鎌田はりきゅう整骨院のブログ 木火土金水     

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臓器移植

2009年04月27日 | 日記
医聖ヒポクラテスは「医は自然のしもべなり」とのたもうた。


巷では臓器移植をスムーズに行えるように、臓器提供や脳死の判定が賑やかに議論されている。

臓器移植は、人間の免疫の一部である自己と非自己の部分を否定する事が必要となる。そしてそれは、副腎皮質ステロイド剤のために可能となった。

副腎皮質ステロイド剤は、かつて車椅子の生活だったリウマチ患者を、その場で立って歩かせ、人々に絶賛され、ノーベル賞までもらった薬である。

 しかし、その副作用の異常さのために、医学界によって封印された薬であった。

 その薬が今、大手を振って使いまくられている。

 僕は、臓器移植に反対している訳ではない。これによって助けられる患者も多かろうと思う。
 しかし、不要な病気まで、臓器移植に走ることはないのか?
 臓器移植に使われる内臓は、脳死状態で取り出された臓器である。心臓も肺臓もすべてまだ動いているのである。
 またそうでなければ、臓器移植が成立しないのである。
 生前に臓器提供がはっきりしない場合、遺族に判定をゆだねる事も論議されているそうな。
 脳死と判定されても、まだ温かい患者の家族に「早く、内臓をください」と言えるのか。家族はそれを断れるのか?

 生前に本人ときっちりと契約を取り交わしておくべきである。
 それを、曖昧にしないために、臓器を一つ50万円~100万円くらいの値段で契約すれば、自分の葬式代ぐらいになると、生前の契約は多くなると思うし、外国まで行って臓器移植をするよりだいぶ安くつくのではないか。
人の臓器に、値段をつけることは不遜であろうか?
 
 臓器移植をしてもらった人が、どのくらいの期間生きながらえているのだろうか。臓器移植が始まったころ、成功すると大きな写真入で報道された。しかし、その患者の数日後の死亡は、欄外に小さく出るだけである。
 これでは、臓器移植をすれば全ての人が助かるのだと勘違いしてしまうのではないか。
 臓器移植の後に待っているのは、自分の免疫との壮絶な戦いではないのだろうか。
 臓器移植には、報道されないいろいろな問題があるのだと思う。何故、臓器移植に進みたがるのだろう。名誉のためか、金のためか、人のためになるのか。

僕はこの世で頼りになるのは、自己免疫力だけだと思っている。

 医学は、臓器移植より自己免疫強化のほうに進んで欲しい。

 医は、自然のしもべであってほしい。 
 


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