明治二年(1869)五月。新政府軍は、江差、松前・木古内、二股の三方から軍を有川付近に集結させ、箱館制圧の体制を整えていた。
旧幕府軍は十日。最終決戦を前に、武蔵野楼にて最後の酒宴を催す。
「どこまで浮かれた奴らだ。だが、これも最期の酒宴なれば致し方あるまい」。
土方歳三は苦々しい思いで顔を出すが、直ぐさま退席し、五稜郭へと取って返し、新撰組の輪の中に身を置くのだった。
「皆、良くここ迄付いて来てくれた。泣いても笑っても次の戦が最後になるであろう。今宵は呑んでくれ。だが、いつ敵の襲撃があるやも知れぬ。酔うては成らぬぞ」。
そう言うとぐいと自ら冷や酒を煽り、市村鉄之助を呼びつけた。
「市村、お前にはこれから大切な仕事をしてもらいたい」。
市村の表情が引き締まる。
土方は、己の写真と手紙、そして髪、路銀を市村に差し出し、伯父でもあり、新撰組の後援者でもある日野の佐藤彦五郎に届けるように命ずる。
「今すぐにここを出ろ。行き先は、日野宿本陣だ。直ぐに解る」。
だが、市村は受け取ろうとはせずに、
「嫌でございます。わたしは土方さんと共に戦います」。
頑として聞き入れない。土方は仕方なしに刀の柄に手を掛けると、かちりと音をたて、
「これは命令である。聞けぬとあらば斬る」。
市村は涙ながらに五稜郭を脱出。その後ろ姿を、相馬主計は目にしながら、
「無事に蝦夷を離れられるでしょうか」。
「ああ。だがそれを祈るしかあるまい」。
土方も戦からは逃がしたものの、敵の中をかい潜っての脱出は賭けでもあることを承知していた。
だが、髪迄も届けさせたということは死を覚悟してのことにほかならない。
(やはり土方さんは死ぬ気なのだ)。
そんな相馬の心中を察したかのように土方は、
「あれが遺品にならねえようにしないとな」。
そう笑うのだった。
五月十一日、新政府軍は海陸両方から箱館総攻撃を開始する。
旧幕府海軍の蟠竜丸が新政府軍の朝陽丸を撃沈し、ひと時、士気は高まったが、やがて砲弾を打ちつくした蟠竜丸は座礁の上、乗組員は上陸して弁天台場に合流。
一方陸では、陸軍奉行の大鳥圭介が、五稜郭北方の進入路にあたる亀田新道や桔梗野などに伝習歩兵隊、遊撃隊、陸軍隊などを配置したが。暮れの五つ時には五稜郭に撤退。
松岡四郎次郎率いる一聯隊も四稜郭を守り切れずに五稜郭へ敗走。
そんな最中、陸軍参謀・黒田清隆率いる新政府軍が山背泊から上陸し、よもやと思われた弁天台場の背後を、また一方では寒川村付近に上陸し、絶壁をよじ登って箱館山の山頂に到達したのである。山頂からと大浜沖からの新政府軍の攻撃に旧幕府軍は後退を余儀なくされる。
「箱館山、弁天台場に敵が現れました」。
この知らせに、箱館奉行・永井尚志は弁天台場に、瀧川充太郎が新選組、伝習士官隊を率いて箱館山へ兵を集中させた。
相馬主計は大浜沖へ、大野右仲は弁天台場へとそれぞれ出陣する。
弁天台場が孤立することを案じた土方歳三は新撰組の安富才輔、沢忠助、立川主税、そして額兵隊、伝習隊、見国隊、神木隊を率いて出陣する。
「土方さん、どちらへ行かれます」。
声の主は大野右仲である。
「弁天台場に向かう。お前も来い」。
六つ半過ぎに、千代ヶ岡陣屋で援軍要請に五稜郭に向かう大野と合流し一本木関門へ向かったのだった。
一本木関門に差し掛かると、箱館山、弁天台場からの敗走兵が一応に五稜郭を目指しているのに出くわすのだった。
「待て、我らはこれより弁天台場に向かう。お前たちも持ち場に戻れ」。
土方が怒声を上げても敗走する兵は止まない。苦々しい思いで唇を噛み締め、大野に隊を率いて、弁天台場へ行くよう指示をすると、自らは「俺はここで敗走兵を食い止めてから向かう」と、一本木関門に残るのだった。
