過去のノートにある映画感想メモシリーズ。
part1からのつづき。
若かりし頃のメモなので、不適切な表現、勘違い等はお詫び申し上げます/謝罪
なお、あらすじはなるべく省略しています。
■『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(1942)
監督:ルキノ・ヴィスコンティ 出演:マッシモ・ジロッティ、クララ・カラマイ ほか
ルキノ・ヴィスコンティの処女作。これは後に、ジャック・ニコルソンとジェシカ・ラングで'81にリメイクされ、
より過激な性描写で話題を呼んだが、その元ネタとあって微妙な違いが興味深い。
ヴィスコンティ作品には常に目も覚めるような若い美男子が登場するけれども、ジーノ役の俳優もなかなかハンサム。
クララはクールな美貌で妻の複雑な心情を見事に演じている。
保険金目当ての殺人とは直接的に描いていないにせよ、不幸な女が企てた冷酷な殺人計画として観られても不思議じゃない。
印象に残るのは、ジーノを逃がすために商売女のフリをしなければならなかった女性の哀しげな後ろ姿。
女が男を利用する場合のほうがより冷酷でずるがしこい女狐だと思われるのに、
男にもて遊ばれ捨てられる女は、まるで当然のごとく忘れられてしまう存在だ。
ヴィスコンティの眼はその点も見逃してはいないのだけれど。
金もなく、頼るあてもない女の悲しい姿。若い男をつかまえても絶えず疑念や嫉妬、不安がつきまとう。
根無し草の男と、家に執着する女の象徴的な姿が描かれている。
■『スウィーテイー 悪魔のような姉』(1989)
監督:ジェーン・カンピオン
複雑な心理劇。大した芸でもないのにすごい才能があると信じて疑わない父と、
その夢をほとんど強制的なプレッシャーとして追い続け、現実逃避し、幻を見るしかなかったスウィーティ。
姉のエゴ。家庭不和で自閉症気味のケイ。ラストのテロップ"for my sister"というのも意味ありげ。
どこかデヴィッド・リンチ風の映像トリップ、アブノーマルな登場人物たち。
今作がオーストラリアの女性監督によって作られたというのも変わっている。
タイトルの響きが妙に気に入った。スウィーティー役の女優はキョーレツな個性で、神経質そうなケイと対照的。
瞑想のインストラクター?をしているルイは、女子の憧れの的として甘いルックス。
社内で男女関係のことしか頭にない群集化した女性社員って世界中どこにでもいるのね
指輪1個にヒステリックに一喜一憂して、そうでないコは「考えが古い」で仲間はずれにされちゃう。
「結婚で救われる」って考えのほうがよっぽど古いのに。
ケイは木恐怖症。根がいつか家まで傾けて、自分を襲うのではと心配している。
天に伸び、地にしっかり根をはる木は、健全な精神の象徴でもあるのに。
「君は木を生かすこともできないのか?」「現実ってなんなのか、それは難しい問題だよ」
■『SOUL TO SOUL 魂の詩』(1971)
出演:ウィルソン・ピケット、アイク&ティナ・ターナー、サンタナ、ロバータ・フラック、ステイプル・シンガーズ ほか
'70年代の香りプンプン ブラック・ミュージック、ソウルに改めて体中が惹かれる感じ。
奴隷制度の暗い歴史とは裏腹に、町中あらゆる場面で音楽が生き、踊りがある。
本場アフリカのフィーリングに合うもの合わないもの。
サンタナが意外に反応が少なかったのは、唯一白人の多いグループだったから?
