まほろば俳句日記

毎日見たこと聞いたこと感じたことを俳句にします。JーPOP論にチャレンジ。その他評論・エッセー、学習ノート。競馬も。

死者にしてとわの若者へ奉げるオマージュ/続夏石番矢を読む(4)

2019-12-10 08:41:24 | エッセー・評論

今日という一日の始まりである。そして、いよいよ60歳代後半に入る。高齢単身者・低年金者であり、いまや人類の存立根拠を突き崩すかのように全世界を席巻するITネットによる【情報寡頭制】の電磁監視対象(被験)者である《自我》との融和(自律)を生涯のモチーフとする日常の一コマがいま再び動き出す。そんな私のごくありふれた生活過程において、日本近代の擬制的言語(表現)様式の一つである【俳句形式】はいかほどの価値を有するのだろうか。その擬制された近代の延長上にあって、もはや現存性のはなはだ薄いハイクなどというものが、この一瞬も何故かある種の威力を奮っている。夏石番矢句集『氷の禁域』(2017)である。実際、私はほぼ毎日この一冊をどこに行くにも持ち歩いている。だからと言って、手垢が付くぽどに読み込んでいるというわけではないが、少なくとも身体の一部のように親しみを感じ始めていることは確かである。例えば、集中に次のような一句が存在している。

古本市の金平糖のような時間にいる     第三章「雨に麻酔」

作者は私とほぼ同世代で、1970年前後に全世界に吹き荒れたカウンター・カルチャーによって《個》としての人間の一大進化に見舞われた。現在、彼の勤務先がある東京神田の古本屋街は、何かの書物を求めるでもなしに繰り返し訪れる異空間であり続けているに違いない。そのレトロな風趣の中に流れる《金平糖のような》時間とは、決して尋常な出来事ではない。金平糖とはどのようなものか、手許の電子端末で検索してみるとよい。それは淡い原色の角ばった実に懐かしさと親しみに満ち溢れていると同時に、もはやこの現実のどこにも見当たらない何ものかである。・・・《続く》