『この料理を食べ残したのはどちらさん。一生懸命に調理をしてお客様にお出しをしている。皆さんだって高いお金を払って料理を食べに来てるんでしょ。だったら綺麗に食べてくださいよ』
ある小料理店の板長が、仲居さんが下げて行った食べ残しの料理の器を手に、こう言って客室に訪れたことがあります。現役時代に上司の壮行会での席でしたが、どうも行きすぎた「料理人気質」のようには思います。
食べ残した料理の使い回しの事実が発覚した船場吉兆とその系列店、客離れで廃業をすることになったそうです。
高級料亭では、多くが官・官、民・官の接待として使われているようで、そうした場では顔つなぎや談合などの懇談が目的でしょうから、ガツガツと料理に箸を着けることがなく、多くの高級素材が残渣になって捨てられるということでしょう。
そこに目を着けたのが『吉兆』のオーナーであったようで、使い回しでどれほどの利益(詐欺)があったのかまでは公表はされませんが、悪行ながら素材を無駄にしない発想もあったのではと思います。
『一言、お礼を申し上げます。今日は当店をご利用いただき、またお出しをいたしました料理を全てお召し上がりいただき、料理を作る者といたしましては、この上ない喜びでございます。ありがとうございました。十分なお持て成しは出来ませんでしたが、どうか機会がございましたら、是非お越しを賜ればありがたく存じます』
これは九州・博多を訪れた折に、赴任をしていた友人と再会し、友人が馴染みの割烹料理店で食事が終わって後に、料理長が席に訪れての丁重な挨拶でした。
『久しぶりで、美味しい料理をご馳走になりました。折角ですので全て頂戴をしました。わざわざご挨拶を頂き恐縮です』と返礼をしましたが、下げられた器の料理が食べ尽くされていたことの料理人としての喜びだったのだと思いました。
看板の店に足を運ぶのは、評判の料理を食べるために出かけるのですから、食べ尽くすと言うことが客側の誠意であるように思います。もう、爺にはそうした機会はないように思います。
どうも「吉兆」はそうした客種でなかったことが、悪知恵を働かせる温床にしてしまったように思うのですが。
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