出演:千原ジュニア、ベッキー、薬師丸ひろ子
“さんてつ”で行く! 夏の三陸縦断の旅@あさイチ
前回、放送された三鉄の旅
今回は、千原ジュニアさんとベッキーがお座敷列車で旅をした
前回の薬師丸ひろ子さんのリポートのつづきもあり
ダブってる部分もあった
【内容抜粋メモ】
夢ネット大船渡
震災前「南リアス線」と呼ばれていたこの路線
8年前の津波で橋が流され、線路は寸断
被害箇所は247に上りました
しかし、国内外からの支援を受け、急ピッチで修復をすすめ
わずか2年で運転を再開させたのです
●イベント列車
これまでも様々な企画でサンテツを走らせてきた
例:盛~釜石まで1往復 52000円~ ※車両貸切のみ
●防波堤
Q:8年前はこの辺はどんな感じだったんですか?
低いところは津波で流されちゃって
ここにも家があったんですよ
この線路も流されて
Q:初めて走らせたのはいつですか?
平成25年の4月 途中の吉浜という駅まで列車が走ることになりました
●震災から2年後
沿線で暮らす人たちのために少しでも早く運転を再開させたいと願ってきた佐々木さん
もし運転士が決まっていないのであれば自分が運転したいと申し出て
開通の日には、泣きながら運転席に座った
佐々木さん:
沿線でも手を振ってくれたり、旗を振ったりとかして
たくさんの方が見に来てくれまして
本当に運転しててよかったなという感じで
●励ましの手紙
当時一部区間が再開したとはいえ復旧の真っ最中
そんな佐々木さんの背中を押したのは、沿線で暮らす人たちからの励ましでした
佐々木さん:
たまにお手紙もらうんですよ
ちょうど線路沿いに住んでいるご家族の方なんですけれども
私がよく通る時に汽笛を鳴らしていた
手紙:
それが毎日の日常の中にあって、常に三鉄が、佐々木さんが
うちの家族の中にあるのは間違いない
佐々木さん:
運転するだけが仕事かもしれませんが
自分はいろんな方に支えられて
こういったものまでもらって
本当に恵まれている運転士だなと思いながら仕事をしています
●大船渡 吉浜湾ではゆっくり走る
佐々木さん:1年中運転していてもこれだけ綺麗に見える日はなかなかない
●恋し浜駅
元は「小石浜駅」だったが、震災後に改名
地域おこし協力隊のイザベルさん、国際交流員のオリビアさんが
とりたての大きなホタテを焼いてふるまう
イザベルさんらは震災ボランティアをきっかけに
フランスから大船渡に移住してきた
●鉄とラグビーの町 釜石
復旧前は JR 山田線だった区間 釜石駅~宮古駅まで
津波で8.5 km にわたり線路が寸断され、大槌駅や陸中山田駅などが壊滅
長年赤字路線だったことから廃線も検討されました
しかし、この区間を三陸鉄道が譲り受け
今年3月 リアス線として生まれ変わりました
沿線では急ピッチで街づくりが進められています(マンションなどもある
●鵜住居駅
今年ラグビーのワールドカップが再開される「釜石鵜住居復興スタジアム」
釜石の復興のシンボルとしてこの場所に作られたのには理由がありました
こちらの復興スタジアムには、震災前
釜石東中学校と鵜住居小学校の校舎があったんですけれども
津波の直撃を受けて校舎が全壊しました
はじめ、津波の警報が出た時は3mとか5mと出てたので
みんな学校の先生達は3階に逃していたんです
そしたら3階では危ないから逃げようと
中学生が小学生の手を引いて一緒に逃げたんです
あの日、11mの津波がここを襲いました
海が近いので、子ども達は日頃から防災訓練を何回もしていた
なので、みんなで逃げて99.8%の子ども達が助かった
私の娘も中学生で城東卓球の部活をしていた
持って逃げたのは卓球のラケットとピンポン玉だけ
カバンとか制服もみんな置いたまま逃げた
海沿いの低い土地が広がる鵜住居は
「昭和三陸大津波」を始め、何度も被害を受けてきました
津波に備えて行われてきた防災教育のおかげで子ども達は助かったのです
●いのちをつなぐ未来館
鵜住居の駅前には今年4月、震災の記憶を語り継ぐ施設ができました
その時、避難した中学生がここで働き始めたんですよ
その時の震災の話を語り継いでいこうって
語り部のガイドをしている子がいましたので
そちらの方を紹介したいなと思っています
いのちをつなぐ未来館 語り部 菊池のどかさん
のどかさん:
遠くに津波があった時は白かった
ただ私たちは目の前に来た波だけ見ました
