「詩客」自由詩時評

隔週で自由詩の時評を掲載します。

自由詩時評第303回 「声と言葉の発見」今野 和代

2024年05月13日 | 詩客
 アマゾン熱帯雨林の中心部。ブラジルとベネズエラの国境、ネグロ川の左岸支流とオリノコ川の流れる地域一帯は、地球上でも、最も重要な生物多様性地帯のひとつと聞く。そこに暮らす最大の先住民のひとつがヤノマミ族だ。1964年から1985年にかけて21年間続いたブラジルの軍事独裁政権によるアマゾン占領政策の名のもとに執り行われた森林伐採や金などの天然資源の採掘、薬物密売の動きは、ヤノマミの人々の暮らしに脅威をもたらした。いのちは精霊として生まれ、その産みの母に抱かれることにより初めて人間としてこの地上に誕生するのだという、この世界の「最後の石器人」とも囁かれる、1万年以上受け継がれてきた独自の生命観と暮らしと文化を守り続けてきたヤノマミ族。そのヤノマミ族の権利と主権を守るために彼らと共に50年以上活動を続けてきた現在92才の写真家クラウディア・アンドゥハルの作品と、ヤノマミのシャーマンでありヤノマミの人々の代弁者であるダビ・コペナワの言葉、ヤノマミ族のアーティストたちによるドローイングや映像作品を通して、この共同作業の物語が展示され、語られるという、「2024京都国際写真祭」のメイン展示のひとつ、日本初の「クラウディア・アンドゥハル<ヤノマミ ダヴィ・コベナワとヤノマミ族のアーティスト」」展を5月、京都文化博物館別館に尋ねた。
 まず会場の2階に上ると、大きな画面に映像が流れていた。哲学者と放浪者とジャーナリストの気配をミックスしたような40歳前後のやや神経質そうな眼鏡をかけた髭面のヨーロッパ人風の男性インタビュアが、写真家クラウディア・アンドゥハルに少女時代の両親との記憶を室内で向かいあいながら、質問していた。クラウディアは1931年、ハンガリーのユダヤ人である父親とスイス人の母のもとスイスのヌーシャルで生まれ、ルーマニアの中部トランシルバニアで育った。少女時代、父親と母親は別居し、最初父親の許で暮らし、母親にこっそり会いに行くと、父親に殴られたこと。母親と一緒に住むようになって、父親が収容所から一度訪ねてきて「最後のお別れに来た」と話したこと。言葉通り父親とその親族全員がホロコーストから生還できなかったこと。少女時代の初恋でユダヤ人の少年に恋したこと。なぜか魅かれて一緒に話していたかったこと。「ぼくはダビデの星を胸にもっているので、僕と話をこうしてしていて見つかると君も収容所に連れていかれるよ」と公園で少年が語ったこと。キスしたくて頼むとキスしてくれたこと。それがファストキスだったこと。その日から二度と会えなかったその少年の焼けるように熱かった唇の感触が今も自分の唇にのこっていること。「ほら、今も彼の写真を持っているのよ。下のは父親の写真よ」と親指大ほどの小さなセピア色の写真2葉をインタビュアの男性に見せた時の衝撃は、まだ私の胸のなかで揺れている。失われたものがずっと彼女の長い波乱の道のりのなかで、決して手放されずに、瑞々しいかなしみのまま息づいていることに打たれた。そして、自分とその内部から発せられている自らの言葉を、もう一度自身の魂をひきよせて濾過するように確かめながら、ゆっくり低い声で語る初老の写真家クラウディア・アンダハルに、たちまち魅了された。
