とある理由で出身大学を訪れた。
もう15年以上前のことだが、自分自身には昨日のことのように感じられる。
自分の住んでいたアパートはまだあったけど、
当時通っていた定食屋はほとんどが消えていた。
後でネットで調べてみたら、移転していたり、つぶれていたり、
まだ現役でやっていたり・・・といろいろでした。
自分の属していた部活(正確には部活ではないのだが)の部室を訪れてみた。
なくなっていた。そこで付近にいた学生に場所を聞いたら、
なんと、部員の人たちだった。
ひとしきり話を聞くと、変化の大きさに驚かされる。
しかし、学生の印象は昔と変わらず、自由で、元気で、といった感じだった。
自分たちもやっていたことが受け継がれていたり、なくなっていたり、
新しい技術を使用していたり。
時代は巡るのだな、と思う。
自分の過ごした4年間と変わらぬ時間をまた後から来た人たちが過ごし、
また巣立ってゆく。
この世は行雲流水なんだと、改めて突きつけられた気がした。
自分の親がそうであったように、
自分自身がそうであったように、
自分の子供たちもきっと同じような日々を過ごし、そして死んでゆくが、
人はいつまでも繰り返し生きてゆくのだと言われた気がした。
そうであるならば、自分は何をすべきなのだろう。
自分の日常のすべてがつまらなく見え、この大きな流れに比べれば、
はたして日々本当にやるべきことをやっているのか、
本当の意味で棺桶の蓋が閉まる瞬間に、よい人生だったと言えるのか、
そういう瞬間を今過ごしているのか、改めて問われている気がした。
一人の独立した人間として生きているような気分になっているが、
本当は大河の一滴なのかもしれない。
僕は流れの中に今、確かにいるのだと知らされた気がした。
もう15年以上前のことだが、自分自身には昨日のことのように感じられる。
自分の住んでいたアパートはまだあったけど、
当時通っていた定食屋はほとんどが消えていた。
後でネットで調べてみたら、移転していたり、つぶれていたり、
まだ現役でやっていたり・・・といろいろでした。
自分の属していた部活(正確には部活ではないのだが)の部室を訪れてみた。
なくなっていた。そこで付近にいた学生に場所を聞いたら、
なんと、部員の人たちだった。
ひとしきり話を聞くと、変化の大きさに驚かされる。
しかし、学生の印象は昔と変わらず、自由で、元気で、といった感じだった。
自分たちもやっていたことが受け継がれていたり、なくなっていたり、
新しい技術を使用していたり。
時代は巡るのだな、と思う。
自分の過ごした4年間と変わらぬ時間をまた後から来た人たちが過ごし、
また巣立ってゆく。
この世は行雲流水なんだと、改めて突きつけられた気がした。
自分の親がそうであったように、
自分自身がそうであったように、
自分の子供たちもきっと同じような日々を過ごし、そして死んでゆくが、
人はいつまでも繰り返し生きてゆくのだと言われた気がした。
そうであるならば、自分は何をすべきなのだろう。
自分の日常のすべてがつまらなく見え、この大きな流れに比べれば、
はたして日々本当にやるべきことをやっているのか、
本当の意味で棺桶の蓋が閉まる瞬間に、よい人生だったと言えるのか、
そういう瞬間を今過ごしているのか、改めて問われている気がした。
一人の独立した人間として生きているような気分になっているが、
本当は大河の一滴なのかもしれない。
僕は流れの中に今、確かにいるのだと知らされた気がした。