琴美は畳の上で目を覚ました。視界には琴美を覗き込む、沖田と為三郎、勇之助の顔がある。「そうだ、気を失ったんだ」とぼやけた頭を整理していると、「良かった。気がついた」と沖田の声が聞こえた。
「お琴さん、真っ青になって倒れたので心配しましたよ。でも、あんなもの見せられたら誰だって倒れますよね。少し休んでいてください。そうそう、お琴さんをここまで運んだのは土方さんですよ」。
「どうして土方が…」。
三浦の暴挙の話を聞き、事態収拾の為に土方歳三と井上が駆け付けたが、そこに倒れている琴美を見て、土方は奥に運んだのだということだった。
「ちゃんとお礼を言わなくちゃ駄目ですよ」。
沖田が、「壬生村まで送る」と言うので、琴美は取り敢えず、土方の私室へお礼を言うために訪ねた。土方は、「そうか」と立ち上がり、「ならば俺が送ろう」と土方と帰ることになった。
子どもたちはやはり先ほどの恐怖で顔が引きつり、左右から琴美の両方の手を汗ばむくらいに握って離さない。歩きづらそうなのを見かねて、小さい勇之助を土方が抱き上げた。
「早く忘れろ」。
短く、土方はそれだけ言うと後は黙っている。
「あの三浦という隊士はどうなるのですか」。
琴美は尋ねた。
「どうにもならないんじゃないか」。
「どうにもならないって、切腹じゃないのですか」。
「また、命乞いか」。
「いいえ。今度ばかりはしません。あれは単なる人殺しです。死をもって償うべきではないでしょうか」。
琴美の口から初めて切腹を勧める言葉耳にした土方。意外そうな顔をした。
「だけどな」。
「佐久間象山の息子だから。勝海舟の甥だからですか。だったら、今まで死んで逝った人が浮かばれないじゃないですか。身分があってもなくても人の命は同じものです。土方さんはそんな肩書きに迷わされるようなお人だとは思いませんでした。信念を持っている方だと思っていました」。
自分でも良く分からないのだが、これではあれほど嫌っていた、寿命ではない死を奨励しているようなものだ。しかし、何の罪もない、殺された女が目に浮かんで離れないのだ。
「そうだな」。
土方の短い返事に琴美はたじろいた。いつもなら、「うるさい。隊のことに口出しするな」くらいは返ってくる。それどころか、気絶したと知ったら、「口の割には大したことないな」と言われると思っていた。
八木家の前に着くと土方は、
「たまには(西本願寺)顔を出せよ」。
それだけ言い土方は戻って行った。
三浦啓之助はその後、「沖田に暗殺されるのでは」と疑念を抱き仲間と脱走する。郷里の松本藩に帰るが、傍若無人の振る舞いを筒しくことなく、捕えられ入牢していたが、明治三年(1870)、西郷隆盛の口利きによって出獄し、家名再興が許された。その後、勝海舟の推薦で司法省四級判事裁判官に就職するも勝も持て余し、最期は明治十年(1877)二月二十六日、鰻の蒲焼きの中毒で死亡する。
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「どうして土方が…」。
三浦の暴挙の話を聞き、事態収拾の為に土方歳三と井上が駆け付けたが、そこに倒れている琴美を見て、土方は奥に運んだのだということだった。
「ちゃんとお礼を言わなくちゃ駄目ですよ」。
沖田が、「壬生村まで送る」と言うので、琴美は取り敢えず、土方の私室へお礼を言うために訪ねた。土方は、「そうか」と立ち上がり、「ならば俺が送ろう」と土方と帰ることになった。
子どもたちはやはり先ほどの恐怖で顔が引きつり、左右から琴美の両方の手を汗ばむくらいに握って離さない。歩きづらそうなのを見かねて、小さい勇之助を土方が抱き上げた。
「早く忘れろ」。
短く、土方はそれだけ言うと後は黙っている。
「あの三浦という隊士はどうなるのですか」。
琴美は尋ねた。
「どうにもならないんじゃないか」。
「どうにもならないって、切腹じゃないのですか」。
「また、命乞いか」。
「いいえ。今度ばかりはしません。あれは単なる人殺しです。死をもって償うべきではないでしょうか」。
琴美の口から初めて切腹を勧める言葉耳にした土方。意外そうな顔をした。
「だけどな」。
「佐久間象山の息子だから。勝海舟の甥だからですか。だったら、今まで死んで逝った人が浮かばれないじゃないですか。身分があってもなくても人の命は同じものです。土方さんはそんな肩書きに迷わされるようなお人だとは思いませんでした。信念を持っている方だと思っていました」。
自分でも良く分からないのだが、これではあれほど嫌っていた、寿命ではない死を奨励しているようなものだ。しかし、何の罪もない、殺された女が目に浮かんで離れないのだ。
「そうだな」。
土方の短い返事に琴美はたじろいた。いつもなら、「うるさい。隊のことに口出しするな」くらいは返ってくる。それどころか、気絶したと知ったら、「口の割には大したことないな」と言われると思っていた。
八木家の前に着くと土方は、
「たまには(西本願寺)顔を出せよ」。
それだけ言い土方は戻って行った。
三浦啓之助はその後、「沖田に暗殺されるのでは」と疑念を抱き仲間と脱走する。郷里の松本藩に帰るが、傍若無人の振る舞いを筒しくことなく、捕えられ入牢していたが、明治三年(1870)、西郷隆盛の口利きによって出獄し、家名再興が許された。その後、勝海舟の推薦で司法省四級判事裁判官に就職するも勝も持て余し、最期は明治十年(1877)二月二十六日、鰻の蒲焼きの中毒で死亡する。
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