メランコリア

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ここにあるのはわたしの心象スケッチです。

少女名作シリーズ7 悲しみの王妃 シュテファン・ツヴァイク 偕成社

2024-05-08 14:45:41 | 
1972年初版 1982年22刷 大庭さち子/編著 山下一徳/カバー図案 辰巳まさ江/カバー絵・口絵・挿絵

「ジュヴェナイルまとめ」カテゴリー内に追加します


タイトルだけじゃ分からなかったが、マリー・アントワネットの物語だった
自由奔放な少女が王女に生まれて、王妃として贅沢三昧をした日々から
革命で王権をはく奪され、死刑にされるまでが描かれ
少女が読むものとしては少し刺激が強すぎる気もするくらい
後半は人間の残酷さを感じる

都市伝説的にほんとうは家族みんな監獄から脱出して生き延びた説はないのかな?


【内容抜粋メモ】

登場人物

オーストリア
マリア・テレサ オーストリアの女帝
マリー・アントワネット オーストリアの王女
兄ヨーゼフ2世→兄レオボルド→息子フランツ

フランス
ルイ16世 1774年に王となった
王づきの女官長デュバリー夫人
ノアイユ夫人
フェルゼン スウェーデンの青年貴族



●宮殿の王女さま
オーストリアの都ウィーンにあるシェーンブルン宮殿
13歳のマリー・アントワネットと3人の姉はこの宮殿で生まれた

父は亡く、母マリア・テレサが皇帝
マリー・アントワネットが14歳になり、フランスの皇太子の妃になると告げ
フランス語もピアノも稽古をなまけていることを嘆く






●王家のあらそい
オーストリアのハプスブルク家とフランスのブルボン家は、何百年も争い続けてきたため
戦争をやめて、仲良くするため、両方の外交官が集まって相談した

1766年
マリア・テレサのお気に入りの外交官カウニッツと
ルイ15世に信用されているショアズールらは
ルイ15世の孫の皇太子とマリー・アントワネットを結婚させようと決めた

1769年
結婚式は来年のイースター祭に挙げる、と決まる







マリア・テレサはマリー・アントワネットのダンスの教師として
ウィーンに来ていたフランスの劇団の役者をつけるが
旅回りの役者を先生にすることに反対し、教育はフランスでやるとして
ベルモンという神父がつく

そのころのフランスの宮殿では、婦人は心が優しく、姿が美しければ尊敬され
勉強して学問を身につけていると嫌われた







●おわかれ
長い戦争で国のお金をムダに使っていたが
両国は結婚式を立派にしようとさらに金をかけた

1770年
ガラス張りの馬車2台を先頭に、46台の馬車が宮殿をめざす
マリア・テレサは、細々とした心得を書いて、マリー・アントワネットに渡す







国境に流れるライン川にある無人島に急ごしらえで建てた建物の中で
お引渡しの式が行われた

オーストリアの着物はすべて脱がされ、フランスの洋服に着替え
お付きの者も離されて、1人でフランスに旅立つ

コンピエーヌの森を抜け、宮殿で初めてフランス王と会う
皇太子は頭が鈍く、姿はぶかっこうで、退屈そうに黙っている

5月13日
ベルサイユ宮殿のルイ14世寺院で本当の結婚式が行われた
一般の国民も庭に入り、花火があげられる予定だったがひどい嵐となる



●ベルサイユ宮殿
ルイ14世:私は王だ 王は神である と言って建てたのがベルサイユ宮殿
ルイ15世には14世ほどの力はなく、魔物の巣のように乱れていた

皇太子はいつも不機嫌で、狩りや野あそびにふけっている

宮殿には2つの派閥があり、1つはルイ15世の3人の娘
アデレード、ビクトア、ソフィー
もう1つは、王づきの女官長デュバリー夫人で政治まで口を出している

身分の高い婦人には話しかけることができない決まりだから
デュバリー夫人に言葉をかけないという芝居をしよう
とマリー・アントワネットを誘う3人の娘








●みじかいことば
どんな会でもデュバリー夫人を無視するマリー・アントワネットに怒り、ルイ15世に訴え
ノアイユ夫人は、フランスに来ているオーストリアのメルシー大使に相談
大使はマリア・テレサに手紙を書いて知らせ、母がひどく怒っていると伝える









