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まほろば俳句日記

毎日見たこと聞いたこと感じたことを俳句にします。JーPOP論にチャレンジ。その他評論・エッセー、学習ノート。競馬も。

西東三鬼『酷烈なる精神』批判①/坪内稔典を読む(2)

2017-08-27 23:54:15 | エッセー・評論

戦後俳句の始まりを告げた西東三鬼の『酷烈なる精神』(「天狼」創刊号 1948)について、坪内稔典は「俳句が酷烈な現実のなかにその根拠をもち、そこで内なる自由を実現しようとする葛藤ーつまり、ぼくたちを不断に制約し、内なる自由を奪う国家意志とのあらがいを回避した」(『形式と思想』1976。以下同じ)として、その不充分性を批判した。

三鬼は、自身が主要作家として参加した戦前の新興俳句運動の意義は、伝統俳句に〈知性〉を付与したことにあるとし、その方法論として〈リアリズム〉を掲げた。つまり、俳句の根拠が〈現実〉にしかないこと、その現実から目をそらさない表現は、当然に定型観念と衝突するだろうと述べたことを取り上げ、坪内は「その定型観念との衝突こそ、定型詩が思想を孕む契機となるもの」として、三鬼が『京大俳句』に連載した『戦争』と題された句群を指して、三鬼のいう「知性が戦争に衝撃した火花」そのものとする。

絶叫する高度一万の若い戦死/黄土層天が一滴の血を垂らす/兵を乗せ黄土の起伏死面なす/黄土の闇銃弾一筒行きて還る/一人の盲兵を行かしむる黄土

しかし、それは〈戦争〉を一つの具体的事物として対象化しているが、三鬼の〈リアリズム〉の態度は、いっさいの事物を自らの知的対象とする〈モダニズム〉に通底しており、「対象へ向かう自己の眼や感覚に疑いがもたれることはない」として、その限界を指摘した。さらに、「戦争への知的関心が、〈国家〉と衝突する寸前に絶たれ、弾圧によって〈国家意志〉の側に先手を取られてしまった」と断じる。・・・《続く》

イメージ 1


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吉野家は敗北の味夏の雨/北大路翼を読む(5)

2017-08-01 00:40:00 | エッセー・評論

*写真は吉野家の定番メニュー牛丼(並・大・特盛)で、紅しょうがは自由。同僚などとイヤイヤ食べに来る人は、これを大量に混ぜ、肉汁の臭み(通常旨味と受け取る)を消す人を頻繁に見かける。安さ、手軽さの生み出した食の崩壊現象の一つである。

吉野家は敗北の味夏の雨   北大路翼 (その2)
吉野家に行ったことのない人はほとんどいないだろう。と言うより、行ったことのないという人はお金のある無しに関わらず、生涯行くことのない人であろう。一方、頻繁に行く人はあまりリッチとまではゆかないにしても、貧乏とか、この句にあるような【敗北者】とまでは言えない。そう言ってしまうのは、ビジネスタウンのランチタイムの同店を覗いてみるとわかるように、明らかな事実誤認であり、ごく平均的なサラリーマンで溢れ返っている。値段も牛丼の並盛に味噌汁やサイドメニューのおしんこ(又はキムチ)・生卵などを付ければゆうに600円を超える。牛すき鍋セットなどにすればそれをさらに上回る。この句にいう【敗北の味】とは、作者自身の〈敗北感)が一句に籠められたものであり、興味は作者の《敗北》そのものに移る。彼は、現在どのような〈敗北感〉を味わっているのだろうか。・・・《続く》
 

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【俳句の此岸】戦後世界の終焉後の《超現実》に身を浸す/私とは誰か~プレおたく世代の現在(29)