なので真っ黒な壁みたいになっていました
菊池さんは震災当時中学3年生でした
学校で被災し、すぐに隣の小学校の子ども達と山へ避難しました
今回その時の体験を語ってくれました
のどかさん:
やまざきデイサービス(避難所)まで向かう時
小学生と中学生が手をつないで避難しました
その子が手を握りなおしてくれたのを覚えています
ただ上が詰まっているんですね
人間の渋滞が起きていました
なのでとにかく一言「大丈夫だよ」って言ったのは覚えてるんですけど
自分達も本当に大丈夫なのかはわからないままとにかく逃げました
サービスまで来た時、後ろを見たら
もうこのあたりまで津波に浸かっていましたので
山のほうに走って行きました
もうパニックになっている子がいっぱいいました
過呼吸になっている子どももいました
目の前で家が流されていくのを見ている子達もいます
そういう子たちは「お母さん!」って言って
叫びながら海のほうに戻っていこうとしました
その子達を先生たちや体が大きめの子が無理やり引きずりながら
「あんただけでも生きるんだ!」と言いながら
山に連れて行ったのを覚えています
私たちも山に登って
自分たちの所にはその時は波は来なかった
だけど防災教育で「波は何回も来る」って言われてた
だからとにかく逃げたには逃げたけど
この後生き残れると言う確証は全くなかったし
その時どうやって生きようかってそれだけでした
自分の大事な人を救いたい
話を聞いてくれる人を救いたい
それだけの気持ちで今お話をさせて頂いています
こうやってお話を聞いてくれてすごくありがたいです
8年経ったけど、まだまだ皆さんのおかげで生きているというのは
変わりない部分なので
これからは皆さんにちょっとずつでも恩返ししていけるようにしたいなと思います
ありがとうございました
駅員:
みんな本当に一生懸命に逃げて、助かってもらって
本当にありがとうという感じですね
良かったなというのではなくて、逃げてくれて ありがとう
生きててくれてありがとう
ベッキー:
人にこうやってお話するたびにご自身も思い出すじゃないですか
それでもこのガイドというお仕事を選んだ菊池さんがすごいなと思って
菊池:でも、人が死ぬほうが苦しいから、やっていこうと思います
●大槌駅
たくさん同じ形の家がずっと連なっている
洗濯物を干して、車を停めてある家も多い
駅員:黒っぽい家が町とか県とかが建ててくれた「災害復興公営住宅」です
●陸中山田駅
海での安全を祈る踊りを披露
●津軽石駅
津波で鮭のふ化場も流されたが、震災前の状態まで復旧した
●三陸鉄道の本社がある宮古駅
ここで被災地に希望を与えた三鉄の復活秘話を伺うことに
震災当日、冨手淳さんは本社にいました
社内は停電し、機能停止に陥りましたが幸い列車は無事でした
車両のディーゼルエンジンをかけて電気をつけ
この車両を対策本部にして対応に当たったのです
「当時の記録」
冨手さん:
パソコンも電気が来ないので手書きで状況を全部記録した
分刻みで3月11日からずっとつけていました
未曾有の災害 状況把握が進まない中、震災から2日後
冨手さんは社長と被災した駅の確認へ向かいました
そこで目にしたのは変わり果てた沿線の姿でした
特に被害が大きかったのは島越駅
津波で駅舎は跡形もなく流され、高架橋も破壊されていました
記録「駅巡回 島越消滅 駅が全部流されていた」
冨手さん:
高架橋が全部流されて、駅もない状態だったんですけれども
地元の方から「いつ復旧するんだ?」と言われて
こっちも最初は面食らったんですけれども
やっぱり必要と思われてるんだな
少しでも早く列車を直さないとという話を社長としていました
「震災から5日後」
線路が無事だった久慈駅~陸中野田駅の11 km の運転を再開
さらに9日後には宮古駅~太郎駅の12 kmを1日3往復で運航
会社へ行く人、学校に通う学生、病院に向かう人
そして家族を捜す人
最初は、動いたほうがびっくりして
皆さん沿線で最初の日は手を振ってくれた
●2019/3/23 リアス線開通
地道な復旧作業を8年がかりですすめ、この春、全てが一つの線路で結ばれました
再び故郷を駆け抜ける三鉄
復活を待ちわびた人々の喜びにあふれていました
沿道で旗を振るたくさんの人々
運行本部長 金野淳一さんは、NHK 連ドラ「あまちゃん」の電車の運転をされていた
Q:やっぱり一番混むのは朝ですか?