マリー・アントワネットが夫人に話しかけようとすると
アデレードが帰る時間だと言って連れて行く
これがオーストリアとフランスの問題まで広がる(ばかばかしいな・・・







プロシアのフリードリッヒ大王と、ロシアのカザリン女帝から
ポーランドを3国で分けようと相談を受けていたマリア・テレサは
総理大臣カウニッツや、息子ヨーゼフ2世に言われて条約を結ぶ

新年を祝う式の日、マリー・アントワネットはデュバリー夫人に
「今日はベルサイユは、大変な人ですこと」と言葉をかける



●パリの女王
馬車で2時間ほどの都パリに行かせてほしいと頼み、1773年と決める
チュイルリー宮殿のバルコニーに立ち、20万の人々の歓迎を受けて感動するマリー・アントワネット








マリーはたびたびお忍びでパリを訪れ、オペラ座、仮装舞踏会など夜の遊び場に通う

オーストリアの音楽の天才グルックが新しい歌劇をパリで披露したいから
協力してほしいとメルシー大使から頼まれる

フランスではオーストリアの音楽は野蛮だとして
フランスの舞台にかけるのを嫌っていたが
マリーは「イヒゲーニェ」をかけて大成功させる



●王妃のかんむり
1774年 ルイ15世は狩りの途中で天然痘にかかる
5月10日 死去 ルイ16世19歳、マリー18歳で王妃となる







マリーの散財はさらに進み、かけ事まで始める
マリー:私は退屈がいちばん怖い
フランスの上流階級はみんなそう思っていた







ベルサイユ宮殿が窮屈になり、トリアノン宮殿を模様替えして10年住む
ここで使ったお金は165万リーブル

周囲は王妃のご機嫌をとり、騙してお金を巻き上げようとする人ばかり
口うるさいメルシー大使、ベルモン神父、ノアイユ夫人も出入りが禁じられる

代わりに莫大な金を手に入れたのはボリニャック夫人
マリーの信用を得て、40万リーブルを騙し取り
夫を公爵にし、父に年金を渡し、兄は海軍大佐、姉を女官にする
毎年50万リーブルがボリニャックに流れていた



●母となる
兄ヨーゼフ2世がパリに2か月ほど滞在して周る
ヨーゼフ2世からの手紙には
「あなたが心を改めなければ、今に恐ろしい革命が起きるでしょう」と書かれていた

1年後、マリーは王女を産む
フランスは王女は王の位を継ぐことはできない
マリア・テレサはそれを心配しながら1780年に死去







翌年、王子が誕生
ルイ16世は「皇太子が生まれたんだよ」と涙した

マリーはふたたびトリアノン宮殿に入り浸り
3人の娘、ノアイユ夫人、辞任させられた大臣らが憤慨する

イギリスでは国王を名ばかりにして国民が政治を行い
アメリカは独立して、新しい国をつくり、民主主義が広まり
フランス国民も「我々も王と同じように幸せに暮らしていいはずだ」と思う



●首飾り事件
カンバン夫人は宝石商のベーマーが、数か月前
王妃が買ったダイヤの首飾りの代金を払ってほしいと言ってきた

160万リーブルという高い値段で、バロア夫人が関わっている
マリー:名前も聞いたことありません

ロアン大司教は、贅沢な遊び好きで有名
総理大臣になる野望を持つがマリーに嫌われているため
バロア夫人に仲を取り持ってくれと頼んだ

バロア夫人は王妃が会うとウソをつき、替え玉を使って王妃のニセの手紙を渡した
高価なダイヤの首飾りを買うようしむけ、手に入れると売って大儲けした

証拠となる手紙は、マリーが読まずに焼いてしまったため
ロアンが支払うと言っても聞かず、罪を着せる







1786年、高等法院での裁判でロアン大司教は無罪、バロア夫人は牢に入れられる

大蔵大臣は、ルイ16世が王になって12年間で12億5000リーブルの借金ができたと発表
フランス国民:その日のパンも食べられないのは、王妃が贅沢をしているからだ

マリーは反省し、トリアノン宮殿に行かず倹約したが、遅かった



●火の手があがる
1789年
貴族:バスチーユ監獄が壊され、隊長の首を槍にさしてパリの町中を練り歩いている 革命です!

