獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ステージⅡ:にゃんこ丸さん登場(3)

2022-03-07 01:27:27 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。

●の文章は、それについたコメントの引用です。


■目の前の現実が見えなかった学会員時代    投稿日: 2015年5月27日

目の前に起っている事実を認めるということは、人として当たり前のことだと思うのですが、たとえば創価が衰退しているという事実は誰の目にも明らかなのに、活動家さんの多くがそれさえ認めようとしません。座談会でも明らかに高齢化が進み、男女青年部の数が減っているのはみなさんからの報告でもはっきりしてますよね。あるいは普段活動に参加していないような学会員さんでも、年に一度の中心会館での新年勤行会ぐらいは出席しますが、その数もどんどん減っているために、昔は正月三賀日は圏別とかで何度も入れ替え制にしなければ入らなかったのに、今では回数自体も極端に減っています。
牙城会の着任もすぐに回ってくるようですし、それでも数が足りずに近頃は壮年部が牙城会をやってるそうですね。私が学生部のときに宗門問題で脱会者が続出して、私が入っていた地区部長が脱会して宗門に行ったので、座談会場も変わるなどしたことがありましたが、今はもうそれどころじゃないほどの衰退ぶりです。
選挙にしても自民党との選挙協力をしていることもあり、候補者数はそれほど減ってないにしても、全体の得票数はここ10年で100万票も減っているのが実情です。昔から会員数は絶対公表しないかわりに、御本尊の下付数を世帯数として発表しています。これはいつの頃からかは知りませんが、常に827万世帯となっています。これだけ脱会者が続出しているのに発表している世帯数が減らないのも不自然ですよね。そもそも日本の827万世帯もが学会員なのに、公明党の得票数が720万票というのもおかしな話です。どれだけ未活動家の割合が多いかが、この数字からもわかります。
また、SGIは世界192カ国・地域に1200万人以上のメンバーを擁すると発表していますが、世界の国の数は196だそうですから、SGIメンバーのいない国は4カ国だけ。もしくは「地域」というのがどういう解釈なのかはわかりませんが、基本的にイスラム教と共産主義の国は布教しないそうなので、この「192カ国・地域に1200万人以上のメンバー」がどこまで信用できるかはわかりません。
池田氏はこの5年間、会員の前には姿を現していないので、この間に入会したメンバーは誰も池田氏の動くところを見ていません。この5年間に入った会員さんは、人生の師匠と言われる池田氏の声すら聞いたことがないのです。見せられるのは聖教新聞に載っている昔の写真か、昔のDVDの映像ぐらいです。それで師弟不二だなんだと言われても無理がありすぎますよね。
このブログでのここ最近の皆さんからのコメントにもあるように、創価の信仰による功徳とか罰とか、結局何もないじゃないかということです。あると思うのは、そう言われるから、いいことがすべて功徳になり、悪いことが罰だと思い込んでしまうだけであって、いいことも悪いことも学会員だろうがそうでなかろうが同じようなことしか起らないというのが現実です。むしろ創価であることによって病気の発見が遅れたり、無理な活動で身体や精神を壊したり、巨額な財務でいつまでたっても貧乏な暮らしのままだったり、近所から変人扱いされて信用をなくしたりと、一般の人よりもあきらかに不幸になっている場合が多いと思います。
活動家さんにこうした客観的な動かしがたい現実を突きつけても、絶対に認めようとしないのは、このブログに殴り込んできた活動家さんの態度からわかりますよね。そして、たとえ創価の衰退の現実を認める活動家さんがいたとしても、その原因が創価にあるのではなくて、勝手な活動をしている一部の人間が原因なのだと言い張ります。言い張ると言うか、そうでも考えないことには「創価は正しい宗教団体だ」という前提が崩れてしまうことからくる、めちゃくちゃな言い訳でしかありません。もし創価の衰退の原因が一部の勝手な学会員の仕業だとするのであれば、創価はその一部の勝手な学会員をどうしようもすることができないでいることを認めることになります。世界で唯一正しい宗教団体が一部の勝手な会員のために機能していないということを認めることになるんですよね。創価の選挙活動はおかしいのも、多額の財務を要求するのも、無理に聖教新聞の購読を強制するのも、みんな一部の会員が池田氏の指導を無視して勝手にやっていることだとしたら、創価学会はその一部の勝手な会員に乗っ取られたままになっているということになりませんか?
