メランコリア

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ここにあるのはわたしの心象スケッチです。

ボリス・ヴィアン全集5『赤い草』(早川書房)

2005-12-08 23:55:55 | 
ボリス・ヴィアン全集5『赤い草』(早川書房)
原題L'Herbe rouge by Boris Vian
ボリス・ヴィアン/著 伊東守男/訳
初版1978年(1987年 3版) 1030円

※2003.2~のノートよりメモを抜粋しました。
「作家別」カテゴリーに追加しました。


「40までには死ぬよ」と予言して、実行した彼が、たしか最後に書いた長編ではなかったか?
訳者あとがきには、擦り切れてゆく人生の悲しみを書いたのではないか、とあるが、
私は今作で記憶をよみがえらせては整理し、区切りをつけて消し去る、
ヴィアンの自伝であり、死を目前にして行った、小説という形をとった心理分析と浄化作業に思える。

作品を通して連呼する4つのキーワード:
●user すりきれる
●indifferent どうでもよい
●vide 虚ろな
●triste 悲しい

幼児期は、親の過保護と、下らぬ教育・体制に屈し、青年期は性病に怯えて自己を抑制、
親友を亡くした壮年期は、心臓病と闘いながらペットを吹き、
理解されがたい小説を書いて、誤解され続けた男。

華やかに人生を謳歌しつつ、目前に迫る死と常に向き合わなければならない絶望、
今作では、このどうしようもない絶望感が、終始、全体に死臭のように漂っている。


訳者
「優れた作家ほどマンネリだ。生涯たった1つのテーマしかなく、全作品はその繰り返し、
 同一キーワードの繰り返し、無意識にせよ、自分のキーワードを繰り返し書きたいために作品を書くのだ」
という件はおもしろい。

「作家は自分が何を言いたいのか、さっぱり分からない者」


あらすじ(ネタバレ注意

記憶除処装置が完成し、働きづめだったウルフとラズーリ(青金)は、
妻リール、フォルアブリル(四月ばか)と一緒にパーティを開く

「誰でもそうするサ。好きなもの同士をくっつけるんだ。
 だから自分で自分のことを好きじゃない人間は、いつも一人ぼっちになっちゃうもんさ」

翌朝、犬のセナターを連れて田舎っぺ遊び(?)をしに行くウルフ(野球かな)
犬が欲しいと言う“ウアピティ”(動物?)を探す

リールは「嗅ぎ師」という占い師に見てもらい
「夫がずっと探していたものが手に入る」と予言を受ける

ウアピティを見つけたセナターは、理想が達成されたために廃人(犬)となる

翌日は、除幕式で政治屋等も集まり、盛大に意味なく進行
そしてとうとう機械を動かす

ケージ(骨組)に入ったウルフは、過去の事柄を話しては忘れてゆくため、
まずベルル(真珠)という老人に会い、「家族との関係」を聞かれ
自分の体が弱いと夏でもセーターを厚着させられたことなど親への愛と憎しみを語る

ラズーリは四月ばかと一緒にいて、欲望を感じる度に見知らぬ男が見ているのに気づいておののく
他の人には見えない

ウルフとラズーリは、夜の街へ女を買いに出る
遊んだ後、水夫に誘われ“血流しゲーム”に参加
縛られた男女の裸に吹き矢の針を刺すのだが、
ラズーリはまた例の男が見えて、興ざめして止める
帰る途中、洞窟へ入り、黒人踊りを見物

再びケージに入るウルフ
学校の中でブリュールという男に案内され、グリール神父に「教育と宗教」について語る
自分が無神論者で教会などがいかに下らなくて気まずい思いをしたか

「子どもに16年間も規則正しい習慣を押しつけるなんて醜いじゃりありませんか。
 時間を捻じ曲げてしまっているんです。
 本当の時間は主観的で、決して1時間毎に正しく分けられてる機械的なものじゃない」

「学校は懲り懲りです。すっかり擦り切れてしまいましたからね。
 私は擦り切れるなんて大っ嫌いです」

「長いこと生きたならともかく、人生を擦り切れで始めるなんて我慢できずに反抗したんです。
 空気や太陽や、草がある場所がある以上、そこに行っていないのは、
 いつでも残念で仕方がないもんです。とくに若いうちは」

「学問なんて何になるんです。世の中で一番易しいもんじゃありませんか。
 数学を習うより、ボクシングのほうが難しいんですよ。
 しかもこれらの馬鹿連中は、教育を無駄にせずに、
 スポーツ新聞を奪いあっては、スタンドの英雄を讃えてるんですからね」(納得

ウルフはリールに絶望を告げる

「確かに君がいる。だけど他人の皮膚の中に入ることはできないよ。
 どうしても2人になっちゃう。君は君で満員だ」

四月ばかと一緒にいたラズーリは、次々と現れる特徴のない幻の男らをナイフで刺し殺し
ついに自分も刺して死ぬ

その瞬間、四月ばかにも無数の死体が見え、その顔はラズーリと同じだったが、すぐ溶けて消えた
リールに伝えて、2人で部屋に行くと落雷でラズーリは部屋ごと吹き飛んでしまっていた

ウルフは海岸で2人の老女エロイーズとアグラエに会い「愛」について質問する

「自尊心が強かったこと」「男女の愛情の違い」「性病の恐れ」

「結婚したのは生理的に女が欲しかったから」(正直だな)

愛情を忘れたウルフは、リールのお気に入りの皿を割って出て行く
リールも引き留めもせず
「よく考えてみると、彼らは私たちに合ってないんだわ。私たちも彼ら向きじゃなかったのよ」


ウルフは再び海岸に戻り、さっきの2人のめいカルラに会う

「あなたはいつも欲望には打ち勝ってきたのね。今でもそう。だから若死するのよ」


そして、最後の人物、見張り小屋の老官吏に会い、税金を払えと言われ、理由は
「税金お納めさせるのに使うんだ」w

老人の口に砂を詰め込んで殺すウルフ

「もう下らぬことに自分を擦り切らしていくのは懲り懲りだ
 なぜって私はもう自分を散々擦り切らしているんだ!」

「死人以上に孤独な者はいるかね。けど死人以上に寛容な者はいるかね。
 死人以上に安定している者はいるかね。死人以上に愛想のいい、役目にふさわしい、
 あらゆる不安から自由な者はいるかね。
 死体以上に完璧で、完結した者はないからね」

「死人か、いいもんだ。何も欠けているものがない。
 記憶もないんだ。もう終わっているんだからな」

彼が叫ぶほど生への愛おしさへの叫びに聞こえる。
西欧には、死んでも魂は生きつづけるという概念がないんだ。


とうとう全ての計画を終えて何も残らないウルフは崖から落ちて死ぬ

ふっきれたリールと四月ばかは、荷物もそこそこに地を去る
愛情は持たず、金持ちのゲイと暮らす夢を語る




ボリス、いや男にとっての女性観は今でも大して変わっていないとみえる。
故に、男が絶望的な死に方で幕を閉じても、現実と未来に向かって
あくまでポジティブに歩き出す女2人との対象がハッキリとしたラストが面白いとともに、
明日への希望さえ感じられて、作品の陰鬱さを一気に晴らしてくれる。
彼女らがいる限り、生命は、時間は続いていく。


本書には他にブラック・ユーモア短編が入っている。

「見せかけの時間」
110階から飛び降り自殺した男がのんきに各階の様子を見ながら、
好きだった女の子の回想をし、ついにはコーヒーまで飲んでいく。
最期の瞬間がこんなに穏やかなら死の恐怖も薄らぐだろう。


「消防夫」
家に火をつけた子どもと、叱らないばかりか、のんきに遊びに付き合う父というスラップスティックな話。


「引退者」
今でも時々起こる残虐な中高生の浮浪者イジメがエスカレートして殺してしまう事件。
が、この老人は一枚上手で、持っていた銃であっさり少年を撃ち殺して去ってゆく。
どっちかというと小気味良い結末だ。



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