畑倉山の忘備録

日々気ままに

「一死モッテ大罪ヲ謝ス」

2016年08月16日 | 鬼塚英昭

自殺者は介添人の力を借りる。手間どったり、失敗しないためである。怒りに燃えた阿南は竹下の介錯の申し出を拒否した。阿南は、自分の死が天皇一族の安寧に役立つことを知っていた。自分が「悲しみの引き受け人」であることも知っていた。そこにある深淵は高貴さと卑俗の差であった。天皇族は高貴さというレッテルを自らの体いっぱいに張り付けて生きていた。阿南は、自分の惨めさを知った。

阿南はタタミの上でなく、部屋を縁取っているすべり戸の向こうの板敷きのベランダに座り込んだ。普通の切腹はタタミの上だ。罪を犯した人間は藁の敷き物を敷いた地べたの上だ。阿南は意識してタタミの上を避けた。己を罪人とするためであった。何の罪なのだ。高貴さの連中に敗れた自己の良心に対する罪なのだ。自分の部下たちを多数死に至らしめ、自分の息子をも戦死させた者ヘの怒りを込めた罪の意識だ。「一死モッテ大罪ヲ謝ス」とは、多くの若人や民間人たちを死に至らしめた高貴なる者たちヘの怒りの言葉だ。

人手を借りず短剣を咽喉の右側に突き刺した。突然、血のしぶきがほとばしり出た。死の苦しみの中で阿南は身もだえし、血をはき出し、ゆっくりと死んでいった。皇位につらなる者たちは、すベて、静なる時を持てる日がすぐそこにやってきた。

この切腹場面は私の想像と思うものは思えばいい。私は、人間は最後には心に正直になると思っている。そこに、天皇ヘの恋闕の情はなく、自分の妻や子供ヘの恋慕の情であろうと思う。そして叛乱兵に仕立てられた若い将校ヘの申し訳なさヘの情であろうと思う。

私は、十五日早朝、三笠宮と大喧嘩した阿南に想いを馳せた。そして、阿南をすばらしい人物との認識に達した。“天皇タブー”に果敢に挑戦した人物を失わせる日本に失望した。

こんな日本があの時から半世紀以上も続いているのに、そのことを気づきもせず、嘆きもせず生きている日本人よ、私は君たちに警告したい。もうー度、「神聖悲劇」の時代を迎えるかもしれない、と。危機意識を失った民族は大悲劇に遭遇するのだ。

(鬼塚英昭『日本のいちばん醜い日』成甲書房、2007年)