 場面が変わって、車椅子のクラウディアが、現在のたぶん相棒さんと思われるずっと思索を続けているかのような深く精悍な眼差しをもった、ヨーロッパの川端康成みたいな初老の男性ともうひとりの付き添いの人にフォローされながら「あともうすぐだ」という声が流れてヤノマミ族の住居を訪れるシーン。50年以上の交流と活動で培われた年月の親密さが画面にみなぎっていて、遠い遠景で車椅子のクラウデイアの上半身の背中に水を相棒の男性が掛けてあげているシーンや、クラウディアが髪に櫛を何度も丁寧にいれている場面はヤノマミの人たちにきっと敬意を示す心からの身体儀式であると直観した。あ時間がない。はやく、クラウデイア・アンドゥハルの作品と、シャーマン、ダビ・コペナワの言葉に触れたいと階段をかけおりた。
 と、たちまちヤノマミのシャーマン ダビ・コベナワの言葉が飛びこんできた。
クラウディア・アンドゥハルはブラジルにやって来た。サンパウロからブラジリア、ボア・ヴィスタと旅し、そしてヤノマミの土地を訪れた。……彼女は自分のプロジェクトのことを考えていた。何をしようか、何を植えようかと。バナナの木を植えたり、カシュ―の木を植えたりするように、彼女は自分の作品のことを考えていた。彼女は人々と仲良くなるために、ヤノマミの装束を身につけた。彼女はヤノマミではないが、ヤノマミの真の友人だ。彼女は出産の様子や女性、子どもたちの写真を撮影した。そして彼女は私に闘い方を教えてくれた。民族を守り、土地を守り、言葉を、伝統を、祭を、歌を、シャーマニズムを守る方法を教えてくれた。彼女は実の母のように様々なことを私に教えてくれた。私は政治家や非先住民の人々と闘う方法を知らなかった。彼女は私に闘うための弓と矢を授けてくれた。白人を殺すためではなく、ヤノマミの声を伝えるための武器だ。彼女の功績をすべての人々に見ていただくことは、とても重要だ。すでに亡くなった人の写真も数多く展示されているが、それらの写真は、皆さんがヤノマミを知り、敬ううえで重要な役割を果たしている。ヤノマミを知らない人でも写真を通してヤノマミを知ることができる。私たちヤノマミは写真の中で生きている。………私にとって、そして、あなたや、あなたの息子や娘たち、若者、子どもたちにとって、長い年月にわたってブラジルの大地で生き続けてきたヤノマミと出会い、敬うことは重要なのだ」〈2018年サンパウロでの展示「The Yanomami Struggle」オープニングにて〉とある。ときおりクラウディア自身が付けているキャプションの言葉も詩だ。
森の中を長い間、歩いていると気づくのだ。鼻筋から流れる汗が目にしみたのを憶えている。私たちは何時間も歩いた。男、女、子ども、母親に背負われた生まれたばかりの赤ん坊、女性の髪にまとわりつく夜行性の猿、ハンモック、鍋、必需品、すべてが動き回る。ヤノマミにとって森は、私たちにとっての街のようなものだ。私たちが道路を渡るのと同じ要領で、ヤノマミはすべての森の道を知っている
 写真は、狩の遠征中に、しばし休息をとっているヤノマミの家族。男が白い歯をむきだしにして、大笑いしながら長い棒を2本斜めに動かした、まさにその瞬間をカメラがとらえた。その背後で男の子を抱いて乳を与えている母親も静かにほほえんでいる。その向こうを様々な年齢の顔や身体に彩色の模様を施した女の子たちが並んで立ってこっちをみている。そんなモノクロ写真。その作品のすぐ下に置かれているやはりモノクロの写真は、小さなハンモックが揺れて、手遊びをしているのか、木の実のようなものをつかんだ瞬間なのか、仰向けになって手の指を胸のあたりに丸く突き出して横たわっている少年をとらえている。ハンモックの揺れが白い光の亀裂の束となって走っていて、右斜め手前の画面に活き活きした動きをつくりだしている。よく見ると、ヤノマミ族のファッションなのだろう、下唇のすぐ下あたりに三カ所細い棒がピアスのように突き刺さっている。