王は初めて三部会を開く
第一部貴族と第二部僧侶は第三部国民と争い
国民は自分たちで国民議会を開き、民主憲法をつくると宣言

王は怒ってバスチーユの牢獄を王の軍隊で固めて国民を脅そうとしたが
2万の群衆がバスチーユに集まり、隊長を殺した

10月5日 国民の大軍がベルサイユ宮殿におしかける
王と王妃を革命軍の本部があるパリへ閉じこめようと計画

王ら家族は馬車でパリに向かい、150年も空き家だったチュイルリー宮殿に入れられる
皇太子は当時5歳







妹思いの兄ヨーゼフ2世も亡く、オーストリア王は次の兄レオボルド
マリーはスウェーデンの青年貴族フェルゼンに助けを求める

王らは粗末な服に着替えて変装し、近衛兵に護られて、裏出口から出る
フェルゼンは初めて馬車を走らせて2時間遅れたことが運命を分けた
ボンデーの森で落ち合う約束でフェルゼンを帰らせる







シャロンに着き、次の村でショアズールが騎兵隊を連れて待っている手はずだったが
着くのが遅かったために引き払ってしまった

マリー:バーレンヌへ行けば騎兵隊が待っているはず
バーレンヌで止められ、村の宿屋に入れられる

国民議会は王に代わって政治をとり、王一家はパリへ送り返され
王の権利をはく奪し、新しい憲法をつくった



●宮殿から牢獄へ
革命軍はオーストリアに戦争をしかける
マリーは兄レオボルド皇帝に手紙を書いて戦争をしないよう頼むが
手紙が着く前にレオボルドは病死

跡を継いだのは、息子のフランツで、フランスと戦争を始める
マリーは革命軍の秘密をオーストリア大使にしらせる



●名ばかりの王
国民議会の中心となったジロンド党はマリーをスパイとして王一家を捕える
国民軍がパリまで迫り、王一家を物置のような部屋に閉じこめる

国民議会と、パリにできた市会「コンミューン」は
王一家をタンブル牢獄へ移すと決める



●1月21日の朝
オーストリア軍はフランスの革命軍を破る
革命に反対した貴族2000人が殺された

王という名を取り上げ、フランス共和国となる
王は2階から1階へ移され、死刑が言い渡される







ルイ16世:あすの朝、また会おうね と子どもたちに別れを告げ
1月21日の朝、死刑に処された



●窓にすがって
フェルゼンもフランスから追い出され、スウェーデンに帰った
王妃と子どもを脱獄させるため、レピトルに頼むが厳しい取り調べを怖れて手を引く

何度も脱獄計画が失敗し、共和政府の役人はマリーから子どもを引き離す







たった1つのあかりとりの窓から、中庭で遊ぶ
9歳の皇太子の姿が見えるのを心の支えとするマリー
38歳になり、頬はこけ、髪は白くなった









マリーは子どもと別れて、未亡人カペーと名前を変えられ
門を入ったら生きて出られないと言われる
コンシェルジュリー監獄に移される

ロザリーという娘がマリーの世話係をする







●死刑のいいわたし
監獄長官はマリーを憐れみ、王女と皇太子の様子を毎日しらせる
ルイ16世を死刑にしたことでイギリスが憤慨

フランス国内ではジャコバン党がジロンド党を倒して政治権力を握り
反対した人々をみな断頭台に送ったため、後に「フランス革命の恐怖時代」と呼ばれる

1793年10月12日
マリーは裁判にかけられ、死刑を言い渡される








●広場の断頭台
マリーは白いガウンを着て、帽子で白髪を隠し
上等の黒しゅすのハイヒールを履いて身なりを整える

髪をばっさり切り落とされ、馬車に乗せられる
マリー(私が死ぬことで子どもたちが助かるなら、私は喜んで死のう







断頭台のそばには自由の女神像が置いてある
首を落とされたマリーの死骸は手押し車に乗せられて運び去られた

広場に押し掛けた人々は「共和国ばんざい!」と叫ぶ



解説

シュテファン・ツバイク
1881年 オーストリアのウィーン生まれ

第二次世界大戦中、ツバイクはイギリスに亡命
次にアメリカに逃れ、1945年リオデジャネイロの別荘で夫人とともに自死(なぜ???

本作の原題は『マリー・アントワネット』ツバイクの傑作と言われる
ツバイクが一番力を入れて書いたのは本作のような伝記作品

王妃を温かい同情と理解で描いた

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