ステージに上がって一緒に踊る者もいて、熱気ムンムンのサイコーなショー。ティナのパフォーマンスもイイ。
「ソウルって何だ?」「それは感覚的なものさ」
「どんな風にだ?」「そうだな。手がこう勝手に動くのさ、足が動き出す者もいる」
■『ルナ』(1979)
監督:ベルナルド・ベルトルッチ 出演:ジル・クレイバーグ ほか
ほかのベルトルッチ作品に負けず劣らず長い時間も忘れる、
異国を舞台にした壮大で感動的なオペラにのせて展開する悲しいほど深い愛情。
それは親子として、また時に人間=動物であるがゆえに男女の微妙なあやを見せて、
1シーンごとにベルトルッチの特別な想いが込められている。
最初の月明かりに守られて親子でたわむれるシーン、自転車を走らせるシーンからどことなくセクシーで
誰一人、第三者が立ち入れない絆が見える。
ちょっとダイアン・キートンみたいな雰囲気の女優。
オペラの声は吹き替えだろうけど、妙に気張ったり、有名人にありがちな高飛車なところがないだけに
傷ついた息子から離れられずにいる母親を時にユーモラスに、時に素直な女性として見事に演じている。
ジョー役のコも愛に飢えた現代っ子、麻薬に溺れながらも頭はハッキリしている堂々たる俳優ぶり。
ラストちらっと顔を見せるだけの父親役も複雑な立場を口数少なく重い存在感で印象強い。
1つの迷路のような家族愛を神秘的な月と美しいオペラ、その裏方劇に絡めたあたりは
さすがベルトルッチの確かで鋭い感覚が感じられる。
エグい描写が多いかと思いきや、なんとも悲しく感動的なロマンティックストーリー。
■『MADONNA "THE GIRLIE SHOW LIVE DOWN UNDER"』(1993)
いやあスゴイという噂は聞いてたけど予想以上 この間観た米米のステージが派手だと思っていたら、
なんのその、さすがに世界を渡り歩いて長いキャリアを持つ、これぞまさにスーパースター!という貫禄。
単に豪華ってだけじゃなく、デビュー当時ははみ出し娘の元気一杯さ~大人の女の艶やかなもの~
今回はあの『ロッキーホラーショー』に負けず劣らずのセンセーショナルな肉感+黒人差別+エイズを
分かりやすいダンスパフォーマンスで魅せる。
シンディとスタイルは違っても、ともに女性解放者として、かなり辛らつな表現、直接男を侮辱し丸め込むシーンがあるのは見逃せない。
その性描写をモロに表現したダンス等でライヴを断った場所もあったそうだけど、
表面だけじゃなく、ちょっと気をつけて見れば、マドンナがスターの座を利用して訴えているメッセージが届くはず。
ブラのファッションで挑発する過激さだけでない、寸分の狂いもなく計算し尽くされたステージング、
2時間びっちりダンサーと肩を並べても決して劣らないダンス+崩れない表情+歌は、
それに見合うかなりの練習量、持っている才能以上を発揮させる日々の肉体作り、努力なしでは完成されない
彼女のパワー、行動力、成功を掴み取る強さ、野望を感じさせる
本当にこのメチャクチャハードなショーで何十日にも渡って世界をツアーして回ることなど可能なんだろうか
途中、字幕がないからよく把握できなかった部分もあるけけど、サルティンバンコ顔負けのこのスケールで
進歩し続けるマドンナのライヴ。ここまできたからには次はどうなることやら。
■『カーペンターズ・ストーリー』(1988)
出演:シンシア・ギブ ほか
実家にある何十枚もの洋楽のレコードの中にあったカーペンターズの1枚のレコード。
カレンの透き通ったぬくもりある女性的な美しい歌声とやわらかなリズム、感動的な詩。
それからずっと今まで聴き続け、今回改めて'70に占めていた彼らの位置を知り、
今でも世界中のあらゆる人々に聴きつがれているヒットソングを聴き直し、
兄妹のたどった道のり、噂に聞いたカレンの拒食症からの悲劇的な死が、
兄リチャードをはじめ、カレンをよく知り、愛してきた人間が製作に関わって
ヒット曲をちりばめてとても丁寧に作られているのがヒシヒシと伝わってくる。
カレンが救急車で運ばれ、その脇を10代の彼女自身が通るなんともショッキングな冒頭から
ファンにとっては痛ましいかぎりであるとともに、一気にスターダムに上りながら、常に健康に怯え続け、
歌声や姿からまったく想像もできない悩みを抱えていたのは予想もしなかった。
近年、若い女子に増えていて社会問題となっている、精神の病からくる拒食症。
当時はまだ研究中で、あれほど温かい家庭のどこに原因があるのかとても疑問に思えるが、
度々カレンが自分の意見がまったく皆に通じていないと怒るシーンが重要な鍵ではないか
当時すでにカウンセリングが一般的だったアメリカで、なぜ誰も専門医を紹介し、
根本から原因をただし、時間をかけて休息をとらせなかったのか。
一番身近に暮らしている家族であるからこそ、問題点を見逃してしまう。
母親が「女は結婚し、夫に寄り添っていれば絶対幸せになれるものだ」と言うシーンは心が痛んだ。
愛情も身近にいすぎるとかえって表現することが難しい。
気になったのは、兄妹の仲がよすぎるほどだったという噂。
2人は深いコンビネーションで互いを支えあってスターの座を築き、
離れて活動することは不可能だったのかもしれない。
兄も不眠によって薬を飲みすぎて倒れるが、彼らは知らなかったのだろうか?