2017-07-30 04:52:48 | エッセー・評論

1980年の時点で、私はまだ27歳であった。2017年現在、その倍を楽に上回る年代に達している。その27歳にとって、東京の世界のどこにも居場所は無かった。それほどに、それに先立つ1970年代という時代の激変は巨大なものであった。しかも、70年安保世代のようにやるだけやって去って行った者たちとはまるで立場が異なっていた。前の世代からは置いてけぼりを喰らい、後に続く世代からは宙ぶらりんのネクラな隠者としか見られなかった。つい先ほど、NHKeテレ【ニッポンのジレンマ】シリーズの《クリエーターたちはいまー言葉のジレンマ》を観た。出演者は女性詩人(26)、ミュージシャンで作家(19)、評論家(33)などであった。ちょうど、親子の年齢差があり、この少し上が所謂団塊ジュニアである。彼らは、口々に自己表現としての詩・音楽・批評の困難を語っていた。しかし、不思議とネガティブさは微塵も無く、むしろ晴れ晴れとしていた。敵も見方も【手の届く所】に実在し、自己も他者も・・それらを巻き込む《世界》もまた極めてポジティブなものであるからだ。それでは、1980年初頭の私たちはどうだったのだろうか。私も世界も大きな音をたてて動いているのはわかるが、私というものにかつての《主体》といった何の確かさも与えられず、世界もまた日々生きて在る視界の外にあった。そのことは、何故かどのようにも確実なことで、前時代のような否定の対象ではなく、だからといって21世紀の【ポストモダン】を生きる若者たちのように、人も物ももはや身近なところには見出すことは出来なかった。ところが、自分たちよりほんの数年の違いでこの時代に登場したとされる人々は、私たちとは何の連続性も無い、突然、地から湧き出て来たような異人種たちだった。もはや、闘う相手はどこにもいなかった。私は孤絶感のあまり、当時流行の兆しを見せていた【神秘世界】や【精神世界】の超現実の渦中に飛び込んだ。俳句もまた、その非現実のジャンルの一つであった。・・・《続く》

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吉野家は敗北の味夏の雨/北大路翼を読む(4)

2017-07-30 04:38:12 | エッセー・評論

吉野家は敗北の味夏の雨   北大路翼 (その1)

吉野家はファーストフードの老舗である。牛丼店は、他に松屋・すき屋などがあり、この3店が上位3社を構成し、売上順位が目まぐるしく入れ替わる。吉野家は1970年代初めから存在し、最も古典的な和風焼肉の味付けを踏襲し、豚・チキンなど他メニューの導入で出遅れている。それが祟ったのか、このところ売上が減少し、3位に転落した。また、味噌汁が付かず、サイドメニュー無しの牛丼のみの客は店の片隅に追いやられている。昼夜を問わず、この種の客はかなりの貧乏人であることは間違いなく、仕事・家庭・ギャンブルなどでの【敗北者】のイメージに重なって来る。作者自身がどうなのかは判然としないが、彼の眼差しが【敗北者】に向けられていることは確かだ。そして、少なくとも現代の【敗北者】の何たるかについて、よく承知していることも否定出来ない。・・・《続く》
 
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北大路翼第一句集 『天使の涎

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【俳句の此岸】1980年!前世代の痕跡を何ら受け継いでいない者たちの登場/私とは誰か~プレおたく世代の現在(28)

2017-07-28 04:48:29 | エッセー・評論

1970年代とは、60年代末の【70年安保】世代のあまりにも強烈な余韻の中に始まり、その半ばには終ったというより何の痕跡も残さず消えていった空白の時代であった。次なる1980年代との区切りも曖昧模糊としたものに過ぎなかった。明けて1980年、街にはテクノポップなるBGMが流れていた。50~60年代のアメリカンPOPの変調のような空疎な音楽が人気を博し、70年代前半に湧き起こったフォーク・ソングやニュー・ミュージックとも違う、音が流れた後に何も残らないことを本旨とするような無価値・無目的ソングが主流を占めた。文学も、70年安保世代の【敗北後】の虚脱感を主調にした、行動や思考が何物も生み出さないことを反芻するような空虚感を売り物にしていた。そして、その渦中で【70年安保】世代や遅れて来た我々の世代とは全く異なる、というより何の関連性も無い新たな世代が生まれ始めていた。彼らは【第一次おたく世代】であり、【元祖新人類】と呼ばれた。概ね、彼らは1980年時点で成人を迎え、前世代の痕跡を何ら受け継いでいない者たちであった。・・・《続く》


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