そうですね 学生さんが一番多いお客さんですので
Q:通学ラッシュ?
いやラッシュということはあまり
この辺の子ども達は立って通学させると文句言いますのでw
座れるくらいの人数で、ちょっと立ってるかなって感じで(いいなあ
●「あまちゃん」の舞台 堀内駅
震災後、この北三陸を非常に盛り上げたのが「あまちゃん」
その撮影は、まだ震災の爪痕が残る2012年に始まりました
まだがれきの残る中での撮影は、被災した三陸の人たちの心を励ましたのです
ドラマで描かれた三鉄の復活劇はついに現実のものとなりました
●全線開通祝賀イベント
のんさん:
震災から8年経って、今年3月につながった時は、私も本当に嬉しかったです
ますます復興へ進んでいくのだという願いをのせて
これから皆さんの日常に寄り添ってくれることと思います
●「あまちゃん」で鈴鹿ひろ美を演じた薬師丸ひろ子さん
ドラマの中で歌った♪潮騒のメモリー を
薬師丸ひろ子として初めて歌いたいと、ある駅にやってきました
大きな被害を受けた島越駅
薬師丸:
景色が変わっているのでびっくりしました
2013年に来た時に、ここの間の線路がなくて、駅舎もなくて
その光景に本当に言葉が出なかったです
島越は津波で駅舎や高架橋が流され、駅ごと消滅
沿線で被害が最も大きかった場所です
薬師丸さんは生まれ変わった島越駅を歌う場所に選びました
駅長の早野くみ子さんは、島越駅が開業した時のイベントにも関わった
早野さん:
出来たばかりの駅舎を今でも覚えています
開業した今から35年前の当時の様子なんですけど
本当にモダンな駅だったんですね カワイイ駅で
ちょっと南欧風と言うか
だからわざわざ駅を見に来てくださる方もいまして
(駅の目の前が海水浴場なんだ/驚
開業するとモダンな駅舎と美しい砂浜を求めるお客さんで賑わいました
集落の人口は600
隣近所が寄り添うように暮らしてきたと言います
早野さん:
あったかいと言うか、のんびりしていると言うか
鍵なんかしなくてもいいような場所だったので
島越を襲った津波は想像を超えるものでした
金野さん:あの高いポールは波が来たと言われる高さです
津波の高さは17.6m
美しい駅を、町を全て飲み込みました
早野さんを含め、駅周辺に住んでいた人たちは高台にいて
中には別の場所で暮らす人もいます
早野さん:
もう元に戻ることはないんですよね
被災した場所には家を建てられないので
元には戻らないんですけれども
それでもやっぱりこの島越を、残った人たちも好きで
元に戻らないというのはわかっていても
でも元に戻るんじゃないかなっていう
少しそういう希望を持ちながら
私も駅に勤めているのは
多分知らない人がいるよりは
知った顔がいるほうが喋りやすいかなとか
そういうことを思いながら働いているんですけれども
Q:故郷を離れて暮らしている人たちのためにできることとは?
薬師丸:
空に または海に どこかに届く
そういう賛美歌と言うか、そういう歌を歌いたい
●コンサート
この日集まったのは、かつて島越で暮らしていた人達
今はなき故郷への想いにこの歌を捧げます
●終着点 久慈駅に到着
久慈高校吹奏楽部の皆さんが「あまちゃん」のテーマ曲でお出迎えです
駅員:163 km いかがでしたでしょうか?
千原:いろいろあった
ベッキー:
美味しいものもいっぱい食べたし
子どもの踊りも可愛かったし
震災の現実も知ることができた 心が動きました
沿線の人たちの想いを乗せて走る三陸鉄道リアス線
新たな三鉄に乗ってとっておきの旅をしてみませんか?
