Dogma and prejudice

媚中派も媚米派も同じ穴のムジナ
従属主義的思考から脱却すべし
(言っとくけど、「媚米」と「親米」は違うんだよ)

押しも押されもせぬ国

2006-10-19 | 外交・防衛
 「押しも押されもせぬ国」、日本はこうあってほしいと、私は思います。

 「押しも押されもせぬ国」とは、すなわち、「武力行使も武力による威嚇もしない」し、「武力行使も武力による威嚇もされない」国であり、また、「相手国に挑発行為をしない」し、「相手国から挑発行為をされない」国の事です。

 私は、戦後の日本の掲げる「平和国家」という理念自体は正しいと思っています。

 ただ、それが、日本の「武力行使も武力による威嚇もしない」という「押さない」面のみにしか配慮していない点が片手落ちだと思うのです。

 「武力行使」と「平和」との間には、一種のパラドックスが存在するのです。どういう事かと言えば、最初から、『絶対に「武力行使」を行わない』と宣言すれば、「平和」が得られるかと言えばそうではなく、逆に相手国からすれば、「日本は武力行使をしないのだから、いくら、こちらから「武力による威嚇」や「武力行使」を行っても大丈夫」となり、かえって、隣国との関係が危機に瀕する可能性が高まるという事です。

 「押されない国」すなわち「武力行使も武力による威嚇もされない」国、「相手国から挑発行為をされない」国になろうとすれば、「日本は、穏やかで紳士的な国だが、下手な挑発行為を行って、本気で日本を怒らせたら、大変な事になる」という認識を相手国に持ってもらう必要があるのです。

 「拉致問題」も、「韓国による竹島不法占拠」も、「尖閣列島問題」も、その根は全て、同じような気がします。つまり、『「本気で日本を怒らせたら、大変な事になるぞ」という認識を相手国に与えなかった』。問題はそれに尽きるのではないですか。要は『絶対に「武力行使」を行わない』という宣言を憲法で行っているから、周辺国に足元を見られるわけです。それは、喩えてみるなら。「どれだけ苛めても反撃しないと思われている」子供が、恒常的に苛めに遭うようなものです。



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