畑倉山の忘備録

日々気ままに

天皇は「東条にだまされた」と語った(1)

2018年11月17日 | 天皇
1946年1月4日、GHQの政治顧問ジョージ・アチソンはトルーマン大統領に対して「私は天皇が戦犯だったと信じている。しかし官吏と多くの日本人は天皇に服していて、天皇はわれわれの目的達成のために喜んで協力するといっている」と報告した。

アチソンはまた、天皇とマッカーサーの第一回の会議(1945年9月27日)について覚書を残している。それによると、天皇はマッカーサーに対し腰の高さまで頭を下げておじぎをし、握手して腰をおろすや、日本の宣戦布告をアメリカが受けとる前にパール・ハーバーを攻撃したのは天皇の意図ではなく、東条がだましたのだといったという。

頭を腰まで下げるのでは、天皇にとってなれないこととてずいぶんご苦労だったであろう。しかし、この覚書には肝心なことがひとつ抜けているかもしれない。

仄聞するところによると、天皇はこのとき20カラットの最上級のダイヤモンドをマッカーサーに贈呈したという。証拠もないし、ここで真相を明らかにすることはできないが、マッカーサーはフィリピンでは莫大なそでの下を貰ったという報告がある。他人を訪問するさい、手みやげを持参するのは日本人の習慣だから、こんなことがあったとしてもべつにおかしくはあるまい。また、天皇はとくに自分の家族についても語ったという。

ジョン・ガンサーは「天皇は『私が戦争に反対したなら、国民は私を精神病院に入れただろう』といった」と書いている(『マッカーサーの謎』文芸春秋 昭50/10)

このガンサーの表現には若干の真実がある。大正天皇が精神異常だといわれたため、昭和天皇はその遺伝を恐れたであろうし、それが政治的に利用されることも計算したのであろう。

たしかに天皇の意思能力は乏しいとみられたから(あの聖断の遅れ、とまどいがその例)ご本人にも自覚症状があったかもしれない。

しかし、紙きれ一枚で戦争に動員されて、むなしく異郷で死んだ人びとにくらべたら、病人は病院に入ったほうがまだよかったのではないか。とりわけ国家のためにはなったのではないか。天皇のこうした発言は「臆病」といわれた天皇の性格、不法なる既成事実に反対することなく追認しつづけた「性格の弱さ」を前提にしなければ、とうてい理解できない。

(鹿島曻『昭和天皇の謎』新国民社、1994年)