夏目漱石の「行人」に登場する兄さんの言葉に耳を傾けてみる。
彼は言う
「自分のしていることが、自分の目的(エンド)になっていない程苦しいことはない」と。
歩くと、ただ歩いていられないから走る(かける)。と漱石は書く。
走って生きていくだけであれば、実は簡単なことなのかもしれない。どこかで、急に止められ、そこから這い上がっていく時、人間は痛みを感じ、何かに踏みとどまろうとする。(今のタイガー・ウッズや鳩山さんのように)しかしゲルハルト・リヒターは言う。
「なにかができるということは、なにかをする理由にはならない」と。
人は自身に発した問いに答えを出していく以外しか道は無いのだと言っているようにも聞こえる。
ゴルフをする理由をウッズは答えなければならないのである。なぜなら彼はできるのだから。
「人間の不安は科学の発展からくる。進んで止まることを知らない科学はかつて我々に止まることを許してくれたことがない。徒歩から人力車、人力車から馬車、馬車から汽車、汽車か自動車、それから航空船、それから飛行機と、何処まで行っても休ませてくれない。何処までつれていかれるかわからない。実に恐ろしい。」
この言葉に友は言う。
「そりゃ恐ろしい」と。
でも兄さんは言う。
「君の恐ろしいというのは、恐ろしいという言葉を使っても差し支えないという意味であろう。実際恐ろしいんじゃないだろう。つまり、頭の恐ろしさに過ぎないんだろう。僕は違う。僕のは心臓の恐ろしさだ。脈を打つ活きた恐ろしさだ。」
確かに我々はあらゆる恐怖を情報として認識することができる。でもそれは、生きることを担保にした考えに過ぎない。ほんとうの恐ろしさは、生きることを現実において否定する不気味な力なのです。
夏目漱石の恐怖は、生きることを当たり前の状況においている限り見えてこないものである。
「自身に誠実でないものは、決して他人に誠実でありえない。」
そして最後にこう言う。
「孤独なるものよ、汝はわが住居なり」
我々は便利な誠実さに甘んじているのではないでしょうか?
孤独とは誠実さだけでは生きていくことのできない苦しみの状態であって、他人というものを介在させ、紛らわせてそれでよしとするものではないと思います。
問いは、停滞ではなく次の展開へと導く壁なのである。
彼は言う
「自分のしていることが、自分の目的(エンド)になっていない程苦しいことはない」と。
歩くと、ただ歩いていられないから走る(かける)。と漱石は書く。
走って生きていくだけであれば、実は簡単なことなのかもしれない。どこかで、急に止められ、そこから這い上がっていく時、人間は痛みを感じ、何かに踏みとどまろうとする。(今のタイガー・ウッズや鳩山さんのように)しかしゲルハルト・リヒターは言う。
「なにかができるということは、なにかをする理由にはならない」と。
人は自身に発した問いに答えを出していく以外しか道は無いのだと言っているようにも聞こえる。
ゴルフをする理由をウッズは答えなければならないのである。なぜなら彼はできるのだから。
「人間の不安は科学の発展からくる。進んで止まることを知らない科学はかつて我々に止まることを許してくれたことがない。徒歩から人力車、人力車から馬車、馬車から汽車、汽車か自動車、それから航空船、それから飛行機と、何処まで行っても休ませてくれない。何処までつれていかれるかわからない。実に恐ろしい。」
この言葉に友は言う。
「そりゃ恐ろしい」と。
でも兄さんは言う。
「君の恐ろしいというのは、恐ろしいという言葉を使っても差し支えないという意味であろう。実際恐ろしいんじゃないだろう。つまり、頭の恐ろしさに過ぎないんだろう。僕は違う。僕のは心臓の恐ろしさだ。脈を打つ活きた恐ろしさだ。」
確かに我々はあらゆる恐怖を情報として認識することができる。でもそれは、生きることを担保にした考えに過ぎない。ほんとうの恐ろしさは、生きることを現実において否定する不気味な力なのです。
夏目漱石の恐怖は、生きることを当たり前の状況においている限り見えてこないものである。
「自身に誠実でないものは、決して他人に誠実でありえない。」
そして最後にこう言う。
「孤独なるものよ、汝はわが住居なり」
我々は便利な誠実さに甘んじているのではないでしょうか?
孤独とは誠実さだけでは生きていくことのできない苦しみの状態であって、他人というものを介在させ、紛らわせてそれでよしとするものではないと思います。
問いは、停滞ではなく次の展開へと導く壁なのである。
今日、彼女は渉一といっしょに実家に帰りました。残された一人の空間を、酒と音楽を通して考えてみたいと思います。酔うとペンが先に進むのはお許し願いたい。
すべての芸術は音楽へと還元していくようです。なぜなら、音は根本において抽象的なのだから。シェリングも言っている。
「建築は凍れる音楽である」と。
マイルス・デイビスのアルバム「ワーキン」のIT NEVER ENTERED MY MINDが流れる空間でワインを飲んでいる。
オートマティズムというシュールレアリスム芸術の一つの方法がある。無意識の状態に現れる自動的な形態の美を追求していく方法である。
酔いがまわってくると、音楽は抽象的な存在から空間へと存在を身体に向かってあらわにしていく。僕は音楽の知識はゼロに等しいが、メタモルフォーゼされた音の形態は感じることができる。
アルバムのライナーノーツではこの曲を次のように批評している。
「デリカシー。これぞ卵の殻の上を歩くプレイと形容されたマイルスのバラードの極致」
彼のミュートは止まりながら前へ進む哲学的な音楽だ。黒人が疎外された生活の中でつくりあげた祈りの空間がジャズだったのではないか?