じゃあ、創価学会はいったい誰が乗っとっているのでしょう?原田会長ですか?理事長ですか?それとも誰にも姿を現さない影の人物でもいるんでしょうか?今の創価の執行部は傀儡なんでしょうかね?もしそうだとして、そんな創価学会を末端会員が選挙をボイコットするなどして改善できるものでしょうか?創価を乗ってっている影の会員にそんなことをしていったい何になるというのでしょう。選挙をボイコットするなんて、ただの非活の一人と同じですよね。公明党に票をいれない非活の学会員さんは、それこそ何百万人もいますよ。それが一人二人増えたところで、創価を勝手に動かしている人物たちは痛くも痒くもないでしょう。
それからかつては創価の最高幹部だった多くの人物が創価を離れ、創価の現実を明かしています。そこにはとても宗教者ではありえない池田氏の異常な人物像が明らかにされています。すべては池田氏の金と権力のための野望だったことを口をそろえて告白しています。しかしこれらのことも活動家にとっては正法に競う魔だとか、正法であることの証だなどと言いくるめられているため、決してその事実を認めようとはしません。
これらは「創価は正しい宗教団体だ」という前提を崩したくないがための屁理屈であり、自分が創価学会員として歩んできたこれまでの人生を否定されたくないために、今現在の創価のおかしな部分を創価以外のせいにしようとしているだけにしか思えません。つまり目の前の現実を現実として受け入れられない人の屁理屈ということです。
創価の現実ということに関して言えば、これから創価学会が発展する見込みなどほとんどありあえないという事実もまた活動家さんは認めないんですよね。たとえばこれだけ活動家さんが自腹を切って聖教新聞の多部数購読をしているのに、もう10年20年と聖教新聞の購読数は増えていません。組織としては減りさえしなければいいんです。それによって莫大な購読料と広告収入が確実に入ってくるのですから、ただただ末端会員にノルマを課していけばいいわけです。しかし末端会員にとっては聖教新聞の購読数は功徳の大きさですから、必死になって頑張ります。配達や集金も、組織にとってはタダで働いてくれるし、販売店は営業もしなくてすむし、きついのは功徳に目が眩んでタダ働きをさせられている末端会員だけです。これが現実なんですが、活動家さんにはこの現実を認めるわけにはいかないんですよね。認めちゃうと自分の人生を自分で否定することになりますからね。でも現実には創価は衰退こそしていきますが、どこかで急に会員が増えたりすることは絶対にありえませんよ。
前にも何度も書きましたが、活動家さんは創価の広宣流布をどこまで本気で考えているのでしょう。ここまで衰退の一途をたどる団体が、広宣流布…つまり世界中のある程度の人間が創価の信者になるということが現実としてありえるのかということを考えたことがあるのか?そしてそれが何がどんなにひっくり返っても有り得ないことだとなぜわからないのか?ということです。
日蓮が末法衆生救済のために顕わしたという三大秘法が、750年経っても何の役にもたっていないという事実。創価学会がそんな日蓮仏法を継承してきた日蓮正宗から破門されたという事実。さらにその三大秘法の解釈さえ勝手に変えてしまう創価学会。またそれに何の疑問も抱かない学会員。ここまで明らかに異常な団体を、メチャクチャな屁理屈によって正当化しようとする学会員。現実を現実として認めることができないように操作され、人生を奪われていく学会員。
おそらく数十年先に創価学会は「戦後最大の宗教詐欺事件」として歴史にその名を残すのだろう思います。
ということで、今回のテーマは「目の前の現実が見えなかった学会員時代」ということにします。
みなさんの経験として、活動家時代に目に前の現実がどんな風に見えていて、覚醒した今では、それがどのように見えてきたのかということを教えてください。できる範囲で結構ですので具体的なことが助かります。
「そういえば昔はこんなふうに思っていたけど、よく考えれば現実はこうだったんだ」ということです。
今も活動家の方も、おそらくかつてのみなさんと同じような世界だったと思います。そして創価の実態に気がついてから「ここまでものの見方が変わりました。今思えば、どうしてあんなふうにしか見えていなかったのか不思議でなりません」といった衝撃があったでしょう。
いまそれに気づく寸前の方もたくさんこのブログを見ていらっしゃると思います。あと一押しで創価の現実が見えてくるという方もたくさんいると思います。そこには現実を現実としてみることの恐怖との葛藤がかならずあると思います。その恐怖のあまりに一歩が踏み出せないままの方もけっこういるんじゃないかと思います。「ああ、自分と同じだ。こんなことを考える自分はおかしくなかったんだ。むしろ当然の感情だったんだ。おかしいのは創価のほうだったんだ」ということに気がつくきっかけになると思います。ぜひ、みなさんにとっての「現実の劇的な変化」についてお話しいただければと思います。よろしくお願いします。