多くの貴重なアーティストが大衆の過剰な期待、プレッシャー、ストレス、疲労で
どれだけ未来を見失い、ドラッグやアルコール等で自らの命を縮めていったかを。
リチャード「夜になると、これからどうなるのかって頭がいっぱいになる」
いつか見捨てられるのではという不安は、成功のステップを急に上り詰めた者にしか分からないだろう。
彼らは確かで稀な才能を持ち、それは大衆の移り気な判断で測られるものではなかったのに。
■『MADONNA THE IMMACULATE CORRECTION』(1990)
デビュー当時からのMVをまとめたもの。でもこうして見ると、やっぱりライヴ映像のほうが面白い。
彼女は常に女優業にも関わり続けていて、それも才能あるけど、あの鍛え上げられた肉体を
惜しげもなく披露して、ダンサー顔負けに歌って踊るサーカスの世界、
次に何が起こるのかなってワクワクするし、彼女ならやってくれる。
ビデオのほうは女優の顔が強くて、ちょっと肩透かしを食らった感じ。
変幻自在の変わり様、どんどん進歩してゆく彼女の様子をこうして年代順に振り返るのも一興か。
脂がのりまくったこれからのマドンナは、どう私たちをビックリさせるのか、まだまだ目が離せない。
■『THE WHO LIVE FEATURING THE ROCK OPERA TOMMY』(1989)
噂のロックオペラ映画『トミー』を観た後だけど、今作はまたちょっと違ったストーリーをもったロックコンサート。
ほとんど同じ出演者が集まって再演したってことか?状況がよく分からないのが残念。
ザ・フーの個性は、そのまま個性的なメンバとつながっている。
彼らに必要なのは、何百万単位の観客と自由に飛びまわれる大きなステージだ。
不思議なのは、強烈なライトをドビューっと浴びても、どこか素人臭いところがかえって
自由奔放な男の子がまんま大人になってしまったロックミュージシャンといった感じで
まさに'70年代を感じさせる無軌道さ、繊細さ、純粋さまで感じる。名曲ぞろい。
偉大なバンドだけど、なぜか笑えるセサミに出てくるマペットのロックバンドみたい。
ロジャーはしきりにポーズを決めて、青い眼は信じがたいほどクールだし、
しきりにジャンプするピートは、すごくイイ声の持ち主で、その表情からは奥が読めない深さがある。
ビックリ箱みたいなバンドだな。時代の若者の心をとらえ、表現したパワーとサウンド、
フィーリングには時間の経過はあまり関係していないようだ。
■『勝手にしやがれ』(1959)
監督:ジャン・リュック・ゴダール 出演:ジャン・ポール・ベルモンド、ジーン・セバーグ ほか
もっと『俺たちに明日はない』式に2人の若い男女が無軌道に大人に反発して暴れまわる話かと思いきや、
今や伝説的なこのゴダール作品は、やはりフランス映画の永遠のテーマ「男と女」を意外に冷静に見つめて描いている。
あふれだす言葉、言葉、言葉。それが即興というのは驚かされた。
何か言葉にすればするほど、真実から遠ざかってゆくようだ。
「幸福な愛などない。不幸な愛すらないんだ」
「どうして記者になったんだ」「男から自由になれるからよ」
スカートをめくられて、ミシェルの頬にバシっと一発ビンタを食らわせるシーンは快感。
「一発ヤラせるなら車に乗せてやるよ」って男なんだもの。
■『THE LATE SHOW "LIVE AT MONTEREY"』
ウッドストックもモンタレーもその全員の演奏が録画されたはずなのにどうして完全版をビデオ化しないのかしら?
年代は同じなのに、ここまで対照的なブラックミュージシャンを1つにまとめた勇気は偉い。
もっとオーティスのライブを長く見ていたかった。思い出すのはジャニスの言葉 "OTIS? Oh, my man!"
