限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

沂風詠録:(第202回目)『リベラルアーツとしての科学史(その1)』

2013-06-16 20:01:26 | 日記
先日(2013年3月2日)『第8回リベラルアーツ教育によるグローバルリーダー育成フォーラム』を開催し、そこで私が
 『リベラルアーツとしての科学史』
と題して下記の趣旨の話をした。

 ==============================================
 リベラルアーツの一つの観点に『自然界のしくみと自然の利用』がある。これは、個別の学問や技術のディテールを理解するという視点ではなく、もっと大きな視点、すなわち『科学史・技術史』という歴史的および、これらの学問・技術の相互の関連性からそれぞれの文化の自然に対する考え方を理解すると言う観点が必要だと考える。

残念ながら、科学史・技術史は、日本では理系の学部といえどもそれぞれの専門科目に関連してごくトピック的にしか取り上げられない。とりわけ、物理学・化学や工学のように近代のヨーロッパで大発展を遂げた学問領域に関しては、中国や日本などの東洋の貢献は絶無といっていいほど触れられることはない。しかし、日本がペリーによる開国(1854年)から半世紀もたたない内に先進工業国の仲間入りができた事実を考えれば、当然のことながら、ペリー来航までに日本の工業技術レベルがすでに相当高かったことに思い至るだろう。

しかしそれにしても非ヨーロッパ諸国の中でなぜ日本だけが近代化・工業化が可能であったのだろうか?なぜ歴史的に日本よりずっと先進的であった中国で先に近代化がなされなかったのだろうか?

このような疑問は何も日本と中国だけに絞った話ではない。それぞれの文化圏の発展そのものに科学・技術が深く関連しているのだ。それゆえ、私はリベラルアーツとして『科学史・技術史』と学ぶことは非常に重要であると考えている。 この観点から、今回はグローバル視点からリベラルアーツとしての科学史の話をしたいと思う。

 ==============================================

本稿はその内容を掲載する。

【目次】
 1. リベラルアーツの科目・リベラルアーツの四大分野
 2. 科学史を学ぶ意味
 3. 科学史の疑問
 4. 科学の発展 (ヨーロッパ+イスラム、BC 30 c. - AD 20 c.)
 5 ニーダムの疑問
 6. 科学と似非科学
 7. 科学の発展に見る民族性
 参考文献

 ******************************

1. リベラルアーツの科目・リベラルアーツの四大分野

世の中では、リベラルアーツというと決まって歴史、宗教、哲学、文学、文明論、芸術文化、という文系の科目が挙がるが、科学や技術という理科系の科目に関して一言も触れられない。まるで科学や技術について議論するとリベラルアーツを語る人の品位が下がるとでも言うかのように避けられている。私は、こういった世間の風潮は、はっきりと『間違っている』と考えている。

言うまでもなく、現在の世界の政治・経済・思想や生活自体をを科学・技術抜きで語ることが不可能である。これは過去の世界においても全く同じだ。例えば、十字軍とは、イスラム教徒が支配したエルサレムを、ヨーロッパのキリスト教徒が奪回するための軍事行動と一般的に理解されている。そして決まって『第X回の十字軍は、XX王が主体となって。。。』というように誰が軍隊を派遣したのか、そしてどこを攻めた、などが記述の対象となる。このように政治的、軍事的側面だけから十字軍を見ていると、 12世紀になって突如として科学・技術革新がヨーロッパに起こったことの原因が理解できない。十字軍の兵士たちは戦争をしに行っただけでなく、長期間にわたって中東・イスラムに滞在して、かの地の先進的な科学技術の実物をヨーロッパに大量に持ち帰ったのである。これによって科学・技術でかなりビハインドにあったヨーロッパがようやくイスラムのレベルの追いつくことができた。

あるいは、江戸時代、オランダは日本から大量の銅のインゴット(銅棹)をヨーロッパに持ち帰ったため日本から銅が払底してしまった。その理由は日本の銅には僅かであるが、それでもかなりのパーセントの金が含まれていたからである。錬金術のお蔭でヨーロッパでは冶金術が発達し、僅かの金でも取り出す技術が日本より格段に優れていたため、金を多く含む日本の銅は彼らにとってはいわば宝の山であった訳だ。

このように、科学史・技術史を理解せずに過去の社会は理解できないのである。この意味で、『リベラルアーツ教育によるグローバルリーダー育成フォーラム』では、
 『議論のテーマは、古今東西の歴史、宗教、哲学、科学技術史、などの文理統合した幅広い分野』
であるべきだと考えている。つまり、私が考えるリベラルアーツが対象とすべき科目と分野は次の図で示すように、幅広いものだ。

 
 


尚、この『リベラルアーツの科目』と『リベラルアーツの四大分野』に関する説明は、以前のブログ、沂風詠録:(第172回目)『グローバルリテラシー・リベラルアーツ・教養(その3)』で述べたのでそちらを参照して頂きたい。

続く。。。
コメント (6)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする