「詩客」自由詩時評

隔週で自由詩の時評を掲載します。

自由詩時評第246回 いのちとしてのことば~伊藤芳博『いのち/こばと』(ふたば工房)、金永郎『金永郎詩集』(土曜美術社出版販売) 青木由弥子

2020年04月14日 | 詩客
 大切なことを伝える手段として「言葉」しかないときに、その「言葉」が信用できないものであったら。あるいは、言葉にされない、思惑のようなものが透けて見えてしまったとしたら…… covid-19の世界的な蔓延が続いている。後手後手の対応、あるいは明確な方向性の見えない、その場しのぎのような対応ばかりが「言葉」として流れてくる政府の「公式」見解を見ながら(聞きながら、とは、到底、言えない)静かに冷えていく心を、読むこと、書くことで温める。時折、坪庭のような小さな庭に降りては、根詰まりを起こしている椿の鉢を植え替えたり、芽吹き始めたサルスベリの枝をぼんやりと眺めたりしている。東日本大震災の時にも、押し寄せる無力感から逃れるように庭に降りた。いつも通りに咲き始めた早咲きの桜を思わず葉書に写生したものの、家に飾る気にはならず、旧知のシスターに送ったりした。自分には、祈る言葉すらない。その空虚を抱えたまま、インターネットの投稿掲示板をのぞき…… 日々流れ、消えていく言葉に「応答」を始めた9年前のことを思い出す。それが、自分一人のものとして読む詩ではなく、他者と関りあうものとして読み、そして書く詩の世界に足を踏み入れたきっかけでもあった。

 家族の者とたわいない話で笑い転げながら、それでも鬱々とする心を扱いかねているようなときに、ことばの贈り物のような詩集が届いた。純白のカバーに包まれた、伊藤芳博の『いのち/こばと』。冷たい白ではなく、あたたかい、生成りのような白、布目の型押しがほどこされた風合いのある紙質である。右端に控え目に、やわらかなトーンで著者名と詩集名が記されている。カバーを外して現れる詩集も、より細やかな布目の白。暖色系の鼠色の見返しとのコントラストが美しい。
 「教員生活の四分の一を特別支援学校で過ごし、子どもたちに言葉を伝えることができたことに幸せを感じている。言葉にならないことばをいのちとして感じることができたことに、詩を書く者としても感謝している」と述懐する伊藤の“感じ方”を読む。

  ユウくんは目がみえないので
  きょうしつのなかでは
  マットにすわっていることがおおいが
  ひのひかりがやってくると
  じぶんではっていって
  まどのところでささえてもらい
  おかあさんにほおずりするみたいに
  ふふーん と
  ひかりにむかって目をほそめているのである

  きょうしつのまえをとおりすぎるとき
  ユウくんがゆれていると
  しぜんとちかづいていって
  ならんでそとをみているのだが
  ユウくんにみえるものが
  ぼくにはみえないので
  目をつむっていると
  ゆりかごのなかにまよいこんでしまうのである

  引き寄せられるものによって
  引き寄せられるもののために

  気づくと
  だれもいなくなった教室のなかで
  ぼくは窓枠に両肘を突いて
  沈んでいった夕陽を見ているのである
  お母さんを求めて今にも泣き出しそうな
  赤子の目をして

  あしたに会えますように

「いのち/ゆりかご」 全行


 迷うことなくひかりに呼ばれ、抱擁を交わしているかのようなユウくんの心を充たしているものを、「ぼく」は見ることができない。母を求める赤ん坊のように、切なく求めているのに、その呼びかけに応えることができない。そこには、教え導く“教師”ではなく、「しぜんとちかづいて」いく者、ならんで共に見ようとする者の姿がある。無理に判ろうとするのではなく、赤ん坊のようにまっさらな始まりの者として、ユウくんの感じ取っている世界を学んでいきたい、と願う想いがある。

  とんとんとんとん
  ゆびからゆびへ
  とんとんとんとん
  ぼくのみぎてセリちゃんのひだりて
  なにをつたえているのかわからないのだけれど
  てんじょうをみているセリちゃんのよこで
  はりがねのようなゆびに
  とんとんとんとん

