いつかあの青空の心に

少年のころ見上げた、あの青い空。澄み切ったあの空のような心になりたいと願った。その心に近づいているのだろうか・・・

大河の一滴として

2014年02月19日 | 考える
とある理由で出身大学を訪れた。

もう15年以上前のことだが、自分自身には昨日のことのように感じられる。

自分の住んでいたアパートはまだあったけど、
当時通っていた定食屋はほとんどが消えていた。
後でネットで調べてみたら、移転していたり、つぶれていたり、
まだ現役でやっていたり・・・といろいろでした。

自分の属していた部活(正確には部活ではないのだが)の部室を訪れてみた。
なくなっていた。そこで付近にいた学生に場所を聞いたら、
なんと、部員の人たちだった。

ひとしきり話を聞くと、変化の大きさに驚かされる。
しかし、学生の印象は昔と変わらず、自由で、元気で、といった感じだった。

自分たちもやっていたことが受け継がれていたり、なくなっていたり、
新しい技術を使用していたり。

時代は巡るのだな、と思う。

自分の過ごした4年間と変わらぬ時間をまた後から来た人たちが過ごし、
また巣立ってゆく。

この世は行雲流水なんだと、改めて突きつけられた気がした。
自分の親がそうであったように、
自分自身がそうであったように、
自分の子供たちもきっと同じような日々を過ごし、そして死んでゆくが、
人はいつまでも繰り返し生きてゆくのだと言われた気がした。

そうであるならば、自分は何をすべきなのだろう。
自分の日常のすべてがつまらなく見え、この大きな流れに比べれば、
はたして日々本当にやるべきことをやっているのか、
本当の意味で棺桶の蓋が閉まる瞬間に、よい人生だったと言えるのか、
そういう瞬間を今過ごしているのか、改めて問われている気がした。

一人の独立した人間として生きているような気分になっているが、
本当は大河の一滴なのかもしれない。
僕は流れの中に今、確かにいるのだと知らされた気がした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする