sibasenn気ままな旅日記&日常のつぶやき

東海道53次ウォークや気ままなバックパッカーの旅日記を写真もまじえて報告&日常のつぶやき

イタリア・中欧・カタールの旅(2014年3月15日 ハンガリー・ホッロークー)

2021-04-25 13:49:40 | 2014年イタリア・中欧・カタールの旅
こんにちは、sibasennです。

2014年3月15日 ホッロークー

今日はブダペストの北東100キロにある、小さな村ホッロークーをめざす。
中世期にモンゴル人から逃れるため、
カスピ海周辺から移住した、トルコ系クマン人の末裔である。
彼らはのちにパローツ人と呼ばれ、今もパローツ語で会話をしている。
民族衣装はじめ、民族音楽、刺繍、木彫りなど
独自の生活文化様式、伝統芸能を伝承し、世界遺産にも登録されている。

今朝は6時半ごろ起きる。
荷物を持って8時ごろユースホステルをチェックアウト。
鉄道の東駅からさらに東にある長距離バスターミナルへ。
8時30分発のバスで2時間ほど揺られる。

途中、北海道・美瑛の丘に似た風景にも出あう。


10時半ごろホッロークーに着く。
なおリュックなどの荷物は背負うことになり、ちょっと大変だった。

先ずは、民族音楽
民族楽器を奏でて観光客を出迎える。

織物


通り沿いに軒を並べる古民家は、
パローツ様式と言って、
泥と藁を混ぜて作った壁の上から石灰を塗って白くする
建築様式で建てられたものです。


続いて、小高い山のてっぺんに建つ城に向かう。
山道を登って行くのでちょっとしたハイキング気分。
でもリュックを背負っているので、きつい山登りだ!
標高は365メートル

廃墟となった城内に入る。
一部に残る石壁で囲まれた内部は、
模型やパネルでお城の歴史を紹介している。

民族衣装の人形で当時の日常生活を


戦闘服姿の人形で守備の様子などを展示しています。

また城から見る眺めは壮大で最高です。



これはなんだろうか?

12時半ごろあるお店に入ろ。
でもここでは食事はできないとのこと。
大きなカップにたっぷりのカプチーノを飲む。
ここで1時間ほどゆっくりするが、
お客さんで混みはじめたので出る。

続いて食事ができるレストランに向かう。
「地球の歩き方」に紹介されている店は混んでいたので、
となりのレストランに入る。
伝統的な料理をいただく。
私は肉は食べなかったが、結構なボリュームで美味しかった。

15時ごろお店を出て、お土産(織物)を買って
15時30分発のバスに乗る。
ブダペストのバスターミナルには5時50分ごろ着き、
6時30分発のスロバキア・コシツェ行きの電車に乗る。

今回はここまで

ではまた


イタリア・中欧・カタールの旅(2014年3月14日 ハンガリー・ホルトバージ)

2021-04-24 10:34:59 | 2014年イタリア・中欧・カタールの旅
こんにちは、sibasennです。

2014年3月14日  ホルトバージ

7時頃目覚める。
さて今日はどこに行こうかと、昨夜あれこれ考えたが
やはりホルトバージに行くことにした。
8時過ぎにホステルを出て、東駅に向かう。
途中でスーパーに寄って、
朝・昼食用のパン、ヨーグルト、バナナ、水などを買い込む。
パンは種類が多かったし、買ったパンはおいしかった。

ホルトバージはハンガリー東部にある。
世界遺産に登録されている、約7万ヘクタールの国立公園。
湿地帯で池や川が多く、野鳥の宝庫でもある。
ここに行こうと決めたのは、
印象的な民族衣装を身にまとった遊牧民と馬たちが
一緒に行う馬術ショーを見るためであった。

電車で約3時間ほどかかる。
電車からの景色
ネットもできる特急電車に乗り、
途中でローカル線に乗り換える。

12時半ごろホルトバージ駅に着く。




駅を出て10分ほど歩くと、インフォメーションがあった。
どうやら馬術ショーはやっていないようである。
それでもせっかくここまで時間をかけてやってきたので、
このまま引き返すわけにはいかない。
と言うことで行ってみることにした。


だだっ広い平原が続いている。
やがて馬小屋が見えてきた。
馬小屋の中では訓練のようなものもしていた。


馬術ショーはこの看板で我慢!

乗馬している人(お客さんではなく訓練か?)