彼らは音を繊細に作り上げていくのと並行して、身に纏う衣装も洗練していった。マイルスのぎりぎりまで絞ったミニマルなスーツスタイルとまっすぐにのびるネクタイは、彼を自身が形成するジャズという空間へいざなう表皮なのである。だから彼は、自身のなかで閉じている。
我々はノックしてはいけない。自身を落ち着かせ、その門の前で待たなければならない。マイルスは聞かせるのではない。聞かなければならないのである。
すべての芸術は音楽へと還元していくようです。なぜなら、音は根本において抽象的なのだから。シェリングも言っている。
「建築は凍れる音楽である」と。
マイルス・デイビスのアルバム「ワーキン」のIT NEVER ENTERED MY MINDが流れる空間でワインを飲んでいる。
オートマティズムというシュールレアリスム芸術の一つの方法がある。無意識の状態に現れる自動的な形態の美を追求していく方法である。
酔いがまわってくると、音楽は抽象的な存在から空間へと存在を身体に向かってあらわにしていく。僕は音楽の知識はゼロに等しいが、メタモルフォーゼされた音の形態は感じることができる。
アルバムのライナーノーツではこの曲を次のように批評している。
「デリカシー。これぞ卵の殻の上を歩くプレイと形容されたマイルスのバラードの極致」
彼のミュートは止まりながら前へ進む哲学的な音楽だ。黒人が疎外された生活の中でつくりあげた祈りの空間がジャズだったのではないか?
彼らは音を繊細に作り上げていくのと並行して、身に纏う衣装も洗練していった。マイルスのぎりぎりまで絞ったミニマルなスーツスタイルとまっすぐにのびるネクタイは、彼を自身が形成するジャズという空間へいざなう表皮なのである。だから彼は、自身のなかで閉じている。
我々はノックしてはいけない。自身を落ち着かせ、その門の前で待たなければならない。マイルスは聞かせるのではない。聞かなければならないのである。
西区は子育て支援施設が多く、充実している。
お祭りともなると子供がいっぱいで、少子化がウソのようだ。
そしてこの一年かなりお世話になった。
里帰り出産から帰ってきたときは、子育てしている友達もいなければ、周りに知り合いもおらず、全く知らない町にきたかのように不安になったものだ。
しかし近くに児童館があったこともきっかけでだんだん外にでるように。
そこで開催している講座にもほとんど出席していたおかげか、だんだん覚えてもらえるようになった。
家族以外の人に‘渉くん渉くん’と呼ばれることに感動を覚えたころだ。
いろんな場所に顔をだすことで、ママ友達ともたくさん出会い、今ではとても仲良くしてもらっている。
そしてまたご近所さん。
買い物にでかけると、まず警備のおじちゃんが渉くんをあやし、焼き芋屋さんのお兄さんと挨拶し、市場にいけば、さすが大阪だれか声をかけをかけてくれる。
鳥やさんのおばちゃんは渉一スマイルで値引き、花屋のおっちゃんは‘かあちゃんと同じくらいの顔のおおきさあるで~’とにっこり。
知らなかった町も一年過ごせばいろいろな出会いがある。
挨拶だけでも言葉を交わせる人がいるだけで気分がかわる。
家族はもちろん、友達、地域の人たちのあたたかい支援があってここまでやってこれた。
子育ては一人ではできない。
これからも笑顔をもって外に出て行きたい。
お祭りともなると子供がいっぱいで、少子化がウソのようだ。
そしてこの一年かなりお世話になった。
里帰り出産から帰ってきたときは、子育てしている友達もいなければ、周りに知り合いもおらず、全く知らない町にきたかのように不安になったものだ。
しかし近くに児童館があったこともきっかけでだんだん外にでるように。
そこで開催している講座にもほとんど出席していたおかげか、だんだん覚えてもらえるようになった。
家族以外の人に‘渉くん渉くん’と呼ばれることに感動を覚えたころだ。
いろんな場所に顔をだすことで、ママ友達ともたくさん出会い、今ではとても仲良くしてもらっている。
そしてまたご近所さん。
買い物にでかけると、まず警備のおじちゃんが渉くんをあやし、焼き芋屋さんのお兄さんと挨拶し、市場にいけば、さすが大阪だれか声をかけをかけてくれる。
鳥やさんのおばちゃんは渉一スマイルで値引き、花屋のおっちゃんは‘かあちゃんと同じくらいの顔のおおきさあるで~’とにっこり。
知らなかった町も一年過ごせばいろいろな出会いがある。
挨拶だけでも言葉を交わせる人がいるだけで気分がかわる。
家族はもちろん、友達、地域の人たちのあたたかい支援があってここまでやってこれた。
子育ては一人ではできない。
これからも笑顔をもって外に出て行きたい。