サンモリッツからループ線などで勾配を緩和しながら頑張ってきたレーティッシュ鉄道の電気機関車は会社境界のDisentis/MusterでMGBのアプト式電気機関車に交代します。交代した機関車にはマウント富士の銘板がついていた。これはアンデルマットで20分間の小休止の写真だ。食事しながらとはいえ8時間の長旅はきつい。小休止は良かった。
サンモリッツから氷河急行へ乗車。残念ながらまたもループ線は見えず,Chur で乗客を拾い,ツェルマットへ向かう。食事は席まで運んでくれるが,あんなに働いて大丈夫かなと思うくらいよく動く。飛行機と違い,カートで配るわけではないので大変だ。ガラス窓が大きいので,日が照っていれば可成り暑そう。お天気は丁度良いくらいになった。真っ赤に塗られた車両にはキッチンとビュッフェがある。二等者は一列4席,一等車は4人ボックスと向かい合いの二人席という一列3席の配列だ。シ-トはやや堅めでリクライニングしない。
氷河急行の予約がメールでできた。ホームページから予約できるようになっている。旅行社に頼むより割安で返事も早い。座席予約だけでCHF30,食事がCHF41。氷河急行の予約番号 Dosier Number を告げれば、チューリッヒ空港駅で発券してくれる。チューリッヒからスイス国鉄で Chur へ行き、レーティッシュ鉄道に乗り換えた。Chur では同じホームの反対側という新八代のようなスムーズな乗り換えだ。国鉄と私鉄、1435mmから1000mmと軌間もちがうのに見事なサービスだ。Chur からしばらくは片側3線構造となっている。引き込み線のようだ。残念ながら天候が悪く有名なループ線はよく分からなかった。Viafier reticaと車体にロマンシュ語で書かれた車両もある。
Now I am in Bern Switzerland and leave to Tokyo today. I will write experiences in Switzerland in Tokyo, where Japanese characters are available.
1970年に初めてベルリンへ行ったとき着いたのがテンペルホーフ空港でした。
テンペルホーフ空港はベルリン閉鎖の時代に活躍した空港です。4カ国占領時代は米国がテンペルホーフ空港で、英軍が現在使われているテーゲル、仏軍がグルーネワルトの湖のような Havel 川を挟んだ対岸の Gatow 飛行場(現在は小さい航空博物館とゴルフ場がある)、ソ連軍が Schoenefeld となっていました。Schoenefeldは現在主に東側へ行く便が使っていますが、将来は拡張される主要空港となる予定です。
テンペルホーフ空港の閉鎖に関しては次のブログを参照して下さい。
テンペルホーフ空港の閉鎖が確実に
テンペルホーフ空港はベルリン閉鎖の時代に活躍した空港です。4カ国占領時代は米国がテンペルホーフ空港で、英軍が現在使われているテーゲル、仏軍がグルーネワルトの湖のような Havel 川を挟んだ対岸の Gatow 飛行場(現在は小さい航空博物館とゴルフ場がある)、ソ連軍が Schoenefeld となっていました。Schoenefeldは現在主に東側へ行く便が使っていますが、将来は拡張される主要空港となる予定です。
テンペルホーフ空港の閉鎖に関しては次のブログを参照して下さい。
テンペルホーフ空港の閉鎖が確実に
インターFMではないけれど、今日は神谷町から。
今建設中のベルリン地下鉄55線の Bundestag (国会議事堂)駅でモーツァルトの魔笛が演奏されたらしい。マサトさんのページの記事にある。開通は2009年度になるそうだ。さらにアレキサンダー広場まで延びるのは大変時間がかかるだろう。
今建設中のベルリン地下鉄55線の Bundestag (国会議事堂)駅でモーツァルトの魔笛が演奏されたらしい。マサトさんのページの記事にある。開通は2009年度になるそうだ。さらにアレキサンダー広場まで延びるのは大変時間がかかるだろう。
ブダペストからブラチスラバ,プラハ経由ベルリン行きという4カ国を貫く国際列車はプラハ本駅(頭駅)を通らないで,Holocevice駅に停まります。チェコ国鉄自慢のウイーン南駅行きのEC(SC)もHolocevice駅発です(写真)。Holocevice駅は都心から離れていて,新大阪あるいは新横浜のようなものです。タクシーはタクシーの標識に黒い袋を被せていて一般客を乗せようとしません。客を送ってきたタクシーはタクシー乗り場からは離れたところで,客を降ろして逃げ去ります。幸い地下鉄駅に近いところのホテルを予約してあったので,地下鉄を使いました。エスカレーターが高速度で少し障害がある身にとっては怖かったのですが,無事ホテルに到着しました。帰りにわかったのですが,送ってきたタクシーは荷物を列車まで運ぶ人にリレーするのです。結構な値段を請求します。ウイーンに着いたとき,ポーターが荷棚に押し込んだトランクを引き出そうとしたら,蛍光灯のカバーが外れ顔に痣を作るというハプニングがありました。苦情を言う暇がなかったのですが,設計ミスだと思います。日本へ帰ってきてから見たら,日本の車両は荷棚の傍に電気のカバーがあるように作りには成っていませんでした。