翁の“ガハハ”な山家暮らし

山家に放念で暮らす翁。田舎暮らしの“ガハハ”なエピソードとその珍問答、ニンマリしていただけたら嬉しいわ。(放念の翁)

◆手助け出来ずご免◆ ?1405

2011-03-29 13:52:44 | ブログ

北関東大震災、地域の様子が明らかになるに従って、事態はますます深刻になっているね。でも避難所の様子をテレビで見ていると、表情は明るい。全てを失ってもこの事態を頑張って乗り切ろうという様子が伺えるな。ところで、翁さんは知人とか友人とかが被害を受けなかったかね?』
接の被害はないのだが、長男の嫁の両親が遠野(岩手)に住んでいる、今でも物不足が深刻のようで、倅が物資を送ろうにも宅配便が動けない、やっと荷物が届くようになったが、被災地では未だに物資が不足し、一日に一食、寒さの中で暖房もなくConv0016_2忍の一字で過ごしている、お気の毒と言う以外に言葉もないな』
さんは子どもの頃横浜に住んでいて、強制疎開でここに一時移り住んだが、京浜地帯の爆撃で被災し横浜の家を喪失、全財産を失った話を聞いたことがあったな』
や両親から話を聞いたが、生き延びられたのが不思議、爆撃のさなかに不発弾を跨いで山側に逃げて助かった。爆撃に追われて市街に逃げた人は焼死だったそうだ。運命の分かれ道なんてそんなものだな。危うく戦災孤児になるところだったが、戦災で人生も大きく変わったな。ガハハハ』
災と自然災害、惨さは同じだが、物不足は戦中戦後の方が厳しかっただろう2 ね。全国で主食類は配給、衣料品などは全く手に入らない、その衣料品も野草の繊維、燃料の練炭、木炭もない。その戦災を経験して今また大震災を受けた人もいるだろうよ』
ェニックス、首都東京を始め地方都市まで焦土と化した戦後の日本、焼け野原を10年ほどで復興、多分今回の被災地も5,6年あれば復興が出来るのでないだろうかね。いやそうあって欲しいいな。義援金以外に手助けが出来ないのが些かもどかしいがね』7
本もボランティア活動が定着し、各層の人々が先手先手で大勢が被災地で活躍をしている、素晴らしいね。日本人の人情は捨てたものではない。それに引き替えて、政府の動きが全く見えない。大臣は何処で何をしているのだろうかね。何とも歯がゆいな』 放念の翁