  とつぜん
  「うっ」とだけこえをだしたセリちゃんは
  くるまいすにみをまかせ
  からだもくびもうごかせないまま
  すぐにたんをきゅういんしてもらって
  どこかをみている
  どこをみているのかわからないのだけれど
  まるまったちいさなつぶてが
  かすかにうごく
  とん
  と そのとき
  とつぜん天使にみえたのだ
  そのひとみがいのちそのもののようにすきとおり
  そのくちもとがいのちそのもののようにうるおい
  あ 天使だ
  でもぼくは天使をみたことがない
  天使ってどんなかおをしているのだろう
  しゅんかんにきざしたふしぎなうちゅう
  セリちゃんのいのちがとんとんとゆらすので
  ぼくのいのちが天使のようになったのかしら
  かのじょとぼくのうちゅうにあらわれた天使は
  かのじょのひとみやくちもと
  ぼくのあたまのなかをとうめいなリズムでめぐり
  ぼくのうれいをつつみこみ
  かのじょのうつろをだきしめて
  もういちどぼくのなかで天使という言葉になった
  セリちゃんはねむってしまったのだろうか
  天使はすぐにきえさり
  言葉だけがいきどころをなくして
  とんとん
  なにかをつたえようとしていないセリちゃんの
  なにかをつたえようとしているぼくの
  ゆびとゆびは
  天使のとびらをノックしているようだ

「いのち/てんし」 全行


 一部だけ抜き出すと、作者が「セリちゃん」を過剰に理想化しているように読めてしまうので、全行を引いた。最初、「ぼく」は、「セリちゃん」が「なにをつたえているのかわからない」ということに囚われている。 それは、“意味”や“意志”を求めようとしているからだ。しかし、詩の最後では、「なにかをつたえようとしていないセリちゃん」に、「なにかをつたえようとしているぼく」に変化する。そのきっかけとなるのは、「あ 天使だ」という稀有の瞬間の訪れである。それは、「ぼく」と「セリちゃん」とが、不思議な力で“通じ合った”一瞬と言い換えてもいい。意味や意志という「なにか」ではなく、ここに居る、生きて居ることそのもの、いのちまるごと、のような「なにか」の交感。いのちといのちとがお互いの存在を確認しあった、という、ただそれだけの……しかしだからこそ透き通るように輝かしい一瞬が、そのことへの気づきが、「ぼく」には天使によって与えられたもの、と感じられたのだ。
 とんとんとんとん、というリズムが伝えているものは、そこに居る、という触覚の情報である。それ以上でも以下でもない。「ぼく」が「セリちゃん」に意味や意志を求めている間、気づかなかったこと。しかし、「天使」が訪れた後には、お互いが触れ合える場所に居るよ、君もぼくも一人ではないよ・・・その感覚の確認をするための「とんとんとんとん」であることがわかる。最終行が、「天使のとびらをノックしているようだ」と締めくくられているのも象徴的だ。部屋の中・・・うかがい知ることのできない場所にいるセリちゃんの魂に向かって、控えめに、でも、ここに居るよ、ご機嫌いかが、こんにちは…… と伝えるノック。「ぼく」は、無理やり「とびら」を開けようとはしない。人と人との最も本質的な挨拶が、ゆびとゆびとの間で交わされているのだ。

 切実にわかろう、寄り添おう、近づこう、としながらも、「ぼく」は過剰な共感や推測で、わかったつもり、になってしまうことを慎重に避けているように思われる。そのことがよくわかる一節がある。

  「お母さん どうしてレイちゃんは
  どんなときでもにこにこしていられるんですか」

  なんでもないことのように返ってきた
  「わたしのお腹のなかに
  怒りと悲しみを置いてきてしまったので
  わたしが代わりに
  いつも怒ったり悲しんだりしています」

