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章魚庵つれづれ通信

日ぐらし硯に向かひて、遊墨三昧、遊印三昧??

寒さかな

2010年11月03日 | イチロウの画窓から


あんなに暑かった夏が嘘のような近頃でございます

それにしても11月、年賀状も売り出され
せわしないことです。

月日の過ぎる速度のなんと速いことよ
あぁ何をあくせく

毛糸の帽子探さねば……ス~ス~す

葱の美味しい季節になりました。

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我が家の四季

2010年10月05日 | イチロウの画窓から

子供らのために作った童謡……らしい

 

この木かすかな記憶がある…確か?

梅の木だとばかり思っていた……

この池はよ~く覚えている。
やがて我が家でも洗濯機というものが来て
この池は埋められ洗濯機の置き場になった。

爺さんの菊の花の記憶はない
母親も菊を作っていて一回だけ顔よりでかい
菊を作ったのを覚えている。

 

この流しは新しい流しを家の中に作ってからも
ず~とこの場所にあった。
私の時代は植木鉢の置いてある所から
水道管が立ちあがって蛇口がついていた。

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残暑お見舞い

2010年08月13日 | イチロウの画窓から

 

暑中見舞いを作る余裕もなく 残暑見舞いを作り切る力もなく
親父の画文を見つけ出し これで残暑見舞いがと笑いだす

立秋で暑中が終わるさ 立秋で挨拶が変わる
立秋で暑中見舞いが報われる 立秋で残暑見舞いが始まるさ

泉谷さんの春夏秋冬ふうに歌っていただけると……


今回は絵も文も人のふんどしで相撲を取ってみました。
もっとも絵の方はふんどしもしてない
スッポンポンでございますが………

どちらさまも残暑お見舞い申し上げます。

 

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2010年07月13日 | イチロウの画窓から

幼い子供達が夏の日永を縁側に腹ばいになって蟻に
「ハエ」や「トンボ」をやり、それを引いていくのを
気長にながめながらこんな歌を歌って楽しんでいた。
蟻が子供達にとっては身近な友達だったのだ。

不快害虫などと言う言葉が無かったころのお話でした。
猫が可愛い

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捨て猫

2010年06月17日 | イチロウの画窓から

久しぶりに親父さんの俳画を………。

捨て猫の声いつまでや露時雨

空があいているので招き猫を押してみました。
怒られそ…?

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昔の端午の節句

2010年04月30日 | イチロウの画窓から

男の子のある家ではたいてい一本の大幟が家の門口に立っていた。
中には二本も三本も立てる家もあり、町中至る所幟の林。
壮観な眺めだった。学校から帰ると友達を連れだって
幟の絵を見て廻った。幟には歴史上の有名な人々が描かれていた。
義経壇ノ浦の八艘飛び。小野道風の柳に蛙。五条の橋の牛若瓣慶。
那須の与一扇の的。源の頼政ぬえ退治。神武天皇と金色の鵄等々。
家の幟は……

 

北白川能久親王から唐突に文章が始まるっているけど…
この先に何か文章があったのだろうかなぁ?

昔むかし(明治?)の故郷の端午の節句風景
私の生れた家はこの道の左側一番奥の幟あたり。
昭和の時代にはもうこんなにたくさんの幟はなかった……

 

小学唱歌とあるけれど、検索してもこの歌詞の
こいのぼりは出てこないのだ………???
親父の勘違いか~?

太郎のこい……?
岡本太郎の鯉幟は見たことあるけど。 

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どんぐり屋思い出話②

2010年03月12日 | イチロウの画窓から

「コンペイトウ」

コンペイトウはポルトガル語のconfeitoらしい。
ケシ粒(アヘンを作るケシとは違うらしい)に
砂糖蜜を絡めていくと角が出来てくるらしい。
正式(?)には24本らしいがなぜ角ができるのか
いまだによく分かってないらしい。
今はケシ粒ではなくてザラメとかを核にするらしい。
らしいらしいと金平糖はよく解からないらしい。

祖父が金平糖を作る様子が描かれている。いい顔してる。

章魚庵が子供のころ親父は鍋台を立てて丸い穴に棚板を付けて
本棚にしていたのを覚えている。

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どんぐり屋思い出話①

2010年02月15日 | イチロウの画窓から

「どんぐり屋思い出話」

自分が生まれたとき、家はお菓子屋だった。
色々お菓子を製造して町中の小売り屋に卸し手廣く商売をしていた。

「どんぐり屋のおっさん」子供等は父の事をこう呼んだ。どんぐり屋が
お菓子屋の代名詞だった。それだけどのお菓子よりもどんぐりが人気があり
一番売れた。口に入れたら物が言えない程大きいのが三つ一銭だった。また
小さいのは一銭で十五。しかし、子供等の殆どは五厘で七つ買っていった。

 

どんぐりは飴玉とも言うように飴が主な原料で外側を砂糖の炊いた物で
包む。黒砂糖で包めば黒いどんぐりとなり、きざら糖で包むと飴色の
黄色いどんぐりが出来た。また、白砂糖の炊いた物に赤や青の色を付けて
包むと美しい筋入りのどんぐりが出来た。

 

祖父オトキチと親父イチロウ

 

青字はイチロウの「故郷懐古」より

章魚庵が生まれた時は、家はもうお菓子屋ではなくて、物置に残っていた
鼈甲飴の銅の型や「はくせんこう」(落雁?)の木型などで
そ~か我が家はお菓子屋であったのかと思ったものでした。

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「イチロウの画窓」から

2010年02月02日 | イチロウの画窓から

 

「イチロウの画窓から」と言うことで時々イチロウの
画室の中を覗いてみたいと思います。
イチロウは、章魚庵の父です。絵を描いたり文を書いたり

自分の故郷や子供時代の事などを描き遺しています。

親父が子供時代、家は御菓子屋で製造販売をしていたのだそうです。
その店先の絵、明治40年紀元節イチロウ7歳の思い出。

      ●イチロウ 明治34年生~昭和55年没
              中学の美術教師でした。
              なんでも集める収集癖、記録癖がありました。

なお、親父の作品をデータ化してくれたのは④兄でした。(感謝!)

 

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親父の絵

2007年05月25日 | イチロウの画窓から
カレンダーを何気なく見てドキッとした。
いや、別にドキッとする必要も無いのだけど……25日
今日は結婚記念日???…確かそうだ……自信は無いけど…
違ってたらどうしよう?……ど、どうもしない。
確かめる?……や、やぶ蛇になるから確かめない。

で、この絵。うちの父が描いたもの。
結婚式の芳名帳の1ページに描いてある。
結婚式の後、いつのまに描いたものやら。
親父の鉛筆のタッチが今見るとなにやらなつかしい。
この絵について親父が何か言ったのか記憶に無い。
多分何も言ってないと思う。
カミさんには何か言ったかも知れん。
このころは、うちの奥様もかわ……はっはっは
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