獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

長井秀和さんのインタビュー記事 (3)

2022-11-27 01:47:01 | 長井秀和

「週刊新潮」(2022年11月24日号)に、創価出身の芸人、長井秀和さんのインタビュー記事が載っていました。

長井さんは、創価小学校、創価中学校、創価高校、創価大学と一貫して創価学園に学んだ経歴を持ちながら、お笑い芸人として活躍し、その後脱会に至った人です。
長井さんの体験は、私たちアンチの非活・脱会者にも共感するところもありますが、その主張にはやや違和感を感じるところがあります。
違和感の生じるのは、なぜなのか。
「週刊新潮」の記事を引用しながら、考えてみたいと思います。

以下は、週刊新潮 (2022年11月24日号)からの引用です。


末代に至るまで不幸が...

それに、ビジネスの世界でもそうですが、成功者は50人に一人くらいで十分なんです。ダイエットだって育毛だって30人に一人成果が出れば“効く薬だ”となる。宗教も同じで、信者の50人に一人くらいが成功したり救われたりした経験をすれば、功徳があるという話になるわけです。学会も本部や関連企業のポスト、全国に持つ地方議会の議席などを駆使すればいくらでも“功徳”を演出できるのです。 

長井氏は学会に絶望し、12年に脱会を表明するが、彼のように表立って脱会宣言をする例は稀なのだという。もちろん、脱会宣言をした長井氏にとっても、その道のりは険しかった。

学会といえど信仰を強制することは出来ませんから、脱会するのは自由です。ただ、私のように家族も学会員の場合、脱会には途方もない精神的負担が伴うことになる。例えば私の場合も、脱会に当たって両親から“信心が浅いからだ”と責められ断絶状態になりましたし、18年に父が他界した後も家族とはぎこちない関係が続いています。
それに学会歴が長ければ長いほど、人間関係は学会中心になっていく。そういう人が脱会することは村八分どころか、“村全部”状態、つまり人間関係を全て失ってしまうことにもなりかねないのです。
だから多くの人は無理に抜けようとせず「非活」、すなわち籍は置いたまま表立って活動するのを控えるという道を選ぶことになる。選挙のときにだけ「公明党の候補に必ず入れる」と約束しておけば良いのです。
一方、わざわざ辞める、などと言わでものことを言えば、それまでの仲間からこれでもかというほど呪詛の言葉を投げつけられる。「仏敵」と呼ばれるくらいならまだましで、“第六天の魔王に食い破られた愚かで無様な姿”とか“自分だけでなく子どもも孫も末代に至るまで不幸が起きる”とか“頭破作七分(ずはさしちぶん)の仏罰が下る”とか……。頭破作七分の仏罰とは、脳みそが散り散りになって精神的におかしくなってしまう、くらいの意味です。もちろん、私も言われたことがあります。
こんな非科学的で迷信じみた言葉を気にするなと思われるかもしれませんが、なまじ信心が残っていたりするとこれが耐えられない。私のような不真面目な信徒でも、やはり家族のことを持ち出されると、気が滅入りそうになったものです。
このように学会は、組織が自ら手を下さずとも信者同士の間でアメとムチが見事に機能するようにプログラミングされている。熱心に信仰する信者がいる一方で、辞めたくても辞められない人たちがいるのもまた事実なのです。

 


解説

だから多くの人は無理に抜けようとせず「非活」、すなわち籍は置いたまま表立って活動するのを控えるという道を選ぶことになる。選挙のときにだけ「公明党の候補に必ず入れる」と約束しておけば良いのです。

一般の週刊誌で「非活」なんて言葉を聞くのは、へんな感じですね。
アンチとしては、このような言葉が一般の人の目に触れるのはうれしいやら恥ずかしいやら。

このように学会は、組織が自ら手を下さずとも信者同士の間でアメとムチが見事に機能するようにプログラミングされている。熱心に信仰する信者がいる一方で、辞めたくても辞められない人たちがいるのもまた事実なのです。

たしかに、創価学会の組織に疑問を持ち辞めたいと思っても、いろいろ問題を抱えて悩む会員が少なくないのは確かです。
しかし、ネットの発達した時代ですから、自分でいろいろ情報を集め決意しさえすれば、創価学会の活動から身を引いたり脱会することができるのも事実です。

長井さんが政治活動をすることで、何を目指そうとしているのか。
これからも注目していきたいと思います。

少なくとも、長井さんを反創価学会のヒーローとして全面的に支持することはありません。

獅子風蓮



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