“さんてつ”で行く! 夏の三陸縦断の旅@あさイチ
前回、放送された三鉄の旅
今回は、千原ジュニアさんとベッキーがお座敷列車で旅をした
前回の薬師丸ひろ子さんのリポートのつづきもあり
ダブってる部分もあった
【内容抜粋メモ】
夢ネット大船渡
震災前「南リアス線」と呼ばれていたこの路線
8年前の津波で橋が流され、線路は寸断
被害箇所は247に上りました
しかし、国内外からの支援を受け、急ピッチで修復をすすめ
わずか2年で運転を再開させたのです
●イベント列車
これまでも様々な企画でサンテツを走らせてきた
例:盛~釜石まで1往復 52000円~ ※車両貸切のみ
●防波堤
Q:8年前はこの辺はどんな感じだったんですか?
低いところは津波で流されちゃって
ここにも家があったんですよ
この線路も流されて
Q:初めて走らせたのはいつですか?
平成25年の4月 途中の吉浜という駅まで列車が走ることになりました
●震災から2年後
沿線で暮らす人たちのために少しでも早く運転を再開させたいと願ってきた佐々木さん
もし運転士が決まっていないのであれば自分が運転したいと申し出て
開通の日には、泣きながら運転席に座った
佐々木さん:
沿線でも手を振ってくれたり、旗を振ったりとかして
たくさんの方が見に来てくれまして
本当に運転しててよかったなという感じで
●励ましの手紙
当時一部区間が再開したとはいえ復旧の真っ最中
そんな佐々木さんの背中を押したのは、沿線で暮らす人たちからの励ましでした
佐々木さん:
たまにお手紙もらうんですよ
ちょうど線路沿いに住んでいるご家族の方なんですけれども
私がよく通る時に汽笛を鳴らしていた
手紙:
それが毎日の日常の中にあって、常に三鉄が、佐々木さんが
うちの家族の中にあるのは間違いない
佐々木さん:
運転するだけが仕事かもしれませんが
自分はいろんな方に支えられて
こういったものまでもらって
本当に恵まれている運転士だなと思いながら仕事をしています
●大船渡 吉浜湾ではゆっくり走る
佐々木さん:1年中運転していてもこれだけ綺麗に見える日はなかなかない
●恋し浜駅
元は「小石浜駅」だったが、震災後に改名
地域おこし協力隊のイザベルさん、国際交流員のオリビアさんが
とりたての大きなホタテを焼いてふるまう
イザベルさんらは震災ボランティアをきっかけに
フランスから大船渡に移住してきた
●鉄とラグビーの町 釜石
復旧前は JR 山田線だった区間 釜石駅~宮古駅まで
津波で8.5 km にわたり線路が寸断され、大槌駅や陸中山田駅などが壊滅
長年赤字路線だったことから廃線も検討されました
しかし、この区間を三陸鉄道が譲り受け
今年3月 リアス線として生まれ変わりました
沿線では急ピッチで街づくりが進められています(マンションなどもある
●鵜住居駅
今年ラグビーのワールドカップが再開される「釜石鵜住居復興スタジアム」
釜石の復興のシンボルとしてこの場所に作られたのには理由がありました
こちらの復興スタジアムには、震災前
釜石東中学校と鵜住居小学校の校舎があったんですけれども
津波の直撃を受けて校舎が全壊しました
はじめ、津波の警報が出た時は3mとか5mと出てたので
みんな学校の先生達は3階に逃していたんです
そしたら3階では危ないから逃げようと
中学生が小学生の手を引いて一緒に逃げたんです
あの日、11mの津波がここを襲いました
海が近いので、子ども達は日頃から防災訓練を何回もしていた
なので、みんなで逃げて99.8%の子ども達が助かった
私の娘も中学生で城東卓球の部活をしていた
持って逃げたのは卓球のラケットとピンポン玉だけ
カバンとか制服もみんな置いたまま逃げた
海沿いの低い土地が広がる鵜住居は
「昭和三陸大津波」を始め、何度も被害を受けてきました
津波に備えて行われてきた防災教育のおかげで子ども達は助かったのです
●いのちをつなぐ未来館
鵜住居の駅前には今年4月、震災の記憶を語り継ぐ施設ができました
その時、避難した中学生がここで働き始めたんですよ
その時の震災の話を語り継いでいこうって
語り部のガイドをしている子がいましたので
そちらの方を紹介したいなと思っています
いのちをつなぐ未来館 語り部 菊池のどかさん
のどかさん:
遠くに津波があった時は白かった
ただ私たちは目の前に来た波だけ見ました
なので真っ黒な壁みたいになっていました