その右にはまだ少女のあどけなさが残っている母親らしき若い女が、食するのか、優しい眼差しを少年に注ぎながら、長い草の葉をしごいている。2枚の写真は、空からの木漏れ日や森のなかに棲息する虫や鳥や猿たち生きものの鳴き声や、風のそよぎ、樹々の葉擦れの音、森に充満する生きものたちの息づかい、そしてそこにしばし休息するヤノマミの人たちの、自然のなかにするり調和して暮らしている、やさしく柔らかな生きものが持つ豊かな日常の時間を彷彿させて私の目の前にあった。
 パンフレットの表紙にもなっていた青と波の白、遠くの影の濃紺の美しいグラデーシォンの川に浮いている少年の写真にくぎ付けになった。顔だけを水面に出している。濡れた前髪、額も頬も鼻も陽光に照らされ、ピンク色にぬれた唇の下にやはり三本の細い串の棒が突き刺さっている。東洋の仏像のような半眼のまぶた、まるで絶え間なく流れ続けている川の精霊と交信しているような、瞑想しているような、少年の満ち足りた静謐が奇跡のように美しい画面となって定着されていた。
 最後の部屋は、木と藁葺で出来たシャボノというヤノマミの人たちの円形住居を模倣した半円形の空間。地べたに腰をおろして、好きな位置で映像を観ることの出来るよう、いたるところにクッションが置かれていた。現代的な音楽が流れ、半円形の巨大スクリーンにヤノマミの密林の自然が映し出され、ゆっくりと、ヤノマミの人々の老若男女の顔のアップ、そして祭の場面へ。音楽はいつのまにか、彼らの声にかわり、圧倒的なポリフォニーとなって会場を包んだ。そして、ヤノマミの人たちの首にはいつのまにか、番号札がかけられている。悲しい目をして、ヤノマミの少年が、若い女が、古老が、少女が男がこっちをじっと注視していた。
 森と自然と共生し、独自の文化と生活を今も守り続けているヤノマミの社会が汚染され、監視下に置かれ、管理され、現代の巨大なシステムに組み込まれていくことへの拒否と深い怒りの表明として受け取った。
 自由詩時評の前に長い報告となってしまった。さて今回この強烈なヤノマミ体験をへて、詩の言葉が今の私にどんな風に響いてくるのかという一点に注目して詩を呼んだ。呼び寄せてみた。紙面の都合から一篇のみ取りあげたい。

お客さん、次の船なら一時間は来ませんよ。青い服のおじさんが声をかけてきて、顔を上げた。ひとつずつ名前をつけて日々に返していくのが私たちの仕事だったから、そのように軽く言葉を交わす。迎えを待っているのです。答えると、おじさんは軽く頭を揺らして、窓口の向こうに消えた。行きは450円、帰りは400円の販売機でも同じものが売られている、今年の冬は寒い日が少なくて、お気に入りのセーターを着られないでいる、咳を軽くして、背中を揺らす。熱が出ているとき、体はとても冷たい。窓の方を向く。昔、母と一度だけアイススケートをしたことがあると、ふと思い出す。仕事から帰った母が私を車に乗せて、海の近くのスケートリンクに行った。母は運動神経がよい人だった。私の体はその日も熱があって、リンクには誰かが滑った跡が深い溝になって残っていた。きれい。何をだろう。息を吐いて、確かめようとする、仕草。アラン模様を解くように窓から細長いひかりが落ちてくる、埃が窓辺を漂っていることが分かる、そのひかりにふれている部分が反射していて。きれい。

 「西戸崎旅客待合所」というタイトルがつけられている。有澤裕紀子さんが発行人。渡辺玄英さん編集。北川透さんたちが同人の下関から発行されている「鯨々」12号に掲載された竹中優子さんの作品を引く。1篇が4連の散文詩として構成されていて、タイトルや詩の言葉から、福岡の「西小崎旅客船ターミナル」に着き、「待合所」で、「近くの森林地区を整備する」仕事としている人の迎えを待ち、ともに時間を過ごし、帰りの船の「到着」を知らせる「汽笛が短く鳴る」ところで閉じられる。