強がりではなく、馬を見てるだけで、ここにやってきた値打ちはある。





次の電車まで1時間ほど待たねばならない。
暑かったこともあって私はリタイア。
あとは同行者が撮った写真で大平原と自然を満喫してください。





3時半ごろ、電車でブダペストに向かう。


7時前にブダペストに戻ってくる。
東駅から地下鉄に乗る。
ブダペストでは初めてである。
実は昨日に続いてある温泉に行こうとしたが、
今日は女性のみの入浴日だと言うことがわかりあきらめる。

お腹も空いたので、
今夜こそ日本食レストランを見つけるぞ!
昨日は見つけられなかったのに、今夜はあっさりと見つけられた。

中に入ると、普通に日本語が飛び交っていた。
もうそれだけで安心できるし、くつろげた。
ここは日本人の女将さんがおもてなししてくれた。
食料なども日本から空輸してるとのこと。
ご覧のとおり、全くの和食である。
お酒(ハンガリービール)も少々いただいた。

ちょっと気持ちよく酔ったかな?
夜の街歩きを楽しみながらホステルに向かう。

ヨーロッパ最大規模のシナゴーク(ユダヤ教教会)

国立西洋美術館

9時過ぎに部屋に戻る。
まだほろ酔い気分だがシャワーを浴びる。
明日はブダペストの北東部100キロにあるホッロークーをめざす。
そしてハンガリーからスロバキア・コシツェに向かうので
荷物を整理して眠りにつく。

今回はここまで

ではまた

イタリア・中欧・カタールの旅(2014年3月13日② ハンガリー・ブダペスト)

2021-04-23 12:51:47 | 2014年イタリア・中欧・カタールの旅
こんにちは、sibasennです。

2014年3月13日②  ブダペスト

ご存知でしょうか?
一口にブダペストと言っても、街の中央を流れるドナウ川を挟んで、
西側をブダ、東側をペストと呼んでいる。
そしてドナウ川に架かる橋の一つがくさり橋(セーチェニ公のくさり橋)である。

そのくさり橋が見えてきた。

時間は夕方の4時半ごろ、川辺に座って楽しそうに語り合っている。

我々もくさり橋を渡ることにした。

橋の中央あたり、悠々と流れるドナウ川。
写真の左はブダ、右はペスト

橋を渡り切ると、ケーブルカーに乗って王宮の丘に登る。

王宮の丘南半分を占めているのが王宮(ブダ城)である。
現在は、セーチェニ図書館、国立美術館、歴史博物館になっている。




ライオンの中庭

国立美術館

無料だったので入館するも、
日本語で「まもなく閉館します」のアナウンスで、急いで鑑賞する。


夕暮れ時のブダの街並み


王宮の丘から、ペスト側をのぞむ。
中央はくさり橋、左に国会議事堂が見える。


くさり橋の先に、聖シュトヴァーン大聖堂が見える。

ケーブルカーで下に降りて、温泉をさがす。

ここでハンガリー・ブダペストの温泉事情について
ハンガリーは世界的にも有名な温泉国。
特にブダペストには100を超す源泉と50ほどの浴場がある。
オスマン朝時代を彷彿とさせる遺跡のような温泉から、
スパを備えた近代的な温泉まで多種多様。

ブダ側にある「地球の歩き方」にも紹介されている、
ある温泉をめざすが見つけられなかった。
もう一つの「ルダシュ温泉」はすぐ見つけられる。
中世の雰囲気残るトルコ風呂で、16世紀にオープンしたと言う。
しばしぬるめの内湯にゆっくり浸かり、旅の疲れをとる。
お客さん(現地の人)は結構たくさん入浴していて賑わっていた。

8時ごろくさり橋まで戻ってきた。
晩ご飯は「地球の歩き方」に紹介されている日本食レストランをさがす。
聖シュトヴァーン大聖堂

でもみつけることはできずあきらめた。
ユースホステルに戻る途中で、カレー屋さんを見つける。
お客で結構賑わっていた。
チキンカレーと豆カレー、マンゴーラッシーを注文する。
知ってる味に大満足!
日本で言う「CoCo壱」のようなお店なんだろうか。

ホステルに戻り、明日の予定を考えて眠る。

今回はここまで

ではまた



イタリア・中欧・カタールの旅(2014年3月13日① ハンガリー・ブダペスト)

2021-04-21 14:39:08 | 2014年イタリア・中欧・カタールの旅
こんにちは、sibasennです。

2014年3月13日①  ブダペスト

セルビアからハンガリーへの国境越えで出入国審査が行われ、眠りを中断される。
びっくりして少し寝ぼけた感じになったが、なんなく無事に終えた。
多分13日未明、1時台か?
もう一度眠り直して、ブダペスト東駅には6時過ぎに着いた。
スペイン旅行に行く彼女とは記念写真を撮って、ここでお別れ。

「地球の歩き方」に紹介されているユースホステルめざして歩く。


朝7時ごろチェックインする。


ユースホステル内にあるランドリーで洗濯をする。
ところがしばらくして急にランドリーが止まってしまったのである。
ひとりでホステル受付に行って、「ランドリー」「トラブル」などと単語を並べ、
ジェスチャーも交えてことの次第を必死に伝える。
私の思いが伝わったのか、受付の人が一緒に来てくれた。
どこが故障しているか、色々みてくれたが、動かない。
仕方なくランドリーをドン、ドンと叩いたのである。
すると見事に動き出しました。
洋の東西を問わず、原始的なやり方が一番かも?
お互い笑ってしまいました。