菊池さんは震災当時中学3年生でした
学校で被災し、すぐに隣の小学校の子ども達と山へ避難しました
今回その時の体験を語ってくれました
のどかさん:
やまざきデイサービス(避難所)まで向かう時
小学生と中学生が手をつないで避難しました
その子が手を握りなおしてくれたのを覚えています
ただ上が詰まっているんですね
人間の渋滞が起きていました
なのでとにかく一言「大丈夫だよ」って言ったのは覚えてるんですけど
自分達も本当に大丈夫なのかはわからないままとにかく逃げました
サービスまで来た時、後ろを見たら
もうこのあたりまで津波に浸かっていましたので
山のほうに走って行きました
もうパニックになっている子がいっぱいいました
過呼吸になっている子どももいました
目の前で家が流されていくのを見ている子達もいます
そういう子たちは「お母さん!」って言って
叫びながら海のほうに戻っていこうとしました
その子達を先生たちや体が大きめの子が無理やり引きずりながら
「あんただけでも生きるんだ!」と言いながら
山に連れて行ったのを覚えています
私たちも山に登って
自分たちの所にはその時は波は来なかった
だけど防災教育で「波は何回も来る」って言われてた
だからとにかく逃げたには逃げたけど
この後生き残れると言う確証は全くなかったし
その時どうやって生きようかってそれだけでした
自分の大事な人を救いたい
話を聞いてくれる人を救いたい
それだけの気持ちで今お話をさせて頂いています
こうやってお話を聞いてくれてすごくありがたいです
8年経ったけど、まだまだ皆さんのおかげで生きているというのは
変わりない部分なので
これからは皆さんにちょっとずつでも恩返ししていけるようにしたいなと思います
ありがとうございました
駅員:
みんな本当に一生懸命に逃げて、助かってもらって
本当にありがとうという感じですね
良かったなというのではなくて、逃げてくれて ありがとう
生きててくれてありがとう
ベッキー:
人にこうやってお話するたびにご自身も思い出すじゃないですか
それでもこのガイドというお仕事を選んだ菊池さんがすごいなと思って
菊池:でも、人が死ぬほうが苦しいから、やっていこうと思います
●大槌駅
たくさん同じ形の家がずっと連なっている
洗濯物を干して、車を停めてある家も多い
駅員:黒っぽい家が町とか県とかが建ててくれた「災害復興公営住宅」です
●陸中山田駅
海での安全を祈る踊りを披露
●津軽石駅
津波で鮭のふ化場も流されたが、震災前の状態まで復旧した
●三陸鉄道の本社がある宮古駅
ここで被災地に希望を与えた三鉄の復活秘話を伺うことに
震災当日、冨手淳さんは本社にいました
社内は停電し、機能停止に陥りましたが幸い列車は無事でした
車両のディーゼルエンジンをかけて電気をつけ
この車両を対策本部にして対応に当たったのです
「当時の記録」
冨手さん:
パソコンも電気が来ないので手書きで状況を全部記録した
分刻みで3月11日からずっとつけていました
未曾有の災害 状況把握が進まない中、震災から2日後
冨手さんは社長と被災した駅の確認へ向かいました
そこで目にしたのは変わり果てた沿線の姿でした
特に被害が大きかったのは島越駅
津波で駅舎は跡形もなく流され、高架橋も破壊されていました
記録「駅巡回 島越消滅 駅が全部流されていた」
冨手さん:
高架橋が全部流されて、駅もない状態だったんですけれども
地元の方から「いつ復旧するんだ?」と言われて
こっちも最初は面食らったんですけれども
やっぱり必要と思われてるんだな
少しでも早く列車を直さないとという話を社長としていました
「震災から5日後」
線路が無事だった久慈駅~陸中野田駅の11 km の運転を再開
さらに9日後には宮古駅~太郎駅の12 kmを1日3往復で運航
会社へ行く人、学校に通う学生、病院に向かう人
そして家族を捜す人
最初は、動いたほうがびっくりして
皆さん沿線で最初の日は手を振ってくれた
●2019/3/23 リアス線開通
地道な復旧作業を8年がかりですすめ、この春、全てが一つの線路で結ばれました
再び故郷を駆け抜ける三鉄
復活を待ちわびた人々の喜びにあふれていました
沿道で旗を振るたくさんの人々
運行本部長 金野淳一さんは、NHK 連ドラ「あまちゃん」の電車の運転をされていた
Q:やっぱり一番混むのは朝ですか?
