獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

『居場所を探して』を読む その7

2024-08-03 01:41:44 | 犯罪、社会、その他のできごと

友岡さんが次の本を紹介していました。

『居場所を探して-累犯障害者たち』(長崎新聞社、2012.11)

出所しても居場所がなく犯罪を繰り返す累犯障害者たち。彼らを福祉の手で更生させようと活動する社会福祉事業施設の協力で、現状と解決の道筋を探った。日本新聞協会賞を受賞した長崎新聞の長期連載をまとめた一冊。

さっそく図書館で借りて読んでみました。
一部、引用します。


■第1章 居場所を探して―累犯障害者たち
 ■第1部「福祉との出合い」
 □第2部「司法と福祉のはざまで」
 □第3部「あるろうあ者の裁判」
 □第4部「塀の向こう側」
 □第5部「見放された人」
 □第6部「更生への道」
 □第7部「課題」
□第2章 変わる
□おわりに 

 


第1部「福祉との出合い」

=2011年7月2日~8月2日掲載=

(つづきです)

7)再出発
  手探りの営みの先に

潮騒が聞こえる。
五島市の海辺のグループホームで今、高村正吉(60)=仮名=は暮らしている。障害者5人の共同生活。4畳半の角部屋には、テレビも冷蔵庫も、炊飯器もある。月々の小遣いから、少しずつ買い足してきた。
自分でコーヒーを入れてよく飲む。砂糖をたっぷり入れるから、ホームに来て3キロ太った。日に10本と決められているたばこも、つい吸いすぎて職員に小言を言われる。「自由」も難しい、と初めて知った。
昼間は決められた農作業をして、泥にまみれる。週末は部屋にこもって貼り絵をしたり、一人で釣りに行く。友達も恋人も、欲しいとは思わない。一人には慣れている。「孤独ではない」と強がっている。
人をだまし、盗み、さい銭箱をあさって、この年まで生きてきた。どん底の時期に比べると、心はずいぶん穏やかだ。でも、今の生活を「幸せ」と呼ぶのか、よく分からない。

故郷で再出発を切ってから、高村は2度、失踪騒ぎを起こした。
ささいなことでイライラして、ホームを飛び出した。約束を破って、パチンコ台の前に何時間も座った。気付けば生活費を使い切っていた。1度目はその日のうちに、2度目は翌日に、電気もガスもない、ボロボロの実家に身を潜めていたところを見つかった。
生活指導員の春野太一(30)は戸惑った。入所者の「脱走」など、そうそうあるわけではない。問いただしても高村は「すみません」と苦笑いを返すだけで、胸の内は見えない。
「『反省」の意味は分かっているのか」
「福祉は、彼を窮屈にさせているのではないか」。
 自問した。
ある日。
「グループホームと刑務所の暮らしは何が違う?」と問われ、高村は口ごもった。
「たばこが吸えたら、刑務所でもいい?」と重ねて聞かれると、不意に笑みを浮かべ て
「それならいいね」と、あっけらかんと言った。
聞いていた春野は、あっけにとられた。落胆もした。しかし、と思う。
「『分からない』『手に負えない』と投げ出され、背を向けられてきたのが、彼のこれまでの人生だった。試行錯誤を続けるしかないと思っています」
福祉の世界が初めて向き合う累犯障害者の更生。暗闇を手探りで歩くような営みの先に、高村の本当の「居場所」はあるのかもしれない、と春野は考えている。

2度目の失踪以降、高村は落ち着いている。
「僕、頑張ってるでしょ?」。
顔を見るたび に近寄ってくる高村に、
「頑張ってるね」と春野は返す。
「生まれ変わったら『真人間』に なります」。
高村は時々、真顔でそんなことを言う。

(つづく)


解説
知的・精神障害があるのに、福祉の支援を受けられず、結果的に犯罪を繰り返す人たち……
福祉の網からこぼれ落ちたこうした「障害者」たちの多くは、社会で孤立し、生活に困窮した挙げ句、罪を重ねている。

福祉の網からこぼれ落ちたこうした「障害者」を支えるのは、法律でしょうか。
制度や組織でしょうか。
ボランティア活動でしょうか。
地域の人々でしょうか。
宗教でしょうか。
友岡さんは、どういうアプローチができると考えていたのでしょう。

獅子風蓮