この2人は若くして死んだから伝説的なのではなく、若くして才能その他をはるかに超えてしまったからかも知れない。
▼参加アーティスト
OTIS REDDING ♪SHAKE, RESPECT, SATISFACTIO!、JIMI HENDRIX、BOB DYLAN
part1からのつづき。
若かりし頃のメモなので、不適切な表現、勘違い等はお詫び申し上げます/謝罪
なお、あらすじはなるべく省略しています。
■『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(1942)
監督:ルキノ・ヴィスコンティ 出演:マッシモ・ジロッティ、クララ・カラマイ ほか
ルキノ・ヴィスコンティの処女作。これは後に、ジャック・ニコルソンとジェシカ・ラングで'81にリメイクされ、
より過激な性描写で話題を呼んだが、その元ネタとあって微妙な違いが興味深い。
ヴィスコンティ作品には常に目も覚めるような若い美男子が登場するけれども、ジーノ役の俳優もなかなかハンサム。
クララはクールな美貌で妻の複雑な心情を見事に演じている。
保険金目当ての殺人とは直接的に描いていないにせよ、不幸な女が企てた冷酷な殺人計画として観られても不思議じゃない。
印象に残るのは、ジーノを逃がすために商売女のフリをしなければならなかった女性の哀しげな後ろ姿。
女が男を利用する場合のほうがより冷酷でずるがしこい女狐だと思われるのに、
男にもて遊ばれ捨てられる女は、まるで当然のごとく忘れられてしまう存在だ。
ヴィスコンティの眼はその点も見逃してはいないのだけれど。
金もなく、頼るあてもない女の悲しい姿。若い男をつかまえても絶えず疑念や嫉妬、不安がつきまとう。
根無し草の男と、家に執着する女の象徴的な姿が描かれている。
■『スウィーテイー 悪魔のような姉』(1989)
監督:ジェーン・カンピオン
複雑な心理劇。大した芸でもないのにすごい才能があると信じて疑わない父と、
その夢をほとんど強制的なプレッシャーとして追い続け、現実逃避し、幻を見るしかなかったスウィーティ。
姉のエゴ。家庭不和で自閉症気味のケイ。ラストのテロップ"for my sister"というのも意味ありげ。
どこかデヴィッド・リンチ風の映像トリップ、アブノーマルな登場人物たち。
今作がオーストラリアの女性監督によって作られたというのも変わっている。
タイトルの響きが妙に気に入った。スウィーティー役の女優はキョーレツな個性で、神経質そうなケイと対照的。
瞑想のインストラクター?をしているルイは、女子の憧れの的として甘いルックス。
社内で男女関係のことしか頭にない群集化した女性社員って世界中どこにでもいるのね
指輪1個にヒステリックに一喜一憂して、そうでないコは「考えが古い」で仲間はずれにされちゃう。
「結婚で救われる」って考えのほうがよっぽど古いのに。
ケイは木恐怖症。根がいつか家まで傾けて、自分を襲うのではと心配している。
天に伸び、地にしっかり根をはる木は、健全な精神の象徴でもあるのに。
「君は木を生かすこともできないのか?」「現実ってなんなのか、それは難しい問題だよ」
■『SOUL TO SOUL 魂の詩』(1971)
出演:ウィルソン・ピケット、アイク&ティナ・ターナー、サンタナ、ロバータ・フラック、ステイプル・シンガーズ ほか
'70年代の香りプンプン ブラック・ミュージック、ソウルに改めて体中が惹かれる感じ。
奴隷制度の暗い歴史とは裏腹に、町中あらゆる場面で音楽が生き、踊りがある。
本場アフリカのフィーリングに合うもの合わないもの。
サンタナが意外に反応が少なかったのは、唯一白人の多いグループだったから?