「これじゃあ拉致が開かねえ」。
土方はひとまず、回天から脱出した海軍奉行・荒井郁之助らの救援に向かうと、彼らの退路を確保し、一本木関門に戻る。
先頭を駆ける土方が一本木関門に辿り着いた時、一発の銃弾が腹部を貫いた。それは、側に居た安富、沢、立川、伝習隊の大嶋寅雄でさえ、土方が落馬するまで気が付かない一瞬の出来事であった。
弁天台場では圧倒的不利な戦況下、それでも新選組、伝習士官隊勇士の姿があった。
「大野、だが敗走は止まらぬようだな」。
「おかしいですね。土方さんが一本木関門で敗走を止めている筈なのですが」。
降る様な銃弾の中、弁天台場に合流した相馬は、「何かおかしい。土方さんを見て参る」と、今さっき通った道を引き返し、一本木関門に着くが、土方の姿は無い。
更に千代ヶ岡陣屋に引き返したところ、新撰組隊士の安富から土方の戦死を知らされるのだった。
「まさか…」。
相馬の脳裏には走馬灯のように過ぎし日の土方に姿が浮かんでいた。
どれくらい経っただろう。時が止まってしまったかのように長い沈黙の後、相馬はようやく土方の死の様子を尋ねることができた。
「敗走兵を留めるため、馬上にて一本木関門に立ち塞がっておられましたが、敵に腹部を撃たれ…即死でした」。
安富の声は嗚咽に混じり聞き取りづらい。
「それで御遺骸は何処に。敵の手に渡ってはおらぬだろうな」。
無言の対面であった。
「土方さん。死なない為に戦うとおっしゃっていられたではないですか」。
相馬は一筋に涙を袖で拭うと、伝習隊の大島寅雄に、土方の遺骸を五稜郭に運んで欲しいと告げ、急ぎ弁天台場に踵を返すのだった。
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旧幕府軍は十日。最終決戦を前に、武蔵野楼にて最後の酒宴を催す。
「どこまで浮かれた奴らだ。だが、これも最期の酒宴なれば致し方あるまい」。
土方歳三は苦々しい思いで顔を出すが、直ぐさま退席し、五稜郭へと取って返し、新撰組の輪の中に身を置くのだった。
「皆、良くここ迄付いて来てくれた。泣いても笑っても次の戦が最後になるであろう。今宵は呑んでくれ。だが、いつ敵の襲撃があるやも知れぬ。酔うては成らぬぞ」。
そう言うとぐいと自ら冷や酒を煽り、市村鉄之助を呼びつけた。
「市村、お前にはこれから大切な仕事をしてもらいたい」。
市村の表情が引き締まる。
土方は、己の写真と手紙、そして髪、路銀を市村に差し出し、伯父でもあり、新撰組の後援者でもある日野の佐藤彦五郎に届けるように命ずる。
「今すぐにここを出ろ。行き先は、日野宿本陣だ。直ぐに解る」。
だが、市村は受け取ろうとはせずに、
「嫌でございます。わたしは土方さんと共に戦います」。
頑として聞き入れない。土方は仕方なしに刀の柄に手を掛けると、かちりと音をたて、
「これは命令である。聞けぬとあらば斬る」。
市村は涙ながらに五稜郭を脱出。その後ろ姿を、相馬主計は目にしながら、
「無事に蝦夷を離れられるでしょうか」。
「ああ。だがそれを祈るしかあるまい」。
土方も戦からは逃がしたものの、敵の中をかい潜っての脱出は賭けでもあることを承知していた。
だが、髪迄も届けさせたということは死を覚悟してのことにほかならない。
(やはり土方さんは死ぬ気なのだ)。
そんな相馬の心中を察したかのように土方は、
「あれが遺品にならねえようにしないとな」。
そう笑うのだった。
五月十一日、新政府軍は海陸両方から箱館総攻撃を開始する。