●にゃんこ丸 (2015年5月28日 06:53 )
初コメントの際にも書かせていただいた男子部が次々に彼女を折伏しては別れ、折伏しては別れを繰り返すような変な折伏が横行していたときに、私は何度も何度も指導を受けました。
でも、なかなか納得できる指導はありませんでした。
「ほんまに組織っていろいろあるよなぁ。でも、泥の中で綺麗な花を咲かせるのが女子部。祈って頑張っていこう」とか、そんなことばかり。
中には集まった人に必ず涙を流させるほど指導上手な人もいました。私もその方の話を聞いて涙を流したことがあったので、その方にも相談をしました。
「こんな何でもありの折伏があってもいいんでしょうか? 折伏って何でもありなんですか?」
と憤りをぶちまけると、
「ある意味、何でもありです。そういう縁でしか仏に縁することの出来ないかわいそうな子もいる。それはその子の宿業です」と。
幼い頃からマインドコントロールされていた私ですが、さすがにこれはちょっと……と思いました。
普段指導を受けている別の幹部に相談しました。
「幹部も人間で、いろんな人がいる。中には間違った人もいる。いろんな人がいるから創価学会。合わないと思ったら、別の人に指導を受けて成長していくのが信心やで」というようなことを言われました。
この幹部の言葉で私は納得してしまいました。
「そうか。あの人は幹部だけど間違ってたんだ。じゃあもう私は『あの人』のいうことを信じない」と思いました。
この頃から私は変な幹部がいると『あの人』は間違っている。だけど、創価学会は間違っていないから大丈夫と思うようになりました。
でも、今振り返ってみると、かなり多くの『間違った』幹部の方がいました。でもその当時はそれでも創価学会を信じていなければ、自分の人生そのもの否定することになるので、信じることに必死でした。僅かな希望を見つけては信じて安心していたように思います。
そんな私が決定的に「一部の幹部が間違ってるんじゃない。今の創価学会が間違っているんだ」と気づいたのは、母が脳梗塞で倒れ、精神疾患の症状が悪化してからでした。
その当時、私は学会活動で心のバランスを崩して実家の傍に部屋を借りて戻り、ようやく心が落ち着きを取り戻し始めた頃でした。
いろんな婦人部の方が代わる代わる母のところへやって来ました。でも、婦人部の方がお見舞いに来るたびに、母の症状が悪化するのです。未活の妹が「なんか創価学会の人が来るたびにお母さんおかしくなってるんやけど……」と私に苦情を言ってきたので、私も婦人部の方に母への対処法として「あまり気分を高揚させすぎるようなことを言わないで欲しい」などということをお願いしました。が、母の言動を聞いている限り、あまり守ってはもらえなかったようでした。
その後も母の状態はマシになったり悪化したりを繰り返し、何度か精神科に入院もしました。
母が自宅療養をすることになった頃、選挙がありました。
母は子供が学会活動に励み、一家和楽の信心を夢見ているので、私が活動をすれば気分が高揚しすぎ、また精神のバランスを崩してしまいます。
すでに活動は出来ない旨は伝えていましたが、選挙は報告を聞きに来るだろうなと思ったので、母の病気の事情を話し「申し訳ありませんが、母を興奮させてはいけないので、報告や活動一切出来ません。ご理解ください」と選挙の話をする婦人部の方にそれぞれ丁寧に話をしていきました。
