びることとなった。

5.古代における発展

5-1 縄文時代の装身具

 日本におけるヒスイ利用文化は約5,000年前の縄文時代中期に始まり、縄文人がヒスイの加工を行っていた。のち弥生時代・古墳時代においても珍重され、祭祀・呪術に用いられたり、装身具や勾玉などに加工されたりしていた。

 新潟県糸魚川市(現在)のヒスイ海岸に打ち上げられたヒスイの原石が交易品として海路を用いて広く運ばれたとされ、北海道から沖縄に至る範囲で1千箇所以上でヒスイの加工品が発見されている。

 糸魚川のヒスイは海外にも運ばれ、朝鮮半島からも出土している。さらに中国の史書「魏志倭人伝」に記載された邪馬台国の台与が中国王朝に贈った2個の勾玉がヒスイだったという説もある。

6.衰退と忘却

 奈良時代に入り仏教が伝来すると、王朝はそれまで重要とされていたヒスイの利用を避けるようになり、急速に日本の歴史から姿を消した。

ヒスイを多くあしらった国宝である東大寺不空羂索観音立像はその過渡期のものである。

 そのため以後はヒスイの加工文化のみならず日本国内で産出することも忘却されており、昭和初期までの研究者たちは、日本国内の遺跡から出土するヒスイの勾玉等は海外(ユーラシア大陸)から持ち込まれたものだと考えていた。

7.再発見

 1938年(昭和13年)、糸魚川市に在住する文学者の相馬御風が、史書の記載によればかつて糸魚川周辺を治めていたという奴奈川(ぬながわ)姫がヒスイの勾玉を身につけていたとされるため、付近にヒスイの産地がある可能性があると考えた。

 相馬が知人の鎌上竹雄にその旨を話したところ、鎌上はさらに親類の伊藤栄蔵に口伝し、伊藤は同年8月12日に居住していた小滝村(現・糸魚川市)を流れる小滝川に注ぐ土倉沢の滝壷で緑色の美しい石を発見した。

 翌1939年(昭和14年)6月、その石は鎌上の娘が勤務していた病院の院長である小林総一郎を通じて、小林の親類であり東北帝国大学理学部で岩石鉱物鉱床学を研究していた河野義礼へ送られた。

 河野の上司である教授の神津俶祐が所有していたビルマ産のヒスイとその石とを河野が分析比較した結果、小滝川で採れた緑色の石はヒスイであることが判明した。

さらに翌7月、河野は現地調査によって小滝川の河原にヒスイの岩塊が多数あることを確認し、河野は同年11月に論文を発表した。

この結果、日本国内にはヒスイの産地が存在することが証明された。奈良時代に忘れられて以降、約1,200年もの時を経た再発見であった。

日本列島周辺で太古に利用されていたヒスイ加工品が海外渡来でなく日本国内由来のものであったことが示され、考古学上および地質学上の通説を覆す、歴史的意義の大きい画期的な発見となった。

8.再発見にまつわる謎

この再発見に関してはさまざまな疑問点、またそれ以前の「再発見」の可能性を示す異説が存在する。

9.現代

2016年(平成28年)9月には日本鉱物科学会により日本の国石と認定された。

 日本鉱物科学会は,社団法人化の記念事業の一環として日本の石、すなわち「国石」の選定事業を進め,2016年9月24日の総会において「ひすい (ひすい輝石およびひすい輝石岩)」を国石として選定しました。

なお、天然の翡翠を砕いて持ち帰る行為は環境の保護などを定めた法律に違反するおそれがある。

10.中国の玉彫工芸史

10-1 翠玉白菜

中国において玉は中国では美しい石、宝石の総称で、古くから実用品や装飾等の材料として用いられた。玉の中でも特に翡翠が珍重されたことから、玉は翡翠の意味としても使われた。

玉器すなわち玉彫工芸品は、中国の伝統工芸品において重要な位置を占める。璧・琮などの玉器は古くから作られ(古玉)、「和氏の璧」などの故事の題材にもなっている。

なお、草創期の玉器には石英や滑石も含むが、故宮博物院に収蔵されているような玉器のほとんどは軟玉である。

古い時代の中国では、特に白色のものが好まれており数々の作品が残っている。

これらの軟玉の産地は、現在の中国新疆ウイグル自治区に属するホータンであり、他の軟玉より硬く籽玉(シギョク、シは米へんに子)または和田玉(古くはコーラン玉)と呼ばれていた。

 18世紀(清の時代)以降、ミャンマーから硬玉が輸入されるようになると、鮮やかな緑のものが好まれるようになった。そのなかでも高品質のものは琅玕(ロウカン、(カンは玉へんに干)と呼ばれ珍重されることになった。台北国立故宮博物院にある有名な翠玉白菜の彫刻は硬玉製である。

琅玕は中国語で青々とした美しい竹を意味し、英語ではインペリアルジェイドと呼ばれる。これは西太后が熱狂的な収集家であったことに由来するとされる。

2008年(平成20年)の北京オリンピックのメダルにもヒスイの装飾が用いられた。

 

11.語源 : 翡翠

元々、翡翠は美しい石として、瑪瑙やその他の宝石とともに「玉」と総称されていた。

「翡翠」は中国では元々カワセミを指す言葉であったが、時代が下ると翡翠が宝石の玉も指すようになった。

その経緯は分かっていないが以下の説がある。翡翠のうち白地に緑色と緋色が混じる石はとりわけ美しく、カワセミの羽の色に例えられ翡翠玉と名づけられたという。

この「翡翠玉」がいつしか「玉」全体をさす名前になったのではないかと考えられている。

古代日本では玉は「たま」、カワセミは「そび」「そにとり」と呼ばれていた。カワセミに「翡翠」の字があてられ「ヒスイ」とも呼ばれ始めたのは室町時代以降である。

したがって「翡翠」の語は中国から輸入されたと推察できる。

古来からカワセミは、空飛ぶ「宝石」だったのですね。

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9月4日:旧カワセミのマイホーム辺りで枝にじっと止まって休んでいるカワセミ

 

 

 

カワセミは、とっても可愛い!!です。カワセミに出会うと幸せ気分になります。

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