そうですね 学生さんが一番多いお客さんですので
Q:通学ラッシュ?
いやラッシュということはあまり
この辺の子ども達は立って通学させると文句言いますのでw
座れるくらいの人数で、ちょっと立ってるかなって感じで(いいなあ
●「あまちゃん」の舞台 堀内駅
震災後、この北三陸を非常に盛り上げたのが「あまちゃん」
その撮影は、まだ震災の爪痕が残る2012年に始まりました
まだがれきの残る中での撮影は、被災した三陸の人たちの心を励ましたのです
ドラマで描かれた三鉄の復活劇はついに現実のものとなりました
●全線開通祝賀イベント
のんさん:
震災から8年経って、今年3月につながった時は、私も本当に嬉しかったです
ますます復興へ進んでいくのだという願いをのせて
これから皆さんの日常に寄り添ってくれることと思います
●「あまちゃん」で鈴鹿ひろ美を演じた薬師丸ひろ子さん
ドラマの中で歌った♪潮騒のメモリー を
薬師丸ひろ子として初めて歌いたいと、ある駅にやってきました
大きな被害を受けた島越駅
薬師丸:
景色が変わっているのでびっくりしました
2013年に来た時に、ここの間の線路がなくて、駅舎もなくて
その光景に本当に言葉が出なかったです
島越は津波で駅舎や高架橋が流され、駅ごと消滅
沿線で被害が最も大きかった場所です
薬師丸さんは生まれ変わった島越駅を歌う場所に選びました
駅長の早野くみ子さんは、島越駅が開業した時のイベントにも関わった
早野さん:
出来たばかりの駅舎を今でも覚えています
開業した今から35年前の当時の様子なんですけど
本当にモダンな駅だったんですね カワイイ駅で
ちょっと南欧風と言うか
だからわざわざ駅を見に来てくださる方もいまして
(駅の目の前が海水浴場なんだ/驚
開業するとモダンな駅舎と美しい砂浜を求めるお客さんで賑わいました
集落の人口は600
隣近所が寄り添うように暮らしてきたと言います
早野さん:
あったかいと言うか、のんびりしていると言うか
鍵なんかしなくてもいいような場所だったので
島越を襲った津波は想像を超えるものでした
金野さん:あの高いポールは波が来たと言われる高さです
津波の高さは17.6m
美しい駅を、町を全て飲み込みました
早野さんを含め、駅周辺に住んでいた人たちは高台にいて
中には別の場所で暮らす人もいます
早野さん:
もう元に戻ることはないんですよね
被災した場所には家を建てられないので
元には戻らないんですけれども
それでもやっぱりこの島越を、残った人たちも好きで
元に戻らないというのはわかっていても
でも元に戻るんじゃないかなっていう
少しそういう希望を持ちながら
私も駅に勤めているのは
多分知らない人がいるよりは
知った顔がいるほうが喋りやすいかなとか
そういうことを思いながら働いているんですけれども
Q:故郷を離れて暮らしている人たちのためにできることとは?
薬師丸:
空に または海に どこかに届く
そういう賛美歌と言うか、そういう歌を歌いたい
●コンサート
この日集まったのは、かつて島越で暮らしていた人達
今はなき故郷への想いにこの歌を捧げます
●終着点 久慈駅に到着
久慈高校吹奏楽部の皆さんが「あまちゃん」のテーマ曲でお出迎えです
駅員:163 km いかがでしたでしょうか?
千原:いろいろあった
ベッキー:
美味しいものもいっぱい食べたし
子どもの踊りも可愛かったし
震災の現実も知ることができた 心が動きました
沿線の人たちの想いを乗せて走る三陸鉄道リアス線
新たな三鉄に乗ってとっておきの旅をしてみませんか?