私も以前は活動家だったので、どういう活動をするのか、その苦労も分かっているつもりでした。
それと同時に隣の地区である母に私が選挙に行った行ってないの報告などが簡単に伝わることも分かっていました。
当時の母はものすごく脆いガラスのような状態でしたので、私は細心の注意を払いました。
婦人部の方はその時には皆さん理解してくれたようです。
合計で6名の方にそのお話を丁寧にさせていただき、それぞれその場ではご理解を頂きました。グループ長さんから圏幹部の方までいらっしゃいました。
ところがです、選挙戦も終盤に差し掛かってくると、「報告は出来ません」と言っていたにも関わらず、納得をしてくれたはずの婦人部の方が、一人また一人と報告を聞きに来るのです。
あるグループ長さんは「私報告は出来ないって、事情もちゃんとお話しましたよね」と言うと「ごめんなさい。すみません」と言って帰っていかれました。
きっと分かっているけど来てしまったのだろうと少しかわいそうに思いました。
別の地区幹部の方にもそう言うと「一切他の人に言うつもりはない。でも、これは大事なことだから」と開き直られました。報告をして一切他の人に言うつもりもないって……そんなことあるわけないやろって、活動家だった私は知っています。なので、お帰りいただきました。
その他にも道端で大声で呼び止める人、選挙の前日にしつこいほど電話をかけてくる人がいました。
最終的に私がお話をした六名の幹部の方全員が、選挙までに報告を聞きに来ました。
私は母の状況を説明するときに、「もしも私が活動しているなどと母の耳に入ったら、それだけを願っている母がどれだけ興奮してしまうか分かりません。その興奮が周囲の人にこれまでも多くの迷惑をかけてきました。脳梗塞の後の母は特に過敏になっているので、どれほどの行動に出てしまうのか想像もつきません。犯罪行為にまで発展する恐れもあります」と話しました。
要するに、この人たちは皆「母が犯罪行為をしても構わない。それよりも報告だ」と思っているのだなと理解しました。
事情をお話した六名の最後の一人から連絡が来たとき、「誰かが間違ってるんじゃない。今の創価学会が間違ってるんだ」と思いました。
今の、と付け加えたのは、その当時の私は創価学会はまだ正しいと思っている部分があったからです。正しいと思いたかったのかもしれません。
でも、こちらのサイトでいろんな記事を読み、ウィキペディアなどのわりと冷静に紹介してある創価学会の紹介を読むにつれ、間違っていたのは創価学会だったと確信しました。
迷っている人はぜひウィキペディアの創価学会の紹介も読んでいただきたいです。
創価学会と決別することを決めてから、すべてが好転し始めたというまさに目に見える現象もありました。
創価学会と決別しても、何の罰もありませんでした。
むしろ、お題目をあげたり学会活動していた時間で、他の努力をするようになって視野も広がり、仕事も増え、気がつけばあんなに長いこと苦しんでいた借金もなくなりました。
母もようやく適切な治療を受けさせることができ、私がこれまで見てきた中で一番落ち着いています。四十数年経って、初めて人間らしくなった、という感じです。
もしも私と同じようなことで躊躇している人がいるなら……と思って投稿させていただきました。
創価学会は大所帯だから一部に悪い人もいる……ではありません。組織が間違っているから、おかしな人が多いんです。
そこに気づいて欲しいと思います。