ステージに上がって一緒に踊る者もいて、熱気ムンムンのサイコーなショー。ティナのパフォーマンスもイイ。
「ソウルって何だ?」「それは感覚的なものさ」
「どんな風にだ?」「そうだな。手がこう勝手に動くのさ、足が動き出す者もいる」
■『ルナ』(1979)
監督:ベルナルド・ベルトルッチ 出演:ジル・クレイバーグ ほか
ほかのベルトルッチ作品に負けず劣らず長い時間も忘れる、
異国を舞台にした壮大で感動的なオペラにのせて展開する悲しいほど深い愛情。
それは親子として、また時に人間=動物であるがゆえに男女の微妙なあやを見せて、
1シーンごとにベルトルッチの特別な想いが込められている。
最初の月明かりに守られて親子でたわむれるシーン、自転車を走らせるシーンからどことなくセクシーで
誰一人、第三者が立ち入れない絆が見える。
ちょっとダイアン・キートンみたいな雰囲気の女優。
オペラの声は吹き替えだろうけど、妙に気張ったり、有名人にありがちな高飛車なところがないだけに
傷ついた息子から離れられずにいる母親を時にユーモラスに、時に素直な女性として見事に演じている。
ジョー役のコも愛に飢えた現代っ子、麻薬に溺れながらも頭はハッキリしている堂々たる俳優ぶり。
ラストちらっと顔を見せるだけの父親役も複雑な立場を口数少なく重い存在感で印象強い。
1つの迷路のような家族愛を神秘的な月と美しいオペラ、その裏方劇に絡めたあたりは
さすがベルトルッチの確かで鋭い感覚が感じられる。
エグい描写が多いかと思いきや、なんとも悲しく感動的なロマンティックストーリー。
■『MADONNA "THE GIRLIE SHOW LIVE DOWN UNDER"』(1993)
いやあスゴイという噂は聞いてたけど予想以上 この間観た米米のステージが派手だと思っていたら、
なんのその、さすがに世界を渡り歩いて長いキャリアを持つ、これぞまさにスーパースター!という貫禄。
単に豪華ってだけじゃなく、デビュー当時ははみ出し娘の元気一杯さ~大人の女の艶やかなもの~
今回はあの『ロッキーホラーショー』に負けず劣らずのセンセーショナルな肉感+黒人差別+エイズを
分かりやすいダンスパフォーマンスで魅せる。
シンディとスタイルは違っても、ともに女性解放者として、かなり辛らつな表現、直接男を侮辱し丸め込むシーンがあるのは見逃せない。
その性描写をモロに表現したダンス等でライヴを断った場所もあったそうだけど、
表面だけじゃなく、ちょっと気をつけて見れば、マドンナがスターの座を利用して訴えているメッセージが届くはず。
ブラのファッションで挑発する過激さだけでない、寸分の狂いもなく計算し尽くされたステージング、
2時間びっちりダンサーと肩を並べても決して劣らないダンス+崩れない表情+歌は、
それに見合うかなりの練習量、持っている才能以上を発揮させる日々の肉体作り、努力なしでは完成されない
彼女のパワー、行動力、成功を掴み取る強さ、野望を感じさせる
本当にこのメチャクチャハードなショーで何十日にも渡って世界をツアーして回ることなど可能なんだろうか
途中、字幕がないからよく把握できなかった部分もあるけけど、サルティンバンコ顔負けのこのスケールで
進歩し続けるマドンナのライヴ。ここまできたからには次はどうなることやら。
■『カーペンターズ・ストーリー』(1988)
出演:シンシア・ギブ ほか
実家にある何十枚もの洋楽のレコードの中にあったカーペンターズの1枚のレコード。
カレンの透き通ったぬくもりある女性的な美しい歌声とやわらかなリズム、感動的な詩。
それからずっと今まで聴き続け、今回改めて'70に占めていた彼らの位置を知り、
今でも世界中のあらゆる人々に聴きつがれているヒットソングを聴き直し、
兄妹のたどった道のり、噂に聞いたカレンの拒食症からの悲劇的な死が、
兄リチャードをはじめ、カレンをよく知り、愛してきた人間が製作に関わって
ヒット曲をちりばめてとても丁寧に作られているのがヒシヒシと伝わってくる。
カレンが救急車で運ばれ、その脇を10代の彼女自身が通るなんともショッキングな冒頭から
ファンにとっては痛ましいかぎりであるとともに、一気にスターダムに上りながら、常に健康に怯え続け、
歌声や姿からまったく想像もできない悩みを抱えていたのは予想もしなかった。
近年、若い女子に増えていて社会問題となっている、精神の病からくる拒食症。
当時はまだ研究中で、あれほど温かい家庭のどこに原因があるのかとても疑問に思えるが、
度々カレンが自分の意見がまったく皆に通じていないと怒るシーンが重要な鍵ではないか
当時すでにカウンセリングが一般的だったアメリカで、なぜ誰も専門医を紹介し、
根本から原因をただし、時間をかけて休息をとらせなかったのか。
一番身近に暮らしている家族であるからこそ、問題点を見逃してしまう。
母親が「女は結婚し、夫に寄り添っていれば絶対幸せになれるものだ」と言うシーンは心が痛んだ。
愛情も身近にいすぎるとかえって表現することが難しい。
気になったのは、兄妹の仲がよすぎるほどだったという噂。
2人は深いコンビネーションで互いを支えあってスターの座を築き、
離れて活動することは不可能だったのかもしれない。
兄も不眠によって薬を飲みすぎて倒れるが、彼らは知らなかったのだろうか?
