ローマの初代皇帝、アウグストゥスは、現在ではその名が August(8月)として残る。一方アウグストゥスの大叔父に当たるジュリアス・シーザー(カエサル)はJuly(7月)である。初代皇帝というといかめしく、近寄り難い印象を覚えるが、スエトニウス著の『ローマ皇帝伝』でアウグストゥスの項を読むと、悩み多き一人の男であったことが分かる。特に、家庭内の不品行には随分と悩まされたようだ。娘のユリアが皇帝の後継者のティベリウスと結婚していたにも拘らず、幾多の愛人と不倫関係にあった。そしてアウグストゥスは遂には娘ユリアを法律違反でローマから永久追放することになる。それだけでなく、ユリアの娘、つまりアウグストゥス孫娘の小ユリアもまた、不倫のゴシップの種に欠くことがなかった。
そんなアウグストゥスの座右の銘の一つが今回とりあげる『Festina Lente』(フェスティーナ・レンテ、ゆっくりと急げ)である。しかし、スエトニウスの本には、『σπεῦδε βραδέως』 (speude bradeos)とギリシャ語で書かれている。何故ローマ人であるアウグストゥスがラテン語ではなくギリシャ語で?と思われる方もあろう。当時(紀元前1世紀)のローマでは、貴族や知識人は子供のころから、ギリシャ人の家庭教師がついて、ギリシャ語の教育を受けていたのだ。ちょうど、現在では子供が英語を学ぶように、当時はギリシャ語が国際語としての第一等の地位を占めていた。それで、アウグストゥスやシーザーもギリシャ語の会話はもちろんのこと、読み書きも堪能であった。
アウグストゥスがこの銘をどのような理由で選んだのかは分からないが、私には、ちょっと大げさに言えば、私の人生を変えた、ある出来事につらなる。その話をしよう。
高校の時、私の得意科目は、数学と物理、それと英語であった。ちなみに、いま興味を持っているような社会系の科目、日本史、世界史、倫理社会などは、点も悪かったし、興味もなく、当時は正直言って嫌いであった。数学は、以前にも書いた(『書評:数学をつくった人びと』)ように、解析系は特に好きであったが、一つ悩みがあった。それは、試験になると点が取れない時があるのだ。その原因は至って簡単で、ケアレスミスをよくしていたからだ。式の計算の途中で、マイナスをプラスと読み間違えたり、小数点を見落としたりで、考え方自身は合っていても、正解に辿りつけないことがよくあった。先生からはいつも、『そそっかしいねえ、もう少し注意すれば素晴らしいのに』と励まされるのであったが、こっちとしては、『それが出来るのなら苦労しないよ』と心の中で唇をかんでいた。
自分では、この欠点を直しようが無かったのだが、あることをきっかけに、ほぼ完璧に直すことができた。それは高校2年生の夏、中間テストが終わり、数学の時間にテストが返却されたときのことだった。この時も、ケアレスミスのために、いくつか取りこぼしがあった。答案を返却してから、先生が問題のひとつひとつについて、本当にゆっくりと話しながら説明してくれた。私は、そのテンポの遅さから、『この分では、最後まで説明が終わらず途中で時間がきてしまうな』と思った。しかし、テンポを早めることなく、相変わらずゆっくりとしたテンポで先生は説明を続け、とうとう最後の問題の解説まで丁寧にして、きっちりと時間内に終わった。私はその時、気がついた、『そうなのだ、このような遅いテンポでも間に合うのだ』、と。それから、テストの時は、頭の中のメトロノームがその先生の説明のリズムのように遅く刻むようになった。そして、式の一つずつ、もう一度チェックしてから先に進むように戦法を完全に切り替えた。この効果は抜群で、ケアレスミスがほぼ完全にゼロとなり、解法が分かっているのに、テストの点が取れない、ということが無くなった。高校生であった時から既に40年近く経っていてるが、その数学の時間のことは今でも鮮明に覚えている。
ところで、この銘、『Festina Lente』はラテン語や元のギリシャ語、それにドイツ語(Eile mit Weile)ではいかにも、と思わせる響きをもつが、残念ながらなかなか日本語にも英語(Hasten Slowly)、それにフランス語(Hate-toi Lentement)にもなり難い。ラテン語で表現するのが一番よいようだ。
そんなアウグストゥスの座右の銘の一つが今回とりあげる『Festina Lente』(フェスティーナ・レンテ、ゆっくりと急げ)である。しかし、スエトニウスの本には、『σπεῦδε βραδέως』 (speude bradeos)とギリシャ語で書かれている。何故ローマ人であるアウグストゥスがラテン語ではなくギリシャ語で?と思われる方もあろう。当時(紀元前1世紀)のローマでは、貴族や知識人は子供のころから、ギリシャ人の家庭教師がついて、ギリシャ語の教育を受けていたのだ。ちょうど、現在では子供が英語を学ぶように、当時はギリシャ語が国際語としての第一等の地位を占めていた。それで、アウグストゥスやシーザーもギリシャ語の会話はもちろんのこと、読み書きも堪能であった。
アウグストゥスがこの銘をどのような理由で選んだのかは分からないが、私には、ちょっと大げさに言えば、私の人生を変えた、ある出来事につらなる。その話をしよう。
高校の時、私の得意科目は、数学と物理、それと英語であった。ちなみに、いま興味を持っているような社会系の科目、日本史、世界史、倫理社会などは、点も悪かったし、興味もなく、当時は正直言って嫌いであった。数学は、以前にも書いた(『書評:数学をつくった人びと』)ように、解析系は特に好きであったが、一つ悩みがあった。それは、試験になると点が取れない時があるのだ。その原因は至って簡単で、ケアレスミスをよくしていたからだ。式の計算の途中で、マイナスをプラスと読み間違えたり、小数点を見落としたりで、考え方自身は合っていても、正解に辿りつけないことがよくあった。先生からはいつも、『そそっかしいねえ、もう少し注意すれば素晴らしいのに』と励まされるのであったが、こっちとしては、『それが出来るのなら苦労しないよ』と心の中で唇をかんでいた。
自分では、この欠点を直しようが無かったのだが、あることをきっかけに、ほぼ完璧に直すことができた。それは高校2年生の夏、中間テストが終わり、数学の時間にテストが返却されたときのことだった。この時も、ケアレスミスのために、いくつか取りこぼしがあった。答案を返却してから、先生が問題のひとつひとつについて、本当にゆっくりと話しながら説明してくれた。私は、そのテンポの遅さから、『この分では、最後まで説明が終わらず途中で時間がきてしまうな』と思った。しかし、テンポを早めることなく、相変わらずゆっくりとしたテンポで先生は説明を続け、とうとう最後の問題の解説まで丁寧にして、きっちりと時間内に終わった。私はその時、気がついた、『そうなのだ、このような遅いテンポでも間に合うのだ』、と。それから、テストの時は、頭の中のメトロノームがその先生の説明のリズムのように遅く刻むようになった。そして、式の一つずつ、もう一度チェックしてから先に進むように戦法を完全に切り替えた。この効果は抜群で、ケアレスミスがほぼ完全にゼロとなり、解法が分かっているのに、テストの点が取れない、ということが無くなった。高校生であった時から既に40年近く経っていてるが、その数学の時間のことは今でも鮮明に覚えている。
ところで、この銘、『Festina Lente』はラテン語や元のギリシャ語、それにドイツ語(Eile mit Weile)ではいかにも、と思わせる響きをもつが、残念ながらなかなか日本語にも英語(Hasten Slowly)、それにフランス語(Hate-toi Lentement)にもなり難い。ラテン語で表現するのが一番よいようだ。
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