●にゃんこ丸 (2015年5月30日 05:56 )
riroさん、はじめまして。
私は以前に女子部員で、riroさんのように彼氏に折伏されて、その後捨てられた女の子をたくさん見てきました。
中には結婚を考えているからと折伏され(彼の親からも、結婚するなら入会しなさいと言われたそうです)、結婚を前提に五年ほど同棲し(五年同棲しても結婚しなかった)、その後別の女の子と浮気をしてその女の子と一緒に住むから出て行ってくれと言った男子部員もいました。
会合ではとても立派な発言をすることもある男子部員の行動だったので、私もとてもショックを受けたのを覚えていますし、その彼女ともとても仲が良かったので、どう励ましていいか分からなくなったことがあります。
結局、彼女はしばらくは彼の傍にいたいからと近くに家を借りて学会活動にも励んでいましたが、最終的に実家に戻り、学会から離れました。
まだその子の場合は数ある折伏の中でもまだ少しましなほうで(それでも酷い話ですが)、中には折伏のためだけに付き合い、その後一ヶ月程度で別れてしまうことを繰り返す男子部員もいました。
そのとき地区には二十数名の女子部員がいたのですが、そのうちの十数名が彼氏に折伏された女子部員でした。
中にはしばらく付き合っているケースもありましたが、だいたいがいつの間にか別れていました。
別れても女の子のほうはきちんと脱会届けを出さない限り、創価学会員のまま名前が残ります。
また、私が折伏したケースでは、友人をセミナーに誘ったところ、すでに入会申込書とかなり珍しいはずの友人の苗字の判子までが用意されてありました。
さすがにその姓ズバリの判子はなかったみたいで、姓の上の文字と下の文字を別々に切って即席の判子にして押してました。
友人はその場で十名以上の幹部に取り囲まれ、雰囲気に飲まれるように入会を承諾しました。
最終的に友人は脱会し、私は友人と縁を切られました。
その時はショックでしたが、今はその友人に申し訳ない気持ちでいっぱいで、機会があれば謝罪したいと思っています(向こうはもう話すのも嫌と思っているかもしれません……)。
私が見たものはもしかするとかなり極端なケースかもしれませんが、私がいたところではそういうことが日常茶飯事に行なわれていました。しかも、誰もがまったく罪悪感を持っていません。
私は身近で男子部員に折伏されて泣いている女子部員を本当にたくさん見てきてしまったので、riroさんにはそういう思いをして欲しくないと思います。
今も私は当時の部員さんたちに対して罪悪感があり、この一生の中でもしも再会するようなことがあれば謝罪したいと考えています。
私も今まさに徐々に覚醒中の身の上で、こちらのブログやさまざまなサイトを私なりに読み、今の創価学会がおかしくなったと思っていたけど、そもそも創価学会も、池田センセイも間違っていたのか……ということに衝撃を受けています。
これは学会二世三世でバリ活だった方にはとても分かる感覚かもしれませんが、一気に認めるのがとても怖いことで、自分の中で少しずつ少しずつ認めるような感じで、受け入れていっています。
まだ多少目を背けつつ、自分の心身を守っているような感じです。
もしもこの現実をすべての学会員が一気に突きつけられたら、日本がどれほどのパニックになるか……自暴自棄になる人も大勢表れるだろうと考えると、本当に恐ろしいとも思いました。
活動家だった時代の学会員の友人に、さりげなく連絡を取りつつ、もしも気持ちが揺れている人がいれば、そっと背中を押してみようと考えています。自分の腕が伸びる範囲のことしか出来ませんが、何もしないで見てみないふりは出来ないと思いました。
ウィキペディアで「池田大作」を検索すると、財務に関するびっくりするような記事がありました。
これ、どこの週刊誌が出所なんだろうと思って調べてみたら、すべて聖教新聞や創価新報に掲載されたものなのですね。
日顕に言われたからだと活動家の人は言うかもしれませんが、破門後の1992年11月の記事もあるから、言い訳になりませんよね。
・地区部長は少なくとも十万円以上をすべきである。そうしない幹部は個人指導せよ(聖教新聞1980年11月7日号「寸鉄」)
・現在持っている預貯金全部を出すのは当たり前だ。それにどれ程上乗せするかが信心の戦いだ(聖教新聞1981年7月28日号「寸鉄」)
・各支部で十万円以上出す人を二十人以上作れ(聖教新聞1981年11月18日号「寸鉄」)
・一口、二口しか出さない人は信心がない証拠だ(聖教新聞1983年5月3日号「寸鉄」)
・部内で百万円以上の大口を何人作るかが、支部長、婦人部長の戦いだ(聖教新聞1992年11月30日号「寸鉄」)
・個人指導、家庭指導で三口以下の財務部員がいないようにする(創価新報1985年11月15日)
ウィキペディアにはちょっと怪しいなと思う情報もありますが、順を追って事実を書き連ねてありますし、比較的冷静に見れます。ソースを見ればおそらくそれは事実だろうと思われるものも数多くあります。
創価学会は、池田センセイは絶対じゃなかったんだ……これが私のこの数日間の気持ちでした。


解説
にゃんこ丸さんがウィキペディアの記載をもとに、財務に関する驚きの情報を報告していますが、これはすでにデマであると確定されたものですね。
このあと、ちゃんと訂正されているのでしょうか。
デマであることがはっきりしているなら、コメントを了承する段階で管理人であるシニフィエさんが適切なコメントで、そのことを指摘するべきですね。
対話ブログが非公開になったため、詳細を書けず、残念です。
是非、シニフィエさんには、対話ブログを再開していただけることを望みます。

獅子風蓮



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