多くの貴重なアーティストが大衆の過剰な期待、プレッシャー、ストレス、疲労で
どれだけ未来を見失い、ドラッグやアルコール等で自らの命を縮めていったかを。
リチャード「夜になると、これからどうなるのかって頭がいっぱいになる」
いつか見捨てられるのではという不安は、成功のステップを急に上り詰めた者にしか分からないだろう。
彼らは確かで稀な才能を持ち、それは大衆の移り気な判断で測られるものではなかったのに。
■『MADONNA THE IMMACULATE CORRECTION』(1990)
デビュー当時からのMVをまとめたもの。でもこうして見ると、やっぱりライヴ映像のほうが面白い。
彼女は常に女優業にも関わり続けていて、それも才能あるけど、あの鍛え上げられた肉体を
惜しげもなく披露して、ダンサー顔負けに歌って踊るサーカスの世界、
次に何が起こるのかなってワクワクするし、彼女ならやってくれる。
ビデオのほうは女優の顔が強くて、ちょっと肩透かしを食らった感じ。
変幻自在の変わり様、どんどん進歩してゆく彼女の様子をこうして年代順に振り返るのも一興か。
脂がのりまくったこれからのマドンナは、どう私たちをビックリさせるのか、まだまだ目が離せない。
■『THE WHO LIVE FEATURING THE ROCK OPERA TOMMY』(1989)
噂のロックオペラ映画『トミー』を観た後だけど、今作はまたちょっと違ったストーリーをもったロックコンサート。
ほとんど同じ出演者が集まって再演したってことか?状況がよく分からないのが残念。
ザ・フーの個性は、そのまま個性的なメンバとつながっている。
彼らに必要なのは、何百万単位の観客と自由に飛びまわれる大きなステージだ。
不思議なのは、強烈なライトをドビューっと浴びても、どこか素人臭いところがかえって
自由奔放な男の子がまんま大人になってしまったロックミュージシャンといった感じで
まさに'70年代を感じさせる無軌道さ、繊細さ、純粋さまで感じる。名曲ぞろい。
偉大なバンドだけど、なぜか笑えるセサミに出てくるマペットのロックバンドみたい。
ロジャーはしきりにポーズを決めて、青い眼は信じがたいほどクールだし、
しきりにジャンプするピートは、すごくイイ声の持ち主で、その表情からは奥が読めない深さがある。
ビックリ箱みたいなバンドだな。時代の若者の心をとらえ、表現したパワーとサウンド、
フィーリングには時間の経過はあまり関係していないようだ。
■『勝手にしやがれ』(1959)
監督:ジャン・リュック・ゴダール 出演:ジャン・ポール・ベルモンド、ジーン・セバーグ ほか
もっと『俺たちに明日はない』式に2人の若い男女が無軌道に大人に反発して暴れまわる話かと思いきや、
今や伝説的なこのゴダール作品は、やはりフランス映画の永遠のテーマ「男と女」を意外に冷静に見つめて描いている。
あふれだす言葉、言葉、言葉。それが即興というのは驚かされた。
何か言葉にすればするほど、真実から遠ざかってゆくようだ。
「幸福な愛などない。不幸な愛すらないんだ」
「どうして記者になったんだ」「男から自由になれるからよ」
スカートをめくられて、ミシェルの頬にバシっと一発ビンタを食らわせるシーンは快感。
「一発ヤラせるなら車に乗せてやるよ」って男なんだもの。
■『THE LATE SHOW "LIVE AT MONTEREY"』
ウッドストックもモンタレーもその全員の演奏が録画されたはずなのにどうして完全版をビデオ化しないのかしら?
年代は同じなのに、ここまで対照的なブラックミュージシャンを1つにまとめた勇気は偉い。
もっとオーティスのライブを長く見ていたかった。思い出すのはジャニスの言葉 "OTIS? Oh, my man!"
この2人は若くして死んだから伝説的なのではなく、若くして才能その他をはるかに超えてしまったからかも知れない。
▼参加アーティスト
OTIS REDDING ♪SHAKE, RESPECT, SATISFACTIO!、JIMI HENDRIX、BOB DYLAN