畑倉山の忘備録

日々気ままに

統帥権とは何か

2016年08月14日 | 鬼塚英昭
「陸軍天保銭組」なる言葉があった。大日本帝国がアメリカに敗北するまで、この言葉は一部の軍人たちの間ではよく知られていた。陸軍天保銭組とは陸軍大学校(陸大)卒業者の別称である。陸大卒業生のみが軍服の右胸下に佩(はい)する徽章の形が天保銭(江戸・天保期の百文銭)に似ていることからこの名称が生まれた。(中略)

藤瀬一哉の『昭和陸軍 "阿片謀略" の大罪』(一九九二年)に「天保銭組」について書かれているので引用する。

「天保銭組は中央省部(陸軍省、参謀本部)の要職を独占し、また各級部隊では旅団長、師団長、軍司令官の地位をも彼らが独占してきた。(中略)
天保銭組はエリート意識から功名出世の権力志向が強く、人格、識見、能力において無天組に劣る者が多くいたが、それらの者ほど虚勢をはり、戦略なき愚かな空理空論を掲げた大言壮言に酔い痴れ、驕慢で思考が硬直化し視野狭窄となり天動説的観念に陥っていった。」

この引用文の「虚勢をはり・・・・天動説的観念に陥っていた」を読みつつ、まさに瀬島龍三を見事に描いていると私は思った。日本の敗戦まで軍事極秘とされていた、陸軍大学学生および卒業者のみが読むことを許される『統帥参考』なる軍事教本があった。一九三二年七月、陸軍大学校で学生の統帥教育のために作成されたものである。そのー部を引用する。

統帥権は "陸海軍" と言う特定の国民を対象とし、最高唯一の意志によりて直接に人間の自由を拘束し、かつその最後のものたる生命を要求するのみならず、国家非常の場合においては主権を擁護確立するものなり。これをもって統帥権の本質は力にしてその作用は超法的なり。すなわち、爾他の大権とその本質において大いに趣を異にするものと言わざるべからず。

統帥権とは何かを知るとき、瀬島龍三なる、まことに「虚勢をはり、戦略なき愚かな空理空論を掲げた大言壮言」の男の真実の姿のかなりの部分がみえてくる。敗戦(終戦ではない)前の憲法は「大日本帝国憲法」といわれた。

第一条、大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す。
第三条、天皇は神聖にして侵すべからず。
第四条、天皇は国の元首にして統治権を総覧し此の憲法の条規に依り之を行う。

「統治権を総覧する」天皇は「神聖にして侵すべからざる」ゆえに日本軍隊の唯ーにして絶対なる "統帥権者" であった。従って、天皇の代理人として統帥権を行使する参謀たちは天皇に対してのみ責任を持ち、「最高唯ーの意志によりて直接に人間の自由を拘束し、かつその最後のものたる生命を要求」することができるとした。それゆえ、「統帥権の本質は力にしてその作用は超法的」なるものとなった。やさしく表現するならば以下のこととなろう。

---- 瀬島龍三よ、お前は軍事作戦の参謀となった。日本人を生かすも殺すもお前の自由である。統帥権がお前に強大な権力を授けた。天皇の名を最大限に利用して、大量の兵士ならびに国民を戦場に送りこむがいい。何ら良心の可責に悩むことはない。

瀬島龍三が「思考が硬直化し視野狭窄となり天動説的観念に陥った」のはごくごく必然の成り行きであったといえるのである。

この戦争(大東亜戦争であり、太平洋戦争ではない、と瀬島は主張し続けた)の責任はどこにあるのか、と現代史家の保阪正康は犯人捜しを続けている。そして、その戦争責任の第ーの犯人として瀬島龍三を挙げて声高らかに叫び続けている。この戦争が天皇を最高指導者としてなされたのに、保阪が天皇を追及することは決してない。まことに、日本という国は天皇が唯一絶対の統帥権者であったということを故意に忘れさせようとしている。

鬼塚英昭『瀬島龍三と宅見勝「てんのうはん」の守り人』(成甲書房、2012年)