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岡山城と後楽園(日本三名園の一つ)

2014-12-03 16:20:23 | 旅行

 

岡山城と後楽園

 ※備前の国邑久から起こった宇喜多尚家が、岡山の地、石田の城に、いた金光宗高を亡ぼして

城郭を拡張したのは天正元年(1573)の秋であった。それまでは金川の松田氏に属する小城に

すぎなかったが、直家はこの城を本拠として城下町の経営に着手し、岡山の繁栄をつくった。(12/03)

 

↓ 下2枚の写真は後楽園より岡山城を撮影。

 

廊下門

 表書院(中段)から本段(上段)に渡した長廊下の下手に設けられた門です。

 

↓ 岡山城月見櫓   国指定重要文化財

 月見櫓は、岡山城本丸を構成する一二三(ひふみ)の段の二番目に当たる中の段の北西角を固

める隅櫓で、池田忠雄(ただかつ・と読む)が岡山城主であった時の城郭整備に伴い、元和年間か

寛永間前半の時期(1620年代)の建築と判断されています。

 構造は一部地下付きの塗籠(ぬりごめ)造り本瓦葺二階建てで、城外(北西)側から眺めると三層

層塔型(そうとうかた)の景観を呈しており、規模は地階と一階が桁行(東西)三十二尺三寸(9.79m)

梁間(南北 はりま)二十六尺二寸(7・94m)・二階が方形で桁行・梁間とも十六尺五寸九分(5.03m)

棟高い四十五尺(13.67m)です。

 岡山城内は殆ど撮影禁止で、刀や書物・鎧兜などは撮影出来ない。

 

ここからは後楽園

 ↓ 流店 (りゅうてん)

 屋内中央に川を通し、色彩、奇彩に富んだ奇石六個を配した全国的にも珍しい建物で、藩主の

庭周りや賓客の接待などで、休憩所として使われました。

 

 

 

 

 延養亭  (えんようてい)

 藩主の居間で園内で最も重要な建物でしたが、戦災で焼失し、昭和三十五年に当時第一級の木材

と技術で建築当時の間取りに復元されました。

 

 

↓ 廉池軒  (れんちけん)

 戦災をまぬかれた数少ない建物の一つで、池に架かる石橋や対岸の小島なども、住時の姿を今に

伝えています。

 

 

イチョウの木も、なかなか綺麗だね。

 

 

 


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