  お母さんの絶望と希望のなかを
  レイちゃんは
  ゆらゆらすすんでいく

  腹の据わったという表現があるが
  表現ではなく覚悟なんだ
  なにも言わないレイちゃんの
  ゆらゆらとした表現の支点に
  お母さんの覚悟が座っている

「いのち/ふしぎ」後半


 最も「レイちゃん」の身近にいる「お母さん」が、了解し、受け止めている確信。それを、覚悟だと感じる「ぼく」。教師であると同時に、一人の人間としての眼差しが受け止めた発見と驚き、感動を素直に書き留めているところに強く惹かれた。

 詩集の冒頭に、恐らくは保護者の体験を教師として聞き取ることから生まれたであろう作品「いのち/えらぶ」が置かれている。生まれた子に、障碍がある、と告げられた時点から、自分の死後、この子は生きていけるのか、兄弟姉妹たちの将来はどうなるのか……生まなければよかった、という言葉すら頭の中に渦巻く時間を経て……「この子はわたしを望んでいる」「この子はわたしたちを選んで生まれてきてくれた」という受容と覚悟と確信に至るまでの時間。エドナ・マシミラの詩「天国の特別な子ども」に触発された箇所がある、という注記もある。長年の教師としての体験が凝縮されて生まれた作品であろうけれども、「ぼく」自身の体験談ではなく、想像力を極限まで働かせて“当事者”の気持ちを代弁する形で歌っているということが推測される作品だ。そこに難しさと危うさも内包されてはいるのだが・・・以前、この時評で紹介した宮尾節子の『女に聞け』集中の一篇の言葉を引いて、その危うさを補完しておきたい。

  日本人は、当事者でないことに引け目を感じる。
  また、当事者でもない者が、と周りの目もきびしい
  ――それに、負ける。
  (中略)
  当事者でないことを恐れない
  ――それは、想像することを恐れない、ということだ。
  ――それは、想像せよということだ。

  わたしは想像する。
  当事者について、想像する。
  当事者ゆえに、語れないことを(言えないことを)。
  (中略)
  当事者ゆえに、恐れることを――。
  当事者でないものは――、恐れないでいられる。

  もしも、当事者ゆえに、黙り
  当事者でないゆえに、黙ってしまえば
  いったい、
  世界は誰が語るのか。
  いったい、世界は誰が変えるのか。

(宮尾節子「誰が世界を語るのか」)


 伊藤が仕事を通じて汲みとったものを採り上げてきたが、この詩集自体がユニークな試行を試みていることも付言しておきたい。「こばと」「カラス」「あかり」などは、一見すると言葉遊び風の“かろみ”を有している。ことば、の一文字が入れ替われば、こばと、と新たな意味・・・というよりも像が現れる。「おことおなん」「おとこおんな」「おおなんということ」ちょっとした言い間違いが生んだ発見や笑いが発想源かもしれないし、一文字一文字を大切にする心が見つけた面白さであるのかもしれない。「あかり」は、文字を自在に出し入れしながら、人の心の灯、生きることをそっと見守る営みの明りに思いを馳せていく。何かに行き詰っているとき、ふっと視点をずらすことで救われたり、緊迫感や緊張が予想外の笑いでほどかれることがあるが、そんな心の柔軟体操に通じるような楽しい作品。子どもたちとも大いに実践してほしいような試みである。
 後半に納められた、過去の自作を引用したり、父の作品を引用したりして新たな一篇に再編する、という試みにも興味を惹かれた。過去の私と現在の私との対話。自身の年表を付す伊藤の、小休止と新たな出発を記念する詩集であるのかもしれない。