旧幕府海軍の蟠竜丸が新政府軍の朝陽丸を撃沈し、ひと時、士気は高まったが、やがて砲弾を打ちつくした蟠竜丸は座礁の上、乗組員は上陸して弁天台場に合流。
一方陸では、陸軍奉行の大鳥圭介が、五稜郭北方の進入路にあたる亀田新道や桔梗野などに伝習歩兵隊、遊撃隊、陸軍隊などを配置したが。暮れの五つ時には五稜郭に撤退。
松岡四郎次郎率いる一聯隊も四稜郭を守り切れずに五稜郭へ敗走。
そんな最中、陸軍参謀・黒田清隆率いる新政府軍が山背泊から上陸し、よもやと思われた弁天台場の背後を、また一方では寒川村付近に上陸し、絶壁をよじ登って箱館山の山頂に到達したのである。山頂からと大浜沖からの新政府軍の攻撃に旧幕府軍は後退を余儀なくされる。
「箱館山、弁天台場に敵が現れました」。
この知らせに、箱館奉行・永井尚志は弁天台場に、瀧川充太郎が新選組、伝習士官隊を率いて箱館山へ兵を集中させた。
相馬主計は大浜沖へ、大野右仲は弁天台場へとそれぞれ出陣する。
弁天台場が孤立することを案じた土方歳三は新撰組の安富才輔、沢忠助、立川主税、そして額兵隊、伝習隊、見国隊、神木隊を率いて出陣する。
「土方さん、どちらへ行かれます」。
声の主は大野右仲である。
「弁天台場に向かう。お前も来い」。
六つ半過ぎに、千代ヶ岡陣屋で援軍要請に五稜郭に向かう大野と合流し一本木関門へ向かったのだった。
一本木関門に差し掛かると、箱館山、弁天台場からの敗走兵が一応に五稜郭を目指しているのに出くわすのだった。
「待て、我らはこれより弁天台場に向かう。お前たちも持ち場に戻れ」。
土方が怒声を上げても敗走する兵は止まない。苦々しい思いで唇を噛み締め、大野に隊を率いて、弁天台場へ行くよう指示をすると、自らは「俺はここで敗走兵を食い止めてから向かう」と、一本木関門に残るのだった。
「これじゃあ拉致が開かねえ」。
土方はひとまず、回天から脱出した海軍奉行・荒井郁之助らの救援に向かうと、彼らの退路を確保し、一本木関門に戻る。
先頭を駆ける土方が一本木関門に辿り着いた時、一発の銃弾が腹部を貫いた。それは、側に居た安富、沢、立川、伝習隊の大嶋寅雄でさえ、土方が落馬するまで気が付かない一瞬の出来事であった。
弁天台場では圧倒的不利な戦況下、それでも新選組、伝習士官隊勇士の姿があった。
「大野、だが敗走は止まらぬようだな」。
「おかしいですね。土方さんが一本木関門で敗走を止めている筈なのですが」。
降る様な銃弾の中、弁天台場に合流した相馬は、「何かおかしい。土方さんを見て参る」と、今さっき通った道を引き返し、一本木関門に着くが、土方の姿は無い。
更に千代ヶ岡陣屋に引き返したところ、新撰組隊士の安富から土方の戦死を知らされるのだった。
「まさか…」。
相馬の脳裏には走馬灯のように過ぎし日の土方に姿が浮かんでいた。
どれくらい経っただろう。時が止まってしまったかのように長い沈黙の後、相馬はようやく土方の死の様子を尋ねることができた。
「敗走兵を留めるため、馬上にて一本木関門に立ち塞がっておられましたが、敵に腹部を撃たれ…即死でした」。
安富の声は嗚咽に混じり聞き取りづらい。
「それで御遺骸は何処に。敵の手に渡ってはおらぬだろうな」。
無言の対面であった。
「土方さん。死なない為に戦うとおっしゃっていられたではないですか」。
相馬は一筋に涙を袖で拭うと、伝習隊の大島寅雄に、土方の遺骸を五稜郭に運んで欲しいと告げ、急ぎ弁天台場に踵を返すのだった。
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