同行者はもう仮眠をとっていました。
洗濯を終えると、私も少し仮眠をとりました。

12時ごろ街散策に出かける。
今回は①として、ペスト側を紹介。






聖イシュトヴァーン大聖堂(ブダペスト最大の聖堂)
ファサードには12使徒の彫像が彫り込まれている。
(写真を拡大してみてください)


正面入口を見上げると、初代ハンガリー国王、イシュトヴァーンの胸像








ルーズヴェルト広場


くさり橋近くのレストランで寿司と天ぷらを食べる。
久しぶりのお寿司は美味しかったが、値段は少々高め

トイレには漢字で「手洗い」

次は世界遺産の国会議事堂をめざす。



民族博物館

国会議事堂

議事堂内は見学できるが、日本語ツアーはなかった。
外国語はわからないが、それでも英語ツアーを希望した。
でもタイミングが合わず、ロシア語ツアーに参加した。
案の定、全くわからなかった。
ガイドの説明に、ツアー客は笑ったりして反応していたが、
私にはわからない!つらい!かなしい!
勉強についていけない子どもの気持ちがよくわかった。

絵画、彫像、タペストリーで装飾された豪華絢爛を写真でどうぞ!





議事堂内から見えた民族博物館

今回はここまで
次回は②ブダ側を紹介します。

ではまた



イタリア・中欧・カタールの旅(2014年3月12日 ベオグラード)

2021-04-20 09:22:02 | 2014年イタリア・中欧・カタールの旅
こんにちは、sibasennです。

(しばらくご無沙汰していました。
 写真を保存してあるパソコンが不具合を起こし、修理に出していました。)

2014年3月12日 ベオグラード

今朝は6時半に目覚ましをかける。

お昼頃にブダペスト(ハンガリー)行きの電車があるとのことで、
それまでにベオグラードの街散策をしたかったからである。
駅に行って確かめてみると、
なんと早朝6時台と夜9時45分発しかないとのこと。


9時前に、官公庁が多く立ち並ぶクネズ・ミロシュ通りを歩く。

いきなり壊れかけた建物が目に飛び込んできた。

1999年にNATOが行った空爆を受けた建物がそのままの形で残っていた。
内戦の悲惨な記憶を無言で語る「NATO空爆ビル」

昇天教会


天気はいいが、それだけに寒い。
すっかり冷え込んだからだを温めようとホテルに戻りコートを着込む。
このままだと風邪をひきかねないので、あったかい飲み物を探して街歩き。

10時半ごろ、石畳の遊歩道クネズ・ミハイロ通り沿いにある、チョコカフェに入る。
チョコフォンデュとホワイトコーヒーシェイクを頼む。
とっても美味しかったし、何よりもからだが温まった。
1時間半ほどゆっくり過ごす。
だって夜の電車まで、時間は十分にあるのだ。

12時ごろ、カレメグダン公園に行く。

紀元前からつくられた要塞である。

セルビアの軍事の歴史にまつわる品々を展示している軍事博物館


多くの模型化された戦車や大砲が並んでいた。




癒してくれる木々も、、、


カレメグダン公園は、
首都ベオグラードを流れるサバ川とドナウ川に挟まれた自然に溢れた公園

写真左側はサバ川、右側はドナウ川

サバ川

ドナウ川








2時前、ランチを探しにスカダルリヤ通りを歩く。
20世紀前半に舞台俳優や詩人・画家・作家などのアーティストが集まった通りで、
今でもボヘミアン文化が色濃く残る通りである。
400mほどの石畳の坂道には老舗レストランや、モダンなカフェが並び、
ベオグラード観光名所の一つとなっている。
そのうちのひとつ、「地球の歩き方」にも紹介されているレストランに入る。

盛り付け方が綺麗で食欲をそそる。
とても美味しかったし、お腹も満足した。

その後、国立博物館へ。
館内では、音楽イベント(クラシックギターコンテスト)が行われていた。
無料だったので、椅子に座ってしばし鑑賞する。
なかなか優雅なひとときであった。

続いて、またまたクネズ・ミハイロ通りを歩き、
お土産(布織)を買ったり、下着を購入。

まだまだ時間はたっぷりある。

少し寒くなってきたので、カフェに入る。
チョコパフェは甘くて美味しかった。
ここで1時間半ほど過ごす。

7時前にホテルに戻り、荷物を受け取る。
それでもまだ時間はあるので、ホテルの廊下で30分ほど時間をつぶす。

ベオグラード本駅には9時過ぎに着いた。
ハンガリー・ブダペスト行きの電車に乗る。
6人乗りの個室になっていたが、若い女性が乗り込んできた。
彼女はスペイン旅行に出かけるようで、
ブダペストから飛行機に乗ると言う。
混んではいなかったが、個室は埋まっていて、
どうやらわれわれ二人連れに安心感を抱いたようである。

始めは色々談笑していたが、電車の心地いい揺れと疲れで
そのうち眠りについた。

今回はここまで

ではまた