呆けたる左手野菊を曳き出せり まほろば 【高柳重信選】 1982年作
きょう野菊あすはどの花を咲こうか 折笠美秋
今日も昨日に続いて日差しはありませんが雨は降らず、気温も28度止まりのようです。月曜の34度と28度では体調への影響に大差があります。昨晩遅く、久し振りに本格的に身体を動かしましたが、帰宅後冷房が効き過ぎたのか、この朝も異変が起こっています。食事や投薬に気を付けながら、当面の作業を片付けておきたいと思います。本業は涼しくなってからに廻して、所属結社の時評のアウトラインです。まだ断片しか出来ておらず、これを今日中に確定したいと思います。この論文は前半と後半に分かれ、前半は4枚ほどに収めなければなりません。坪内稔典氏の1970年代の初期3論文(高柳重信編集発行の「俳句研究」誌に掲載)をベースに、80年代以降の【ポストモダン】の加速する中でどう変貌していったかです。結論から言うと、氏の【近代批判】【国家批判】としての子規(国詩)論と【俳句形式】の近代国家と対峙し得る《過渡の詩》としての定立が、果たして【ポストモダン】の全面的な世界再編の中で、有効に働き得たかどうかについての思考です。まずは、何度目かのこの3論文の読み込みを最終的に行い、GOOブログにノートをアップしなければなりません。大変な作業となりますが、だいぶ涼しくなって来ているので何とかやり抜きたいと思います。これさえ出来れば、本文はアッと言う間に書き上げることが出来ます。元「花曜」同人のTさん(現俳協評論賞など)は、坪内氏の現在について否定的でしたが、私は、最近の「モーロク俳句のすすめ」などの裏には、坪内氏の取っておきの起死回生策が秘められていると見ています。後半の2枚分は、ポストモダンの俳句形式への浸透を、1回目(同誌8月号)の西村麒麟さんに続いて、何人かの新鋭作品をベースに解き明かすための視点を提示しなければなりません。彼らにとって、俳句とはもはや【発句】はもちろんのこと【俳句】でさえない何かであるはずです。70年代の坪内理論は予言的なものだったようです。この両者をつなげることが、私の【定型論入門】となりそうです。・・・《続く》