まほろば俳句日記

毎日見たこと聞いたこと感じたことを俳句にします。JーPOP論にチャレンジ。その他評論・エッセー、学習ノート。競馬も。

【俳句の此岸】否定し切れなかった現実世界への回帰/結社の大型新人(5)

2017-02-15 05:48:10 | エッセー・評論

Nさんは60年安保世代であった。かの国会を取り巻いた数十万のデモの隊列に加わっていたという。作秋の結社大会でいきなり私に近付いて来て『いつも(主宰選の)隣にいるからどんな人かと思って・・』『俺は77歳!主宰とは一つ違い』『ブントだから・・吉本隆明だよ』などとはしゃぎまくっていた。(私が)いつも隣にいたというのは、結社誌の主宰選の巻頭と次巻頭を毎号二人で分け合っていたことを意味する。他結社の元同人はこのように特別扱いされる。ただそれだけのことだが、各々の句の内容が他とはまるで違っていた。時代の体験を句(詩)にしていたということだ。だからどうというのではなく、主宰もまた60年安保世代であり、一回り次の世代(70年安保に間に合わなかった)の私ともども、主宰にとって分身のようなものだったのかもしれない。Nさんの【ヘーゲルの苦笑を背に初詣】について少し立ち入ってみたい。ヘーゲルの「精神現象学」は人間の自己意識が展開して、最終的に絶対知の段階へと至る過程を描いた。このように精神的なものに沿って体系的な思想を構築したヘーゲルに対して、マルクスはそこに物質的・現実的な基盤が欠けているとして批判しました。そうして形成されたのがマルクスの唯物論(唯物史観)です。Nさんの所属したブント(共産主義者同盟)は1955年のスターリン批判を契機に、一国主義・二段階革命論の前衛党(日本共産党)にあきたらず、日本国内で全学連(全国学生自治会連合)の奪権闘争に勝利し、主流派となった。10年後の70年安保に比べると党派(セクト)主義はまだ不徹底で、多くの学生が個々人の立場で大らかに加わっていたのだろう。Nさんもまた、大学の卒業・就職によって運動から遠ざかっていった。この句にある『ヘーゲルの苦笑』とはヘーゲル的な精神主義で加わった運動から、マルクスのヘーゲル批判よろしく物質的・現実的世界すなわち就職そしてその後の結婚といった一般庶民の生活過程に避けようもなく入っていったことへの少なからぬ悔恨を表現したものと受け取られる。しかし、Nさんの新人賞受賞作中の白眉と言える【時雨忌やどうやら俺もエグザイル】において表出された、俳句(詩)に何ごとかを託そうとする心情はただそれだけのことでは説明出来ないものがある。・・・《続く》