sibasenn気ままな旅日記&日常のつぶやき

東海道53次ウォークや気ままなバックパッカーの旅日記を写真もまじえて報告&日常のつぶやき

東海道53次第7弾(白須賀〜舞坂 19年12月24日、25日)

2021-02-11 20:40:53 | 東海道旅日記
こんにちは、sibasennです。

19年12月24日

ホテルの部屋からの一枚
浜名湖が見渡せる。

ホテルを9時半ごろ出て、タクシーで昨日の地点まで戻る。

10時過ぎ、昨夜車を乗せてもらった人の実家あたりから2日目がスタート。




写真はないが、白須賀宿内のポイントを紹介。
曲尺手は、直角に曲げられた道のことで、軍事的な役割を持つほか、
大名行列同士が、道中かち合わないようにする役割も持っていた。

11時20分ごろ潮見坂公園

ちょっと見にくいけど、遠州灘が見える。
ここは、街道一の景勝地で、江戸に向かう道程では、
初めて太平洋の大海原や富士山が見ることが出来る場所であり、
古くから旅人の詩情をくすぐった地である。
今でもその眺望は変わらず、訪れる人を楽しませてくれる。

潮見坂の手前にある、おんやど白須賀でひと休み。
ここは歴史文化や、旅人の交流休憩施設。

そして12時ごろ潮見坂

距離は短いが、結構急な坂である。
我々には下り坂であったが、後ろから押されている感が強く、
つんのめりそうになったくらいで、足がガクガクした。
江戸から京に向かう旅人には、
本当にきつい上り坂であろう。

坂を下ると、平坦なまっすぐの道が続く。
この手前あたりに白須賀一里塚があったらしいが、発見できず。

松並木
旅人の疲れを癒してくれる。

棒鼻跡
ここは新居宿の西境で、一度に大勢の人が通行できないように
土塁が突き出て枡形をなしていた。 
棒鼻とは、駕篭の棒先の意味があるが、
大名行列が宿場へ入るとき、この場所で先頭(棒先)を整えたので、
棒鼻と呼ぶようになったともいわれている。

そばにたい焼き屋さんがあったので、買って食べた。

新居一里塚

新居宿を通り抜けていくと、2時ごろ新居関所跡に到着。
箱根関所と並んで重要な関所だった新居関所は、
「入り鉄砲と出女」を厳しく取り締まった。
近世の関所の建物としては現存する唯一のものとして、
国の特別史跡に指定されている。

ガイドの人に1時間ほどかけてゆっくり案内してもらう。

東海道線と並行しながらアスファルトの道を歩く。
疲れも空腹もピークに達し、4時前にコンビニでイートイン。


浜名湖を渡る。
冬至のころで、昼間の時間が一番短いので、
4時半過ぎに夕陽が沈みかけ出した。

弁天島

5時を過ぎると、あたりはもう暗い。
私のiPadでは写真を撮ることができない。
今日の東海道ウォークもそろそろ終わりにしたいが、
なんとかJR舞坂駅までは行きたい。
焦りながらも先を急ぐ。
写真はないが、いくつかポイントを紹介。

北雁木;大名や幕府公用役人が利用した船着場
舞坂宿脇本陣跡(茗荷屋)、舞坂一里塚、東海道舞坂宿長池松並木など、
私の目で確認したもの。

今日の東海道ウォークはここまで、約20キロ、2万7千歩でした。

さて今夜のホテルを予約するため、Wi-Fiが拾えるコンビニに入る。
浜松駅近くで、大浴場のあるホテルがとれた。
7時半ごろ舞坂駅から浜松駅に向かう。
夕食は近くの居酒屋で、お酒と浜松の美味しい肴をいただく。
大浴場でゆっくり足をのばして浸かり、疲れをとる。

19年12月25日

今日は夕方までには大阪に戻らなければならない。
そのために、お昼過ぎには浜松駅に戻りたい。
いつものように9時過ぎにホテルをチェックアウトし、
舞坂駅まで戻る。

ここから第7弾3日目がスタートする。

東海道舞坂宿松並木

国道1号線ではないが、並行して走っているので車は結構走る。
そんな真っ直ぐな道を歩く。
割とあたたかくて気持ちがいい。

篠原一里塚


また写真はないが、間の宿篠原跡は確認できた。
もう少し進むと、JR高塚駅がある。

時間は11時をまわっている。
できれば浜松の宿まで歩きたいのだが、
そうすると夕方までに大阪には帰れない。
潔くあきらめることにした。

今回の東海道53次はここまでとしよう。

今日は、6キロ、8千歩の旅でした。

JR高塚駅から浜松駅まで行き、
青春18切符を使って大阪に帰ることにした。
予定していた時間よりは早く浜松駅を出た。
ただ名古屋あたりで、何やら列車トラブルが起こったようで、
名古屋駅で途中下車して、3時ごろ遅めの昼食をとる。
イタリアンの店でクリスマスを祝う。

結局大阪駅には7時半ごろ着き、8時過ぎに自宅に戻る。

今回はここまで

ではまた






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