 昨年の秋に刊行された新・世界現代詩文庫17、『金永郎詩集』も紹介しておきたい。1903年に朝鮮全羅南道康津郡に生まれる。1920年に来日、青山学院中等部に編入(このとき、後にアナキストとして活動する朴烈(パクヨル)と同じ家に下宿)。青山学院大学で英文学を専攻するが、関東大震災で帰国。1930年に「詩文学」を創刊、「純粋抒情詩」を追求、朝鮮語で抒情詩を書き続ける。1940年以降は日本統治から解放されるまで断筆。日本統治下でも一貫して神社参拝、創氏改名、断髪令を拒否した静かな抵抗の人でもあった。1950年、仁川攻防戦の最中に飛んできた砲弾の破片を被弾して、47歳で没した。
 韓成禮(ハン・ソンレ)の解説によれば、金永郎(キム・ヨンナン)は「新文学派」を代表する抒情詩人であるという。「1925年から1935年まで10年間の朝鮮文壇は、プロレタリア文学派と民族文学派間の対立の時期だった。1927年に「海外文学派」が純文学論を主張して文壇論争が触発され、これをきっかけとして純文学運動としての「詩文学派」がより具体化された……彼らは日本帝国主義の抑圧から逃れるために純文学に逃避し、民衆の悲しみの代わりに、芸術至上主義や耽美主義を論じ、芸術の純粋性を主張してその理論を樹立した。しかし彼らは少なくとも、歴史的現実から来る苦痛を忘れたわけではなかった。「詩文学派」は、朝鮮プロレタリア芸術同盟「カップ」の政治的傾向の強い詩に積極的に反発し、政治性や思想性を排除した純粋抒情詩を目指した……内容と形式の有機的調和による自由詩創作と、意識的な言語の彫琢、隠喩と心象の意識的な活用が詩文学派の詩的傾向である・・・新しいリズム感覚と斬新な現代語の駆使によって真の意味で韓国現代詩の出発点となり、金永郎らにより韓国詩は、それ以前とは明確に異なる芸術的レベルに到達した」「金永郎は西欧文学の影響を受けながらも、韓国の伝統的な詩形を現代詩の中に取り入れ、伝統的なものと現代の西欧的なものとの接木作業に成功した
 同時代の日本の詩文学の動きと合わせて考えても興味深い。私は日本語の翻訳を頼りに、韓国の詩の美点や完成度などを間接的に味わうことしかできないのだが、金永郎が多用したという土地の言葉やニュアンスにも深い知識を持つ韓成禮の訳した詩篇の中から、心に響いたものを何篇か紹介しておきたい。

 まずは、韓国の伝統的な韻律を活用した四行詩から。

  草の上に結ばれた露を見る
  まつげに見え隠れする涙を見る
  草の上には精気が夢のように昇り
  胸は切実に口を開く

  あの歌さえも目を丸くして消えれば
  喉の奥の玉を水の中に捨てよう
  陽とともに昇っては沈む 雲の中のヒバリは
  新しい日、新しい島 新しい玉をくわえて来るだろう

  香りがしないからと捨てるのならば
  私の命を摘まないでください
  寂しい野花は野辺に枯れ
  分別のないその人のつま先で居眠りをするだろう


 続いて、二行四連の作品。

  私の昔の日のすべての夢が 一つ残らず運ばれて行った
  空の果てに届く所に 喜びは住んでいるのか

  静かに消える雲を見送れば
  虚しくも 心の向かうのはそこだけ

  涙を飲んで喜びを探そう
  虚空はあれほどに果てしなく青い

  腹這いになって涙で刻もう
  空の果てに届く所に 喜びが住む


 詩作への情熱を歌う詩にも共感を覚える。

  降仙台の針のような石の端に
  取るに足らぬ人間が一人
  彼はもはや
  燃え上がる湖に飛び降りて
  自らを燃やしてしまった方がよかった人間

  もう何年になるのか
  その恍惚に出会っても この身をすぐに投げ出せず
  そのまばゆさを見ても 歌はいつまでも歌えないまま
  押し寄せる波と闘っては越え
  苦しめられた心だから 時には涙が浮かんだ

  降仙台の針のような石の端で すでに
  燃やしてしまった方がよかった人間

※降仙台(カンソンデ)金剛山の水晶峯にある台。土や石などで高く積み上げられて周りを見渡せる場所。


 最後に、「一握りの土」と題された詩を。

  もともと平静な心ではなかっただろう
  無理にのこぎりで引いて千切れ千切れに裂いた

  風景は目を引くことができず
  愛が思いを乱させないのだ

  諦めて恨みもせずに生きている

  いったい私の歌はどこへ行ったのか
  もっとも神聖なものはこの涙だけ

  奪われた心をついに取り戻せず
  飢えた心を十分に満たせず

  どうせ体もやつれた
  急いで棺に釘を打ち込め

  どのみち一握りの土になるのだ