 この詩の魅力のまずひとつは、唐突に「青い服のおじさん」の声が響いて来、迎えに来た旅客船の短い汽笛音で詩世界を完結させる「声」と「音」を駆使して、1篇の物語としての詩の表出に成功させたところ。
 二つ目は、「言葉」の発見。1連目冒頭、「お客さん、次の船なら一時間は来ませんよ。」というおじさんに「軽く言葉を交わす」こと、「ひとつずつ名前をつけて日々に返していくのが私たちの仕事」というやや難解な言葉が置かれ、4連目にも「どうも、ありがとう」「こちらこそ、わざわざ来ていただいて。」という会話のあとでも「仕事をひとつ終える」とあって、日々の関係のなかで言葉を名づけ「日々」に返していく行為を「仕事」と認識する姿勢がとり出されている。そしてこの詩人が接している、触れている、投げ出されている「日々」は実は一筋縄ではいかない。違和感と透明度の高い感受のレーダーによってとらえられた、一瞬の永遠や空虚、不条理や恐怖や孤独が地続きとなって「日々」が成立していることが、挿入された「アラン模様を解くように窓から細長いひかりが落ちてくる」「……好きな人がね、だから毎年何人かこの森では行方不明者が出ます、」「森は何かを押し留めている」「目の前で父が空っぽの箱になったと分かったとき、私は嬉しかった」等の詩行からうかがえる。そして、改めて「ひとつずつ名前をつけて日々に返していくのが私たちの仕事」という言葉をとらえてみる。と、「言葉」を、手ごわく、いとしく、困難な、圧倒的なくり返しの「日々」のなかで、みずからの内に戻し、再度「言葉」として発見し「詩」へと歩いていくことが「詩」を書くことなのです、とこの詩人が発している詩への向き方が見えてきた。
 三つ目は身体感覚の新鮮さだ。「熱が出ているとき、体はとても冷たい。」とある。今はとびっきり元気になったけど、子どもの頃はすぐ熱を出していた私は、熱を出すと、自分の体が火の玉みたいに暑かった。体の芯から滲み出てくるような、すっぱい匂いの汗がじわじわと襲ってきて行き場のない体をもてあましたのを今も感覚として覚えている。あ。その汗が出たあとの身体の冷たさをとらえた言葉なんやと合点がいった次第。そして4連目「……中学生の男の子とか、子どもを連れたお母さん。みんな少しずつ背中を水に濡らしていた」「私は手のひらで汲んでもらった馬の眼差しをただ受け取った。」「いつか、馬の仕草で頬をよせあったことがあった、あのときの、利口さを思った、
 辿っていくと、身体が、不思議な、エロティックな、それでいて妙にプラトニックな輝きを放って迫ってくる。
 以上竹中優子さんの詩をみていくなかで、ヤノマミの人の一人の女を「取った」、「いや取らない」で口論しているふたりの男の映像が重なった。男は向き合うのではなく横並びで激しく言葉を闘わせあっているのだが、互いの声を一方的に遮る場面は一度もなかった。互いに反目しあいながら、怒鳴りたてながら、自身の内側を辿り、相手の言葉に耳をそばだてながら永遠と激論している。時には音楽のセッションみたいに声が沸騰し静まり互いの声に応答していた。
 日々を手放さないこと。声をきくこと。言葉を日々に返していくこと。そんな詩を私も書いていきたい。五月のなかで「ヤノマミ」の人々に出会えたこと。竹中優子さんの「西戸崎旅客待合所」という詩、そして「ひとつずつ名前をつけて日々に返していくのが私たちの仕事」というフレーズに出会えたこと。忘れない。